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新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

性と暴力の東京武偵高校―『緋弾のアリア』とアメリカ銃社会

ライトノベル 緋弾のアリア

(※注)『緋弾のアリア』に関する重大なネタバレがあります。原作ライトノベル9巻まで読んでない方はご注意を。

緋弾のアリア』に描かれるもう一つの日本

4月からMF文庫Jの『緋弾のアリア』がアニメ化されるので、その前に原作を読んでみたんだけど、この作品中に出てくる日本って凄くアメリカ的だなあ、と感じた。ブッシュ共和党的なものを突き詰めれば、日本もこういう重武装社会になるんだろうな、と。作中の日本では、増え続ける凶悪犯罪に対処するために、武器を持った探偵(武偵)が居たり、司法の厳罰化が進んでいたりしている。原作小説から垣間見える作中の社会制度について、簡単にまとめてみた。

  • 凶悪化する犯罪に対抗するために「武偵」という国際資格が存在しており、警察に準ずる権限を有している(銃やナイフの所持が認められており、犯罪者の逮捕権も持つ)。また、武偵を養成するための高校があり、そこの生徒も武器の所持を許可されている。(第1巻22ページ)
  • 刑事裁判の迅速化のために「下級裁隔意制度」なる制度が作られ、証拠が十分に揃っている事件については速やかに高裁判決を下すことが可能になっている。つまり、三審制推定無罪の原則が十分機能しておらず、冤罪を生む危険性を孕んでいる。(第1巻178ページ)
  • 現実の日本では懲役刑の最長刑期は30年と決まっているが(他に無期懲役もある)、本作ではそれよりはるかに長い懲役刑を下すことも可能になっている。ちなみに、アリアの母親に下された高裁判決は懲役864年。(第1巻179ページ)
  • 司法取引や潜入捜査が合法化されている。(第3巻34ページ、同109ページ)
  • 「公安0課」「武装検事」なる組織があり、彼らは職務中に人を殺しても罪に問われないらしい。(第3巻46ページ)
  • 冤罪の可能性が高い事例でも平気で有罪判決を出す。(第8巻144ページ)*1

こうして見ると、斎藤貴男*2じゃなくても、背筋が凍りそうになる。別におとり捜査や司法取引や悪いとは言わないけど、犯罪者の暴力に対抗するためにこちらも暴力で応戦しようという作中描写を見て、すごく「嫌な感じ」がした。何と言うか、犯罪が起こる社会的背景を全く考慮に入れることなく、ただ犯罪者を上から押さえつける事ばかりに気を取られている感じがする。これでは公権力の肥大した息苦しい社会ができるだけだし、弱者の切り捨てや異分子排除にもつながりかねない。犯罪者に厳しい社会が、善良な一般人に優しい社会であるとは限らないのだ。

誤解のないように言っておくが、私は『緋弾のアリア』の作中描写についてその危険性を指摘しているが、作品自体は全く批判していない。作品の良し悪しと、作中に描かれる社会の問題点とは、全く別の話だ。以下では、作中の厳罰化社会を象徴する銃規制の問題について考えてみようと思う。

緋弾のアリア』と暴力の問題について

以上のような社会制度の中でも特に異様なのは、武偵というシステムそのものだろう。武偵には、銃やナイフの所持が許されている(おまけに超能力を使える奴もいる)。だが、彼らは公務員でも自衛官でもない、言うなれば「傭兵」なのだ。これは一歩間違えれば、仙石由人じゃないけど、強大な暴力装置になる。私は、作中の日本における凶悪犯罪の増加には、武偵というシステムも一役買っているのではないか、と推察している。またアメリカの話に戻るが、アメリカでは年間1万人以上が銃によって死亡している。これは、他の先進国がせいぜい数十人であるのに比べて、著しく突出している。コロンバイン高校やバージニア工科大学での銃乱射事件も記憶に新しい。本作でも、武器の所有を許可されている武偵の影響によって、アメリカのように社会全体に銃が氾濫しているのかもしれない。また、アメリカの保守的な地域では、子供に銃の使い方を教えることが当たり前になっているが、これも武偵高校で武器の使い方などを学ぶという本作の設定に似ている。

しかし、ここで次のような反論もあるだろう。例えば、武偵高の生徒達が持つ武器は全て公安委員会への登録が必要とされており、無秩序に武器が氾濫しているわけではないようだ。また、武偵法9条というものがあり、「武偵はたとえ仲間が殺されようと、自分が死のうと、人を殺してはいけない」(第4巻179ページ)とされている。正当防衛ですら人を殺してはいけないというのは、多少行き過ぎているような気がするが、これが「銃を持つ者の責務」とされているらしい。*3 つまり、武偵制度には高い倫理観と使用制限が伴っているので、銃の乱用・氾濫は起こらないのではないか、という疑問が沸いてくる。

しかし、上記のようなことがあるからといって、本当に銃の所持が正当化されるとは思えない。例えば、銃社会アメリカであっても、人を殺すために銃を持っている人などほとんどいない。いくら銃規制が甘いと言っても、犯罪者や精神異常者が簡単に銃を購入できるようにはなっていない。全米ライフル協会の幹部ならともかく、多くの一般人は、銃は自分自身・家族・故郷を守るために必要、と本気で考えている。しかし、現実はどうだろうか。銃乱射事件は一向に減らず、銃の暴発による事故も絶えず、年間一万人が銃によって亡くなっている。銃規制というのは、個人の責任感や遵法意識だけではどうしようもならない問題なのだ。

武偵という存在があるという事は、そこに銃を売買する市場と利権ができるという事を意味する。また、武器を持つ者がみんな善良かつ完璧であるとは限らない。銃の密売や盗難によって、一般社会に銃が氾濫してしまう危険性は高い(実際、第5巻で白雪の妹を襲ったチンピラも拳銃を持っていた)。だからこそ現実の日本では、警官・自衛官・猟友会などを除く一般人が銃を所持することは堅く禁じられているのだ。凶悪犯罪に対抗するために武偵という制度を作った結果、それが銃の氾濫とさらなる犯罪の増加を招き、それに対抗するためにますます武偵制度は強化される・・・。『緋弾のアリア』に描かれる日本は、こういう悪循環に陥っているのだろうな、と読みながら考えていた。そして、これは一歩間違えれば、現実の社会でも十分に起こり得る事態なのだ。

緋弾のアリア』と性の問題について

ちょっと話は変わるが、アメリカの社会問題は、「暴力の問題」と「性の問題」という2つの観点から語ることができる。*4 「暴力の問題」とは、上で見てきたような銃規制の問題であったり、人種差別とそれに関連する貧富の格差、戦争への参加の是非を巡る世論対立、などが挙げられる。「性の問題」とは、人工妊娠中絶や同性愛を巡る保守的キリスト教徒とリベラル派の対立、など。『緋弾のアリア』において、上で挙げたような暴力の問題に加えて、「ヒステリアモード」という言葉に象徴される性の問題まで描写されているというのは、実に皮肉だなと思った。こういうところまでアメリカ的だ。

本作の主人公やヒロイン達は、性的な価値観がまるで異なる(というか、これはラノベの学園ラブコメ全般に言えることなので、ことさら強調することではないのかもしれない)。

  • ヒステリアモードのせいで女性との接触を極力避けて生きてきたキンジ。
  • 恋愛経験を一切することなく育ったせいで性的なことを意識するとすぐに赤くなってしまうアリア。
  • 身体的な魅力を生かして何とかしてキンジの気を引こうとする白雪・理子。
  • 「女は男の所有物」という男尊女卑的な文化の中で育ったレキ。
  • ヒステリアモードを常時発現するために女装せざるを得なかったカナ。
  • アリアとの婚約のために男として育てられたワトソン。

キンジは、他のラノベでありがちな鈍感な主人公ではない。おバカだから女性キャラの気持ちを理解できないのではなく、そもそも性的感覚が一般人とは違うのだ。平均的な小学生が微積分を理解できないのと同じように、キンジも「性に関すること」について根本的に理解できないのだ。性的な価値観がバラバラの登場人物たちだから、当然、勘違いや感情のもつれが生まれる。悩み、すれ違い、対立し合う中で、お互いに友情も芽生えてゆく。

本作全体で見れば、一期一会の友情、「昨日の敵は今日の友」的精神、女を守る男としての行動と責任、といったものがテーマになっている。これは見方を変えれば「社会の多様性」の重要性を謳っているようにも見える。そういうところも、現代アメリカが抱える課題と似ていて面白い。まあ、学園ラブコメで社会的な問題について真面目に考察をしても、あまり意味が無いのかもしれないけど。というわけで、4月からのアニメは、作中の社会設定にも少しだけ気を配りつつ、キンジとアリアのカップルを見てニヤニヤすることにしようと思う。

*1:アリアの母親が無罪にならなかったのは、イ・ウー残党を敵に回すと怖いからか、それとも、一審の判決を覆すことで司法のメンツが潰れることを避けたのか、詳しい理由は分からない。

*2:『安心のファシズム』(岩波新書)の著者。

*3:おそらく、この武偵法9条というのは、日本国憲法9条を意識した設定だと思う。

*4:詳しいことは鈴木透著『性と暴力のアメリカ』(中公新書)を参照。