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新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

『ドラえもん』『荒川アンダーザブリッジ』に見る現代社会の病理―流行と権威主義

ドラえもん』と流行

まだ声優が大山さんだった頃のアニメ版ドラえもんに「のび太ニューファッション」という話があるんだけど、これが実に良く「流行」というものの本質を表現していて面白い。ジャイアンが主将を務める少年野球チームでは、Tike(もちろんNikeのパクり)のスポーツ用品を身につけることが流行っている。Tikeを知らなかったのび太は、皆に笑われ、自分もTikeの製品が欲しいとドラえもんに頼み込む。ドラえもんは流行を追いかけることがいかに詰まらないことかを説明しようとするが、のび太は「流行遅れは格好悪い」「このままじゃ恥ずかしくて外を歩けない」と言って泣きつく。仕方なくドラえもんは「流行性ネコジャクシビールス」という、自分で流行を作り出すことのできる秘密道具を出す。この道具を用いて流行を作り出す過程はこうだ。

  1. まず、粉状のビールス(ウィルスの昔の呼び名)を容器から取り出す。
  2. その粉を日に当てて増やし、「僕と同じ格好を流行らせろ」と命じて空気中に散布する。
  3. 周囲の人がそのビールスを吸い込む。
  4. 吸い込んだ人は、「同じ格好をしなきゃ」という強迫観念に駆られる。
  5. 結果、あっと言う間に流行は広まり、ビールスの散布者は流行の最先端となれる。

例えば、のび太が「僕と同じ眼鏡を流行らせろ」と言ってビールスを撒くと、それを吸い込んだジャイアンとスネ夫は物凄くその眼鏡が欲しくなり、さらに周囲の人が皆その眼鏡をかけているのを見て、のび太を羨ましく思うようになる。それを見たのび太は、自分のファッションが最先端なのだという優越感に浸る。

調子に乗ったのび太は、パンツ一丁のファッションを流行らせ、ジャイとスネがパンツ一丁で街を歩き始める。通りかかった先生は最初はびっくりするんだけど、ビールスに感染すると「この姿こそ地球に最も優しいファッションである」とか言って自分も服を脱ぎだす。さらに調子の乗ったのび太は、片方だけ長靴を履き、鼻に鉛筆を突っ込み、ボロ傘をさすという、とんでもない格好を流行らせて、街中の人が同じ格好になる。のび、ジャイ、スネ、そして出来杉がその恰好で空き地に集まっていると、しずかちゃんがやって来る。しずかちゃんはたまたま風邪を引いていてマスクをしていたので、ビールスに感染してない。当然「いくら流行だからって、そんな格好するなんて。みんな大嫌い!」と一蹴され、のび太達は強烈なショックを受け、自分達の愚かさに気付く。

まさに、「流行」というものを風刺した傑作ギャグアニメだと思う。作中ののび太達を支配しているのは「流行の最先端となって皆から注目されたい」「流行遅れになって笑われたくない」という思いだけで、「そのファッションが本当に自分に合っているのか」「世間一般的に見ておかしな格好ではないのか」といった視点は一切無い。「ビールス」という言葉を用いていることからも分かるように、まさにのび太達のそういう心理状況こそ感染性の病気なのだ。彼らは自分が病気に感染していることにすら気付けない。未感染者の冷静な指摘(ここで言うしずかちゃん)を通してようやく、自分達が「異常」なのだということに気付く。

『荒川アンダーザブリッジ』と権威主義

同じようなモチーフは『荒川アンダーザブリッジ』にもある。アニメ2期の第9話で、村長達がお茶会を開くシーン。村長とラストサムライは「わび・さび」が分かる。でも彼らの作法は、髷で抹茶を研いだり、甲羅で抹茶を飲んだり、突っ込みが「いとおかし」だったりと、どう考えてもおかしいものばかり。星とリクは最初は戸惑うんだけど、「バカにされたくない」「村長達に『できる奴』だと思われたい」という気持ちから、村長達のペースに呑まれてゆく。星の被り物が「わび」だとか、その辺に転がってる石が「さび」だとか、分かりもしない感覚に適当に話を合わせ、わびさび談義はどんどんエスカレートして行く。

普通に考えれば「こんな茶会おかしいだろ!」と突っ込む場面でも、「村長に褒められたい」「星(リク)より『できる奴』だと思われたい」という邪な考えのせいで、村長達に流されてしまう二人。繰り広げられるのは、外部から見ればあまりにも滑稽な光景。他人に流されることに対する鋭い風刺が、この作品の根底にはある。上に挙げたドラえもんのような「流行」とは異なるが、伝統・しきたり・美意識という名の「権威」に無条件に従うことの愚かさが描かれていると言えるだろう。

しかし、上記のような場面を見て我々が感じるものは、他人に流されることの愚かさと、そこから来る笑いだけではない。「正しさ」とは何だろうか。みんなが言っているから「正しい」のだろうか。そして、他人に流されることなく自分のスタイルを貫いて生きることは、何故かくも難しいことなのか。今日挙げた話は、まさにこのような問いかけを我々に投げかけている。

とくに今作の抱えるテーマとは、ひとつには現代文明に対する痛烈な皮肉であり、その中で生きる人間達への問題提起である。荒川河川敷のあまりに理不尽で非常識的な世界を描写することで、逆に、現代資本主義文明の抱えている理不尽や非常識を暴きだして見せた。そして、その狭間で翻弄されるリクの葛藤を通して、人間にとって本当に大切なものは何なのかと考えさせる。
(「妄想詩人の手記」より引用)

今日挙げた2期第9話だけに限らず、『荒川UB』とはそういう作品だ。荒川河川敷の「異常」な住人達と、一見「普通」に見えるリクとの交流によって、リク=現代社会の中に隠れていた「異常」が浮かび上がってきた。他人の目を気にして生きる現代人と、彼らから「異常」として排除された荒川の住人。果たしてどちらが本当の「異常」だろうか。