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新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

ドラえもん映画と「リアリティ」―『ドラえもん のび太と鉄人兵団』私論1

アニメ映画 ドラえもん

小説版ドラえもん のび太と鉄人兵団

小説版ドラえもん のび太と鉄人兵団

私はまだ中学生の頃、はじめて『パラサイト・イヴ』を読んでSF小説家・瀬名秀明の名を知ったのだが、その後つづけて読んだ『BRAIN VALLEY』があまりにも難解でほとんど内容を理解できず、それ以来彼の作品には手を出していなかった。そんな瀬名氏が、『ドラえもん のび太と鉄人兵団』の小説版(上図)を執筆することになるなど、一体誰が予想したであろうか。このこと自体が驚きだったが、実際にその小説を読んでさらに驚かされた。原作漫画・映画の良さを一切消すことなく、SF小説家らしい細部に凝ったアレンジが加えられており、まさに「ノベライズとはこうあるべき」と言いたくなるような素晴らしい出来だったのである。今日から2回に分けて、映画版(1986年公開)と小説版の『鉄人兵団』を比較しながら、作品中の描写や設定について考察しようと思う。今回はまず、本作が我々に与える「リアリティ」の変遷について見てみよう。

北極で謎の金属部品を見つけたのび太は、鏡面世界で次々と転送されてくる部品を組み立て、巨大ロボット・ザンダクロスを完成させた。「自分達だけのロボット」が出来たと無邪気にはしゃぐのび太・ドラ・しずか。鏡面世界の新宿付近で、しずかがコクピットのボタンを何気なく押したその瞬間、ザンダクロスから光線が発射され、一瞬にして高層ビルの一つが崩れ落ちた。「おもちゃのつもりでとんでもない物を作ってしまった」と怯えるドラ達。

これは映画『ドラえもん のび太と鉄人兵団』の一場面だが、この高層ビルが崩れる光景を見て我々は真っ先に、2001年に発生した9.11同時多発テロ事件を思い浮かべるのではないだろうか。今年、本作のリメイクを記念して発売された瀬名秀明著『小説版ドラえもん のび太と鉄人兵団』では、次のように同時多発テロ事件のことがはっきり明記されている。

のび太はその光景をテレビで見たことがあった。ニューヨークの世界貿易センタービルが攻撃されたときのニュース映像だ。あのときとまったく同じように、ビルはたった一撃で、重量を支えるすべての支柱を失ったかのように倒壊してゆく。
(同書58pより引用)

当たり前だが、本作が最初に劇場公開されたのは1986年のことであり、その当時は誰も貿易センタービルがあのような形で倒壊するなど予想もしていなかった。しかし、小説版ののび太達は21世紀に生きていて、同時多発テロのことも知っているのだ。読者と登場人物の双方が同時多発テロ以後の世界を知っているという前提のもとで、新宿のビルが破壊される場面が描写されたのだ。もはや、9.11を抜きにしてこの作品を語ることなど出来ない。

1986年当時でも、あのビル倒壊の場面はショッキングな映像であることは間違いない。しかし、その映像を見て感じる「リアリティ」は、現在よりも格段に希薄だったはずだ。*1 逆に、人類を奴隷にしようとやってくるロボットという設定は、現実世界が経験してきた人種差別の歴史とリンクされて、現在よりも強いリアリティを持っていたはずだ。当時はまだ、アパルトヘイトが存在しており、オバマ大統領も誕生していなかった。

1986年当時、この映画が我々に伝えてくれたものとは、約3万年前のメカトピアの科学者が言っていたように、「他人を思いやる温かい心」の欠如によって生じる差別・偏見であった。そしてそれは、人類のこれまでの歴史(奴隷制度や黒人差別など)と重なって理解され、強いリアリティを持っていた。しかし、今(つまり同時多発テロ以降)この作品を見たり読んだりした時に我々が感じるリアリティは、かつてとは内容が異なっている。それは「他人を思いやる温かい心」の欠如が、差別や偏見だけでなく、戦争やテロの原因となっているという「リアリティ」だ。言い換えるなら、「強者」が「弱者」(つまり他人)を思いやることの必要性にリアリティを見出す時代は終わって、「弱者」を思いやる心が欠如していると結果的に「強者」にも不利益(戦争やテロ)が及ぶということにリアリティが見出される時代が訪れたのだ。それは、「弱者が可哀想だから差別はダメ」から、「強者にも不利益が生じるから差別はダメ」への転換なのだ。

『鉄人兵団』から我々が感じるリアリティは、1986年から今年までの25年間で大きく変化した。数十年後、リルルやドラえもんのような優秀なロボットが登場した世界でこの映画を見れば、人間とロボットとの戦争という設定に、より強いリアリティが感じられるかもしれない。だが、作品の見方は時代によって大きく変化しても、「他人を思いやる温かい心」の重要性というテーマは変わらない。人種差別や民族差別は人道に反するから(1986年)、差別をすると結局それが自分に跳ね返ってくるから(2011年)、人間とロボットは平和に共存すべきだから(数十年後)。時代によって理由や意味合いが変わったとしても、「他人を思いやる温かい心」の重要性は絶対に変わらない。

*1:ここで言う「リアリティ」は、作画や効果音などの映像表現から来るリアリティではなく、視聴者自身の経験に基づく心理的なリアリティである。