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新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

ファスト風土化するライトノベル―『半分の月がのぼる空』と「地方の閉塞感」

ファスト風土化とライトノベル

今更『半分の月がのぼる空』について書くのもどうかと思ったが、やはり気になる点があったので簡単に書き留めておく。この作品で描かれていることは、それはもちろん、不条理に奪われていった(もしくはこれから奪われるであろう)命であり、それでもなお愛し合うと決めた主人公とヒロインの絆であることは言うまでもない。こういったテーマの反復だけでは面白くないので、私はあえてこの作品を、「地方の閉塞感」と「主人公の心境の変化」という観点から考察してみたい。

作品の舞台となる三重県伊勢市は、ファスト風土化の悪影響を最も強く受けた地域の一つと言っても良いだろう。ファスト風土化とは、日本全国どこでも同じようなファストフード店・大型ショッピングセンター・コンビニなどが乱立した結果、地方の独自性やコミュニティが破壊されてしまう現象のことを言う。*1 特に伊勢市のような地方都市では、大型ショッピングセンターなどの大資本が流入してきたことにより、古くからある商店街が活気を失い、地域経済も疲弊しまっている。そんな町の様子は、第1巻の冒頭で次のように描写されている。

アーケードの下は、恐ろしく静かだ。
死んだように眠っている。
いや――。
事実、死んでいるのだ。
駅前から少しはずれたこのあたりは、もうすっかり寂れきっている。

この作品が全体的に暗い雰囲気になっているのは、人の死という重いテーマを扱っているからだけではない。舞台となっている街自体が暗く描かれているのだ。この作品の根底には、街が社会的にも経済的にも行き詰まり、住民の間に重苦しい閉塞感が漂っている地域社会の姿がある。

本来、ライトノベルというメディアは、ファスト風土化の弊害に真正面から向き合ってこなかった。ラノベに求められるものは、学園ラブコメに代表されるような笑いあり涙ありの明るい物語であって、地域社会が直面する不況や閉塞感といった「生々しい」問題は排除されていた。学園ラブコメ空間を壊す危険性のある経済や家庭の問題については、読者が一切心配しなくていいような作品設定が多用されていたのである。ゆえにラノベでは、閉塞感漂う地方都市は描けないし、古臭い農村も不釣合いだろう。必然的にラノベの舞台は「大都市近郊の住宅地」へと絞られたのである。すなわち、西宮(涼宮ハルヒシリーズ)であり、立川・多摩(とある魔術の禁書目録)であり、千葉(俺の妹がこんなに可愛いわけがない)であった。このような作品群と一線を画して、あえて「地方の閉塞感」を描いた作品が『半分の月がのぼる空』であると言える。

裕一の心境の変化

徐々に寂れてゆく町に漂う閉塞感。若者はそんな町に希望を見出すことが出来ず、華やかな都会へ出て行こうとする。裕一も第1巻の時点では、都会の大学に入学して伊勢から出てみたいと考えていた。その時の心境は、第1巻の62〜63ページに書かれている。

僕はこの町を出たかった。世界というヤツを見てみたかった。
こんな小さな町に生まれ、こんな小さな町しか知らないまま死ぬなんてのは、男として正しくない――。
(中略)
ここは、この町は、僕にとって世界の果てみたいなものだった。

しかし、「町を出たい」という裕一の思いは、物語が進むにつれて変化していった。第6巻の最後では、次のように述べられている。

意外と悪くないんじゃないか。まあ、うん、田舎だけどさ。その分、のんびりしてるっていうか。住みやすいし。生まれたところだから、友達も多いし。冬は暖かいし。南に行けば魚がうまいし、北に行けば肉がうまい。けっこういいところじゃないか。たいしたものはないけどさ。でもまあ、悪くはない。それに、伊勢には里香がいる。

この町を出たい、世界を見てみたい、小さな町しか知らないまま死にたくない――こういった思いを全て犠牲にしてでも、そこに留まりたいと裕一は思えるようになった。それは言うまでもなく、里香という大切な人に出会えたから。里香という存在を通すことで、初めてこの「小さな町」で生きることを肯定的に捉えることができたのだ。裕一の精神的成長を象徴するものとして、自分が生まれ育った町に対する心境の変化が描かれていると言えるだろう。

どんなに商店街が寂れていても、どんなに閉塞感で満たされていても、でもやっぱりそこは生まれ故郷であり、大切な人が居る場所であり、特別な場所であり続けるはずだ。決して治らない病気を抱えた里香と裕一の未来は、明るいものではないかもしれない。同様に、寂れた地方都市で生き続けるというのも、明るく楽しいものではないかもしれない。しかし、それでもこの裕一が下した選択には価値がある。なぜならそれは、大切な人と共に生きるという選択でもあるから。

バブル崩壊後の不況は、社会だけでなく、人の心までも変えてしまった。それは、ファスト風土化の弊害を最も強く受けた地域社会に、強い閉塞感をもたらした。このような状況を打破するために何が必要なのだろう。それは、昔ながらのコミュニティを復活させることでもなく、地域の自然・文化・経済を見つめ直すことでもなく、大切な人と共に生きるということ自体に価値を見出すこと。それが、ライトノベルというメディアが出した一つの答えだと思う。

*1:詳しい解説は、三浦展著『ファスト風土化する日本』(洋泉社)を参照。