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新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

キャラクター間の「断絶」とその対処法について―『あの花』『ゆるゆり』などを例に考える

総合

日常の中にある断絶(想いの伝わらなさ)*1に対して、それを乗り越えようとするのが『あの花』『俺妹』『まどマギ』『とらドラ!』といった作品。一方、『けいおん!』『Aチャンネル』『日常』では、断絶に対して「いや、そんなもの、君が勝手に思い込んでるだけで、実は存在しないんだよ」と言う。

まず、キャラクター間に生じた断絶の原因について整理してみよう。『あの花』ではめんまの死が、『まどマギ』では魔法少女というシステムが、『俺妹』や『とらドラ!』では感情の食い違いが、作中での断絶の原因。例えば『あの花』で言えば、めんまの死によって、めんまと他キャラとの間だけでなく、生き残ったキャラ同士の間でも断絶が生じてしまう。めんまが幽霊(=主人公以外には見えない)という設定がまさにその象徴。そういった断絶を克服してゆくのが、これらの作品の重要なテーマとなっている。そこで多用される解決方法は、『あの花』最終回のように、キャラクター全員が自分の想いを打ち明け、お互いの気持ちを理解し合うと言うこと。『俺妹』や『とらドラ!』でも同じ方法が取られた。*2 自分の気持ちを内に秘めたままでは、めんまは成仏しないし、断絶も解消されない。会社で例えるなら、各部署間の意思疎通がうまく行かずに、組織内の何が問題なのかすら分からないような状態。まずは、会議を開いて情報を出し合い、問題点を共有しなければならない。だからこれらの作品でも、まず自分の感情と素直に向き合い、それを皆に打ち明けてゆく。それとは別に、『まどマギ』ではシステムを変えることに主眼が置かれる。普通の少女だったまどかが、少女達の苦しみを通じて自分の役割に気付き、世界を変えてゆく。まどかが犠牲になって世界を変えることで、魔法少女というシステムに起因する断絶が解消される。『あの花』と『まどマギ』では解決方法が異なるが、いずれにしても、断絶の原因を見極めて、それを克服しようと努力する話となっている。

ところが、『けいおん!』や『日常』では、断絶の解消方法が根本的に異なっている。まず第一に、これらの作品のキャラクターは断絶の解消のために現状を変えようとはしない。どこまで行っても、「あずにゃんあずにゃん」(『けいおん!!』第16話)であり「なのちゃんはなのちゃん」(『日常』第16話)なのだ。先輩達が卒業して1人になったらどうしようとか、他人と違う背中のネジを何とかしたい、といった想いによって生じた断絶。それに対して唯やゆっこは、そもそもそういった断絶自体が存在していないのだから、それのせいで悩んだり悲しんだりすることはないと説く。『あの花』や『まどマギ』が現状を変えてゆく作品だとしたら、『けいおん!』や『日常』では逆に現状を肯定する。唯達が卒業してもあずにゃんは一人ぼっちにならないし、背中のネジは立派な個性だ。だから、別に悩むんだり悲しんだりすることはないし、無理に現状を変える必要もない。ありのままの「今」を肯定するのが『けいおん!』『日常』の特徴。『Aチャンネル』でも基本的にやってることは同じ。

で、ここで大事になって来るのが、日常を「選択」するという感覚なんだろうな。例えば『日常』では、最終的には、なの自身がネジを外さないという「選択」をしたからこそ、その選択した日常が肯定されるわけだ。選択の余地なくネジを付けるという状況だったら、そこに肯定の価値は見出せなかったはず。食事に例えるなら、複数のメニューの中から自分の好きなメニュー(例えばカレー)を選択できるからこそ、そこに喜びが生じるのであって、最初からカレー以外の選択肢がなかったら、それはもう喜びには繋がらない。『ゆるゆり』でもそうだ。アニメ第11話で京子の性格が変わってしまうことにより、はじめて断絶が生じてしまう可能性が提示される。それを結衣らが回避するという「選択」をすることで、はじめて彼女らの日常は肯定される。

*1:参考:[http://www.kyoto-up.org/archives/1297:title=〈企画〉アニメ評 魔法少女まどか☆マギカ]

*2:参考:[http://d.hatena.ne.jp/kyuusyuuzinn/20110611/1307725736:title=『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』―「想いの伝わらなさ」を克服した物語]