新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

『ゆゆ式』と『けいおん!』の比較―同じ日常系4コマ漫画でも「感情の振幅」は異なる

ゆゆ式』3巻を読んで思ったことを少しだけ話してみる。言うまでもないことだけど、この作品も、前に自分が述べたような『けいおん!』や『Aチャンネル』と同じ系譜の中にある。つまり大まかに言えば、最近流行りの「日常系4コマ漫画」ってことで一括りにされてしまう可能性が高い。実際、最小限の男キャラしか出てこない設定、ストーリーではなくてエピソードの断片によって構成された内容*1、何気ない日常の描写、といった共通点もある。でも違う点があるとすれば、『けいおん!』が「日常を描いている」と言いつつも学園祭ライブや卒業といった特別な行事も描いていたのに対して、『ゆゆ式』ではマジで日常風景しか出てこないという点か。『ゆゆ式』に出てくるのは、グダグダな部活動であり、休み時間のおしゃべりであって、修学旅行や学園祭といった「イベント」は描かれていない。3巻の帯に「この何もなさはクセになる。」と書かれているのは、誇張でも何でもない。

言葉で説明するのは難しいが、この違いは「感情の振幅」の差異によるものだろう。普通の漫画とかは、登場人物が非日常的な出来事に遭遇し、怒り・悲しみ・感動といった感情を強く抱く。つまり、感情の振幅が大きい。一方の日常系4コマでは、感情の振幅は小さい。そう言うと語弊があるかもしれないが、それでも少年ジャンプのバトル漫画などに比べれば、感情の振幅は相対的に小さいことは間違いない。『ゆゆ式』や『Aチャンネル』では、町が壊れることも、人が死ぬこともないのだから。不謹慎だけど、漫画のストーリーが登場人物に与える感情の振幅を、マグニチュードで表わしてみる。バトル要素の強い漫画なら、マグニチュード7クラスの揺さぶりが何度も襲ってくる。それに対して『けいおん!』はマグニチュード3か4だろう(ただし、この数値は原作漫画かアニメ版かによっても異なるでしょう)。で、肝心の『ゆゆ式』だけど、これはもうマグニチュード1だな。

そんな『ゆゆ式』でも、マグニチュード0ではない。登場人物の感情を揺さぶるトリガーはいたるところに存在している。例えば、櫟井唯*2という子は、普段はクールなんだけど、周りのキャラが変な事を言うもんだから、時々爆笑したり恥ずかしがったりする。バトル漫画での人の死や、『けいおん!』での学園祭の感動などとは大きさが全く違うけど、そこにも間違いなく「感情の振幅」はあるわけだ。登場人物の心を大きく揺さぶるような非日常的な出来事が描かれない作品を「日常系」と定義するのであれば、それは正確ではない。日常の中にも「感情の振幅」は存在する。ただ、後者の振幅が、前者のそれに比べて無視できるほど小さいだけだ。

だから、こういった作品を読む我々の「感度」も重要になる。1ミリオーダーの電流を1キロオーダーの電流計で正確に測ることは出来ないし、その逆をやったら電流計がぶっ壊れる。日常系4コマでは、バトル漫画などでは絶対に無視されるような、繊細な心の動きが描かれているわけであって、それらを観測するためには、我々読者の方にも高い感度が要求される。と言っても、文学作品みたいに、直接描かれない部分をうまく読みとる読解力みたいなものはあまり必要ない。必要なのは、電流計のオーダーを作品に合わせることだけ。

*1:詳しいことは、「こちらの記事」などを参照。

*2:どうでもいいけど、最近、「ゆい」って名前のキャラ多いな。