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新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

『バカとテストと召喚獣』についての3つの論点―試験召喚システム・強者への反抗・キャラクターの個性

ライトノベル バカテス

はじめに

7月からアニメ『バカとテストと召喚獣』の第2期が始まる。そこで今回は、この作品を「試験召喚システム」「強者への反抗」「キャラクターの個性」という3つの観点から考察する。この記事が、これからアニメ第2期を語る皆さんの役に立ってくれたら幸いである。

試験召喚システム

バカとテストと召喚獣』の「試験召喚システム」は、一般的には、生徒の学習意欲を高めるインセンティブとして位置づけられている。テストで高得点を取れば、強い召喚獣を出すことが出来、試験召喚戦争で上位クラスに勝てたなら、より良い教室設備が与えられる。しかも、そのクラス間の格差というのは結構大きく、優等生が集まるAクラスは広くて豪華だが、成績下位者が集まるFクラスにはボロボロの設備しかない。だから皆、上位クラスを目指して勉強しようとする。

しかしここで面白いのは、下位クラスが上位クラスに勝つ方法は、テストで良い点を取ることだけじゃない、という点だ。召喚獣を効率良く使うためには、ある程度の「慣れ」の要素が必要になってくるし、良い戦略・戦術を練ることや、もちろんチームワークも非常に重要だ。こういった能力は、机の上で勉強するだけでは身に付かないことであり、明らかにインセンティブとしての効果から逸脱している。もしインセンティブの事だけを考えたシステムを作るのであれば、教室設備の格差だけを強調すればいいわけで、召喚獣を用いたややこしいシステムなど必要ない。試験召喚システムは、表向きは生徒に勉強させるためのインセンティブではあるのだが、一方では「勉強以外にも大切なことがある」と教える効果も持ち合わせている。

強者への反抗

Fクラスのやっていることは、言うまでもなく強者への反抗なのであるが、それは『ぼくらの七日間戦争』的なものとは異なる。Fクラスが戦っているのは、大人や権力ではなく、あくまでも学生どうしが戦っている。また、既存のシステムを否定しようとするのではなく、そのシステムを有効利用しながら勝利を目指している。社会(学園のシステム)の変革を目指そうという全共闘的な意識は無く、あくまでもその社会のルールに則った下剋上を志向しているのだ。これらの違いがあるにも関わらず、この作品に全共闘的なものを感じ取るのは、弱者が強者を打ち負かすことで得られる爽快感によるところが大きい。

既存のシステムや前提を破壊しようとするのが『禁書』の上条さんであるとすれば、システムの裏をかいて下剋上をやろうとするのが『バカテス』である。バカテスには、倒すべき「大人」は居ない。システムを作り上げた大人は、教師として権力を行使してはいるが、試験召喚戦争においては「傍観者」でしかない。明久たちも、教師に反抗はするんだけど、一線を越えるようなことはしない。明久達と大人との間には、依然として絶対的な力の差が存在している。

強大なシステムを破壊することは極めて難しい。例えば、フランス革命の頃にはブルジョワジーや農民の暴動によって瞬く間に王制が崩壊していったわけだが、19世紀に入って近代的な軍隊や警察組織が拡充すると、暴力革命によってシステムを変えることは困難になっていった。ゆえに、近代化の進んだ国家では、クーデターやデモ行進によるシステムの破壊はほとんど成功しない。そういった国における政変は、専ら、選挙や住民投票といった穏健な方法によって行われる。強固なシステムの傘下では、システム自体を破壊することよりも、システムの中で何とか上手くやってゆく方が、「賢い」選択だとされる傾向が強い。

Fクラスがやっていることは、一見ハチャメチャなように見えるが、彼らは学園のシステム自体は破壊しようとしない。雄二というリーダーのもとで、既存のシステムを上手く利用しながら「賢く」戦いを続けている。そういった観点からすれば、この作品の構造はやはり『禁書』や『超電磁砲』のそれと似ている。例えば、あるブログでは、

もしかすると、『超電磁砲』の消費世代は、レールからはみ出さないこと・大人に管理されるというディストピア臭に抵抗感を感じないか、むしろ、花園の装いのなかで大人に管理されることを夢見るような、そういう感性を持ちあわせているんじゃないか。
シロクマの屑籠(汎適所属)」より引用

という考察も見受けられるが、この問題はまさに、我々視聴者の意識の変化と切っても切り離せない問題でもある。いわゆる深夜アニメやライトノベルでは、もはや「大人への反抗」は流行らないのかもしれない。しかし単純に、権力に従順なキャラクターが好まれるようになった、というわけではなさそうだ。『禁書』『超電磁砲』には、学園都市のシステムを否定する存在として上条さんがいる。『バカテス』には「上条さん」は居ないが、「大人への反抗」っぽい描写は結構ある。ただ、ストーリーの本筋は「大人への反抗」ではなく、「強者への反抗」に終始している。

キャラクターの個性

『バカテス』には、完璧な人間は一人も出てこない。それと同様に、完全なる「バカ」も一人も居ない。Fクラスのバカ達にも、彼らなりの特技があり、Aクラスの天才達にも、どこか欠けたところがある。明久は、成績は最下位でバカであるが、思いやりと熱い心を持っている。瑞希は、成績はトップだが、運動と料理が苦手。彼らの個性は本来、安易に優劣を付けることなど出来ないはずなのに、大人達はたった一つの尺度によって彼らをランク付けする。すなわち「学力」という尺度によって。

ここで話は前段・前々段に戻る。すなわち、試験召喚システムが学生に「勉強以外にも大切なことがある」と教える効果を持つのと同様に、キャラクターの個性もそれと同じメッセージを読者に投げかけている。しかし、システムを否定しないことが「賢い」選択とされるように、個性を無視した単一尺度によるランク付けを受け入れざるを得ないという現実も、一方では存在している。「個性」という観点から本作をさらに論じると、結構面白いかもしれない。

あるいは、本作で頻繁に登場する秀吉・明久・ムッツリーニの女装姿が、しばしば本当のヒロイン達よりも「可愛い」と評判になっている状況をふまえた上で、「男らしさ、女らしさって何だろう?」という考察に繋げることも可能だろうが、それは別の機会に譲ることにする。