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アニメ・マンガ・ライトノベル考察

『バカとテストと召喚獣』とアファーマティブ・アクション―学力を取るか、多様性を取るか

掲示板まとめサイトを見ていたら、『バカとテストと召喚獣』について次のような指摘があった。

結局召喚獣って何の意味があるのかさっぱりわからん
テストの点数で強さが決まるならテストの結果が全てで召喚獣いらないじゃん
ろぼ速VIP なんで失敗したか分からないアニメより)

これは、バカテスのテーマにも直結する重要な指摘だと思う。バカテスの文月学園では、教室の設備・環境に差を付けることで、生徒達に学習へのインセンティブを与えている。より良い教室に入るためには、試験召喚戦争で上位クラスに勝たなければならない。そのためには、強い召喚獣が必要となる。そして、強い召喚獣を得るためには、日頃から勉学に励み、テストで高得点を取らなければならない。だからこそ、上のような指摘が出てくる。テストの結果が全てなら、面倒な試験召喚システムなど必要ない。定期的にテストを実施して、その上位者を上位のクラスに振り分ける、というようなシステムに変更した方が余程効率的だ。

「テストの結果が全て」なら、試験召喚戦争など無意味だ。にもかかわらず試験召喚戦争があるということは、「テストの結果が全て」という前提が間違っているということだ。確かに、テストで高得点を取ると試験召喚戦争で有利になる。しかし、テストが全てではない。試験召喚戦争で勝つためには、戦略・戦術を練ったり、チームワークを発揮したりする必要がある。これらは明らかに、机の上で勉強しただけでは身に付かないことだ。

例えば、姫路さんの例を考えてみよう。勉強のことだけを考慮するなら、彼女がFクラスにいることに何らメリットはないだろう。しかし、Fクラスのメンバーと共に試験召喚戦争を戦うことで、クラスメイトとの友情が芽生え、引っ込み思案だった性格も少しずつ変わっていった。しかも、Fクラスが勝てるようにさらに勉学にも励むという「相乗効果」も生まれている。試験召喚システムがあることによって彼女は、普通に勉強するだけでは決して得られないものを得、人間的に成長した。やはり試験召喚システムには意味があった、つまり、上の指摘は間違っていたのだ、と言えるだろう。

試験召喚システムの是非を問う場合、学校というものの本質について考える必要があるだろう。学校が学力を伸ばすだけの場であるのなら、それこそ試験召喚システムは必要ない。学校というものを、社会に役立つ人材を育成する場、青少年を人間的に成長させる場ととらえることで、初めて試験召喚システムが意味を成してくる。同じことは、米国などで行われているアファーマティブ・アクションについても言えることだ。

米国では、大学入学の合否判定の際に、人種間で合格ラインを変更することがよく行われている。例えば、黒人なら、入試の際の実際の点数に100点加算して合否判定する、というように。このような制度をアファーマティブ・アクションという。当然、黒人はより低い点数でも合格できるわけだから、最も割を食うのは合格ラインギリギリで落ちた白人ということになる。それでも、人種間の格差是正などの目的のため、アファーマティブ・アクションは現在でも実施されている。

人種差別などに馴染みのない日本人からすれば、アファーマティブ・アクションは一見不公平な制度に見える。入試で上位の成績を修めた者が入学資格を得る、という単純な仕組みの方が、誰の目から見ても公平なように感じる。*1 しかし、テストの結果だけで合否を判定すべきだと言うのであれば、高校受験における内申点の加味も、大学受験における推薦枠やAO入試も、全て不公平ということになってしまう。米国のアファーマティブ・アクションと、日本の推薦入試とは、どちらも学力以外の要素を加味して合否判定をしているという点で同じようなものだ。

なぜ、学力以外の要素で合否判定をしても不公平でない、と言えるのか。ここに、「多様性」というものが関係してくる。黒人は白人に無いものを持っているかもしれないし、推薦枠で入った学生は、単に学力が高いだけの学生には無いものを持っているかもしれない。単に成績優秀な学生を集めるよりも、多種多様な学生が一緒に学ぶ方が、学校の本来の目的(社会に役立つ人材を育成し、青少年を人間的に成長させる)を達成するのに適しているかもしれない。*2

ひるがえってバカテスの文月学園を見てみると、本当に多種多様な生徒であふれている事が分かる。学力は無いけれどもバカ正直で心優しい生徒、保健体育の知識だけ突出している生徒、勉強は出来るけど料理が苦手な生徒、帰国子女、策略家、男の娘。学力に秀でた者が集められているAクラスでも、ヤンデレ、ボク少女、同性愛者という具合に、多様性に満ちている。米国が「人種のるつぼ」であるなら、文月学園は性格のるつぼ、性的嗜好のるつぼ、能力のるつぼだ。そして、こういった多様性のメリットを最大限に生かせるシステムこそが、試験召喚システムなのだ。戦術・戦略を練る生徒、敵陣に斬り込んでゆく生徒、裏工作を行う生徒といった役割分担によって、各生徒が持つ多様性はより一層輝きを放つ。そのような多様性の中でこそ、個人の人格は陶冶される。

まとめると、バカテスは、学力という単一の尺度で能力を判断することの危険性を指摘し、学校ひいては社会の中での多様性こそが大事なのだと訴えている作品だと言えよう。

*1:家庭の経済格差が子供の学力に与える影響も無視できないので、これも一概には言えないが。

*2:もちろん、だからと言って、「人種」という本人の努力ではどうにもならない要素で合否を判定されることについては、まだ議論の余地があるだろう。