新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

アニメ『クオリディア・コード』総評

作画

戦いに貢献できない「無能」は人間扱いすらされない、まるでブラック企業のような近未来を描いた本作。そのアニメ制作の現場もまた、常に作画崩壊気味で疲弊しきってるブラック企業だったというのは、実に笑えない冗談ですね。

作画が崩れすぎてほとんど抽象画みたいになってる戦闘シーン、素人目に見ても不自然さが際立つ止め絵の連発、出てくるたびに変わっているキャラクターの顔。一番びっくりしたのは、第10話の食堂のシーンで、人物だけでなく食器類も作画が崩れまくりで、なんかもう弥生土器みたいな感じになってて、逆にシュールで笑ってしまいました。

僕はこのブログでも作画についてはほとんど言及してません。基本的に、作画が少し崩れていてもあまり気にせず、作品の面白さにはさほど影響しないと思っています。しかし、本作は明らかにその許容範囲を超えていて、明らかに作品全体の評価にまで影響を及ぼすレベルになってしまってました。

小説版との比較

既にご存じの方が大半だと思いますが、この作品はプロジェクト・クオリディアというメディアミックス企画の一環として作られたアニメで、その放送開始前後には、アニメのストーリーの前日譚となる複数のラノベが発売されています。この3作は、どれも独特の作風ですごく面白かったのですが、アニメ版はそれらの良さが大幅に減ってしまったんですよね。

例えば、東京編ラノベ『そんな世界は壊してしまえ』における壱弥の歪んだ人類愛の描写とか、カナリアの異常とも言える自己犠牲精神とか、そのような登場人物の尖った部分*1が、アニメ版では完全に丸くなってしまっていて、壱弥とカナリアのコンビが、ただプライドが高くて正義感の強い人と、なんかよく分からんけどそれに付き従って歌ってる人としてしか描かれませんでした。

また、神奈川編ラノベ『いつか世界を救うために』は、ほたるの変態的なストーカー気質や、天河のことを好き過ぎて最早変態と化しているサブキャラクターたちこそが、最大の見所であったのに*2、アニメ版のほたるは単に天河大好きな女の子になってしまっていたし、サブキャラたちの見せ場も全くと言っていいほど有りませんでした。

そして、千葉編ラノベ『どうでもいい 世界なんて』は、妙に達観した内容の主人公・霞のモノローグが実に笑えるのですが*3、そのようなシーンがアニメ版ではあまり見られず、渡航の築いた独特の世界観がほとんど活かされないまま終わってしまいました。

このように、ラノベ版は実力ある作者がそれぞれ特色ある世界を作り上げてそれなりに読み応えのある作品になっていたのに、そこに出てくる登場人物が一同に集まるとそれぞれの特色が相殺され、実にありふれた大して面白くないアニメになってしまったのだ。こんな事なら、ラノベ版をそのままアニメ化した方が余程良かったのに。

まとめ

というわけで、「全編通して作画が酷かった」「小説版の良さを全く活かしきれてない」という2つの残念ポイントのせいで、アニメ版は非常に低い評価にならざるを得ないですね。

これが普通のラノベ原作アニメなら、私もここまで問題にしません。これより作画が酷いアニメなんて腐るほどあるし、総集編を急遽入れてくるアニメだって珍しくない。見たことを後悔するような酷いアニメ作品だってたくさんあります。

でも本作は、人気作家が3人も関わって緻密に世界観やストーリーを練り上げ、放送前から大々的にメディアミックスを展開し、ホームページにも「アニメーションの歴史に名を刻む、究極の三位一体(トリニティ)が動き出す!」とか書いちゃうくらい気合い入れて作ったアニメです。

そこまでしたのに、このクオリティっていうのは、ちょっと恥ずかしすぎやしませんかねえ。厳しい言い方になるけど、本アニメの製作で責任ある立場にいた関係者全員、猛省してほしい。