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新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

『僕の妹は漢字が読める』と日本語の変遷について―「伝えること」「伝わること」の素晴らしさ

ライトノベル

僕の妹は漢字が読める (HJ文庫)

僕の妹は漢字が読める (HJ文庫)

最近『僕の妹は漢字が読める』といふライトノベルが話題になつてゐるが、先日ようやくそれを読むことができたので、今日はそれにつひて語らうと思ふ。本作の舞台である23世紀の日本では、日本語は全てひらがなとカタカナによつて表記されてゐる。また、萌え文化は現実社会とは比べ物にならないほど広く浸透してをり、義妹ものの萌え小説が「正統派文学」として持て囃されてゐる。主人公のギン(漢字がないので、人名もカタカナで書かれてゐる)は、義妹ものの萌え小説を愛読し、自身もそのやうな小説を書きたいと思つてゐる高校生だ。一方、その義妹であるクロハは、漢字を読むことが出来る。しかし、漢字を読むことが出来る人は少数派であり、多くの日本人は主人公と同じやうに漢字を読むことが出来ない。我々の感覚からすると、漢字を用ゐない日本語など想像もつかないが、作中の23世紀の人々はそれを「当たり前」として受け入れてゐる。

考へてみれば現実の世界でも、日本語は時代によつて大きく変化してきた。古典の先生か専門家でもない限り、我々は平安時代の文学を正確に読み込むことは出来ないであらう(さらに言へば、その当時にはまだ句読点や鍵括弧のやうな記号は無かつたのだ)。また、明治以降の文学に関しても、それらは皆、この文章のやうに歴史的仮名遣ひを用ゐて書かれてゐたのであつて、我々が普段愛読してゐるのは、それを現代仮名遣ひに直したものに過ぎない。我々が普段使つてゐる現代仮名遣ひは、戦後になつてから登場したものであり、同時期に数多くの複雑な漢字も書きやすいやうに簡素化された。ところで、本作の設定と同じやうに、漢字を全廃しやうといふ政策があつた事をご存じだらうか。戦後、一部の学者やGHQが日本語の簡素化を目指して「当用漢字」といふものを定めた。これは文字通り「当面使用できる漢字」といふ意味であり、ゆくゆくは日本語表記の中から漢字を全廃しやうと計画されてゐたのである。しかし時代が進むにつれて、漢字全廃は現実的でないといふ結論に達し、我々の使つてゐる文字から漢字が消えることは無かつた(当用漢字は廃止され、小学校6年間で学ぶべきとされる1006字の教育漢字へと名を変へた)。

本作の後半、ギンやクロハらは21世紀の日本にタイムスリップする。その世界は、漢字が普通に使はれてをり、萌え文化も23世紀のやうには浸透していない、要するに我々が住む現実世界と同じやうな世界であつた。ギンは21世紀の人々に「義妹萌え」の素晴らしさを説かうとするが、周囲からはバカにされたり奇異な目で見られたりするだけで、結局理解されない。それでもなほ、21世紀に住む少女・ユズとだけは、心を通はせることが出来た。日本語表記の違ひや、萌えか否かの違ひに惑はされることなく、作品の根底にある人の心を感じとることで、物語は時代を超えることが出来る、といふメッセージが高らかに謳はれてゐる。どんなに言葉や文化が変はらうとも、人は物語を通じて理解し合ふことが出来る。伝へること、伝はることの素晴らしさを讃へて、本作は幕を下ろす。

一方で、このやうな「伝へること、伝はることの素晴らしさ」といふテーマは、近年のライトノベルで広く述べられてきたものでもある。特に、本作と同じく「萌え文化」「妹」といふものを扱つてゐる作品として『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』との共通点を見出すことができるだらう。ギンが萌え文化の素晴らしさを説かうとする場面などは、『俺妹』2巻で京介があやせを説得した時のやうな迫力があつた。また、「想いの伝はらなさ」に起因する苦悩が書かれてゐる点も、『俺妹』との類似点として挙げられるだらう(詳しいことは『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』―「想いの伝わらなさ」を克服した物語を参照)。いづれにせよ、本作は衝撃的な作品設定でありながらも、ライトノベルの王道を踏襲してゐる、優れた作品であると言へるだらう。

なほ、歴史的仮名遣ひの文章を書くにあたつては、以下のホームページが大変役に立つた。厚くお礼を申しあげる。