新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

ミシェル・フーコー『監獄の誕生』から『ストライクウィッチーズ』を読み解く

監獄の誕生―監視と処罰

監獄の誕生―監視と処罰

ミシェル・フーコーは『監獄の誕生』の中で、中世の身体刑(罪人の身体に苦痛を与える刑罰)が自由刑(罪人を監獄に閉じ込めて自由を奪う刑罰)へと変わってゆく過程を独自に考察した。彼によると、監獄での懲役刑が刑罰の主流になったのは、ヒューマニズムという考え方が生じて拷問・火炙り・八つ裂きといった残虐な刑罰が批判されるようになったからではない。現代社会にとって役に立つ人間を生み出すシステムとして懲役刑が適していたから、というただそれだけの理由なのだと言う。例えば、産業の面で言えば、中世の親方・弟子の関係に代表される職人気質が消え、大工場での大量生産の時代が訪れた。また、軍隊でも、中世の騎士道精神は消え、規律を守り淡々と義務を遂行する能力が重視されるようになった。このような時代に求められるのは、会社や軍隊や国家の歯車となって黙々と働くロボットのような人間だ(それが出来ない人間は社会から排除される)。そして、そのような人間を効率良く育成するシステムとして、近代的な学校や軍隊が作られた。懲役刑も、そのような社会の要請に合わせて誕生したものであって、そこには、世間一般で言われているようなヒューマニズムや人権尊重の要素など存在しない。これがフーコーの考え方だ。

現代社会において、組織の中で生きる人間は徹底的に規律を叩き込まれる。例えば学校では、時間割というもので生徒の時間と身体が拘束される。刑務所や軍隊組織では、さらに細かい動作や話し方まで徹底的に管理される。そうやって何度も何度も規律を叩き込まれると、それが当たり前になって、最終的には何も言われなくても規律に従う人格が形成される。そうすることによって複雑な現代社会はうまく回っているというのも事実なんだけど、それで最も得するのは、規律を与える側の人間、つまり権力者なわけだ。規律の背後にある権力的なものの存在を忘れて、規律を守ることが無条件に正しいと考えてしまう――そのような傾向がアニメの視聴の仕方にも影響しているんじゃないか、という意見もある。ゆえに、規律に従順なキャラクターが好まれたり(参考:「学園都市は養鶏場、御坂美琴は極上ブロイラー」 (とある科学の超電磁砲) - シロクマの屑籠)、逆に規律を犯したキャラクターが叩かれたり(参考:ストライクウィッチーズの倫理と資本主義の精神/2期第6話への批判から考える神話としてのストパン - デマこいてんじゃねえ!)、ということが起こる。

ここでは後者について考える。『ストライクウィッチーズ2』の第6話をはじめ、本作ではウィッチ達の軍紀違反が度々描写されているが、彼女らが罰を受けることはあまり無い(ただし、そういう描写がゼロではないが)。その「お咎めなし」な感じが、規則にうるさい視聴者にとっては納得いかないらしい。こういう反応が何故生まれたのか、それは軍隊組織の変遷という観点から見ればよく分かる。上で見たように、今の兵士に必要なのは、淡々と命令に従って目的を遂行する能力。そこに個性は必要ないし、当然、個人プレーは許されない。ところがウィッチ(魔女)は、何か神秘的な力を操る存在であり、中世的なイメージが強い。例えば『ゼロの使い魔』で戦っている魔法使い達が、個人の名誉や騎士道精神を重んじているように、魔女や魔法使いは現代的な軍隊とはなかなか相容れないものがある。「やあやあ我こそは」とか言って個人プレーすることが許された騎士道精神の時代から、規律を守ることを重視する近代的軍隊の時代への変遷。近代的軍隊の中にありながら、ウィッチ達は依然として個人プレーがある程度許容された環境にいた。だからこそ、近代的軍隊の規律を守ることをウィッチ達に要求した視聴者との間に齟齬が生じ、上のような批判が出てきたのだろう。

我々の感覚からすれば、ウィッチ達の行動は近代的軍隊の規律に反しているかもしれない。けれども、結局作中で人類を救ったのは近代的軍隊ではなく、「誰かを守りたい」という意志を持ったウィッチ達であった。作中でウィッチ以外の軍人がした事と言えば、ネウロイの力を利用してネウロイを倒そうとして逆に自分の首を絞めてしまうというものであり、これは現実世界の核抑止論への痛烈な皮肉でもある(関連:「ネウロイ」とは何だったのか―『ストライクウィッチーズ』に見る反戦・反核の思想 - 新・怖いくらいに青い空)。目的の遂行のためなら、特攻作戦や原爆投下といったあまりに非人道的な事までやってしまう現実の軍隊と、あくまでも「誰かを守りたい」というヒューマニズムを忘れないウィッチ達、という対比がこの作品にはある。だからこそ、ウィッチ達に近代的軍隊の規律を守ることを要求するのは間違っている、と私は考えるのだが、それを良しとしない視聴者がいるというのは残念なことだ。