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新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

嵐山歩鳥は「変わってしまう日常」を前に何を思うのか―『それでも町は廻っている』の台詞から

マンガ

それでも町は廻っている』の作品構成は非常に変わっている。この作品では雑誌や単行本に掲載された順番と、作中の時系列とが一致していない。例えば、8巻61話「大怪獣 尾谷校に現わる」では歩鳥は高校3年生になっているが、同64話「サインはB!」では歩鳥たちは2年生である。しかし、サザエさんやドラえもんのように登場人物がずっと年を取らないというわけではない。歩鳥をはじめとする登場人物たちとその周りの環境は、ゆっくりではあるが確実に変化している。時系列がバラバラになっているせいで、歩鳥たちが変わらない日常を生きているかのような錯覚を一瞬覚えるが、実はそうではない。永遠に続くように見える日常にも、避けることのできない変化がある。作品から漂う「切なさ」は、まさにここに起因している。

変化は避けることができない。しかし歩鳥は、自分の周りにある日常がこのままずっと続いてほしいと願っており、あらゆるセリフにその心境が見てとれる。

「先輩はそんなに平凡な日常が嫌ですか!」(2巻第18話)
(床屋のおっちゃんに「美容室には行かないのか」と聞かれて)「私はカリスマ美容師よりも おっちゃんのウデの安心感の方が上っつーか・・・ なんでそんな話するの!? おっちゃんお店やめないでよ!?」(6巻第44話)
「その・・・家も学校も商店街もみんな今の感じが続くといいなっ・・・っていうか・・・ 誰にも嫌なことが起こらず 誰ひとりかけてほしくなくて・・・ でもそのために私がする事なんてないし・・・欠けてほしくない事は増えるばかりなんです」(7巻第55話)

普段は快活な歩鳥だが、日常が壊れるかもしれないという事態が生じたときにはそれが一変し、何とかして日常を守ろうとする。日常が壊れることに強い恐怖と不安を抱いているようだ。特に、行きつけのラーメン屋が閉店になると聞いた時の歩鳥の動揺ぶりには驚かされた。

「そうだ!商店街の人が外食する時、商店街のお店でだけ食べたらいいよ! 服がよごれたらみんな新井クリーニングに持ってって、野菜はみんな百菊で・・・商店街の中だけで全サイクルが完成すればどの店も永久にやめなくていいし 店が安泰なら跡継ぎだって・・・」(8巻第65話)

どうして歩鳥はこれほどにまで変化を嫌うのだろう。その理由が作中で明かされる日は来るのだろうか。

いつまでも変わらない日常などありえない、どんなに足掻いても変化は避けられない。そのことは歩鳥も心の中では理解している。例えば、4巻第31話。真田が幼い頃に食べたという「ミシンそば」を探していた歩鳥たち。真田がそれを食べたのは、実は幼い頃に死んだ母親の葬儀の時だったと気付く。突然姿を現した「人の死」という非日常の前に、歩鳥は涙する。生と死、喜びと悲しみ、日常と非日常、それらは全て表裏一体。普段どおりの街でも、ちょっと角を曲がったところには悲しみが潜んでいる。それでも、歩鳥は変化をポジティブに捉えようともしている。母校である小学校を久しぶりに訪れた時のセリフが印象的だ。

「卒業って何かと思ってたけど 校内が社会全体っていう錯覚から卒業するんだ」(5巻第36話)

そう、卒業とは、自分の視野を広げ新しい世界に飛び込むということ。心地よい日常だけが世界の全てではないと自覚し、未来の新しい可能性に突き進むということ。普段と違うものに対する恐怖や不安を乗り越え、あらゆる経験を通じて成長するということ。

それでも町は廻っている』とは、日常からの「卒業」を前にした歩鳥の揺れる心理を描く作品なのだろうか。それとも、最終的に歩鳥が「卒業」するまでを描くのだろうか。例えば、8巻61話「大怪獣 尾谷校に現わる」では歩鳥はすでに高校3年生になっているので、紺先輩はもう卒業した後の物語ということになる。紺先輩の卒業という「日常の変化」が今後詳しく描かれることはあるのだろうか。今後の展開が楽しみだ。