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新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

『ココロコネクト』第11話・第12話考察

アニメ ココロコネクト

※作品に対する様々な考え方を併記するために、対論形式の記事にしてあります。

過去と現在の対比

司会者  さて、今回は第11話と第12話について、まとめて討論していきましょう。文研部が経験する3つ目の現象は、太一以外の4人がランダムで過去の姿に退行してしまう『時間退行』というものでした。

九州人  第11話のサブタイトルが「気づきを与えられて始まったという話」である事からも分かる通り、今回の現象で重要なポイントは、幼い姿に戻ること自体ではなく、過去の記憶が蘇ることによって与えられる「気づき」の方だと言えます。極端な話、忘れていた記憶が蘇ってくる現象とか、意識だけが過去にタイムスリップする現象でも良かったはずです。そんな中で身体的な退行という要素を入れてきたのは、言うまでもなく本作が娯楽作品であるからに他なりません。

アニオタ  要するに、読者・視聴者は皆、小さくなった稲葉んを見たくて仕方がないわけですよ。その辺りは原作者もアニメスタッフもちゃんと分かってる。

司会者  それはそうと、ここではまず作品のテーマについて話し合って行きましょう。

九州人  「カコランダム」編で強調されていたのは「過去と現在との対比」だと思います。例えば伊織なら、周りに合わせて自分を変えていた頃の伊織と、文研部に入って変わった伊織。あるいは青木の場合は、西野菜々が好きだった頃の青木と、桐山唯が好きな今の青木。このような対比構造が描かれているわけですね。

唯信者  そして唯の場合にも、空手をやっていた頃の自信に充ち溢れていた唯と、男性恐怖症になって空手をやめてしまった後の唯、という対比があるわけですね。

九州人  その通りです。ここで3人に突きつけられたのは、過去に対してどう向き合うか、という問題だったわけですね。例えば伊織の場合は、次のように述べて、過去をやり直したいという思いに駆られました。

「もし仮に、だ。過去をやり直せるとしたら、君はやり直したいと思うかい? (中略) ちなみにわたしは、やり直せるのならやり直したいと思うかな。そして、もっと上手くやれるのなら上手くやりたいと思うよ」*1

唯信者  唯の場合も、空手をやって自分に自信を持っていた昔と、文研部でダラダラ過ごしてるだけの今とを比較して、今の自分があまりにも情けなく思えて苦しんでしまったわけですね。

アニオタ  そういった「過去と現在との対比」の中で苦しんでいた文研部の中で、一番最初にそれを打破したのが青木でした。彼も、西野菜々が好きだった頃の自分を思い出して、今抱いている唯への気持ちは本当なんだろうかと悩んでしまいました。でも、そんな風に難しく考えないで、ある意味「能天気」に今の自分の気持ちを大切にすれば良いのだ、ということに気付いて、「自分は昔、西野菜々が好きだった。そして今の自分は、桐山唯が好きだ」という事を伝えることが出来たわけです。

九州人  そして、その言葉を聞いた唯も、結局自分は、過去を言い訳にして逃げていただけなんじゃないか、という事に気付き、自分に言い聞かせるように声を荒げます。

「いくら男性恐怖症だからって……でもそれはそれでしかないじゃない! だからと言って体が動かない訳じゃないのよ!? 最後に踏み出すか踏み出さないか決めるのは自分じゃない! そして踏み出してこなかったのは……自分じゃない!」
(中略)
「いつだって、いつだって、いつだって、いつだって……、最後に踏み出さなかったのは自分じゃないかっっ!」
*2

九州人  唯のこれまでの歩みを見ていますと、最初のうちは男性恐怖症という壁を前にして成す術もなかったのが、『人格入れ替わり』の時の太一との対話によって少しずつ変わって行き、今回、青木に抱きつくことで克服に近いところまで行けたわけですね。もちろん、過去のトラウマを完全に払拭するのは難しいかもしれないけれど、過去と向き合い、一歩一歩着実に未来に進んでいる。

司会者  第13話以降のネタバレになりますが、唯は空手を再び始める事を決め、その事を三橋さんにも話して二人は和解しました。こうして、カコランダム編における唯の物語は、清々しいハッピーエンドのうちに幕を閉じたわけです。

反論

唯信者  ちょっと待って下さい! 私はまだこの展開に納得していませんよ! 確かに唯が過去と向き合い男性恐怖症を乗り越えたのは良いことだと思います。でも、そのために空手を再開する必要は全くないと思います。

司会者  おっしゃっていることがよく分からないのですが…。もう少し詳しくお話し願えますか?

唯信者  そもそも唯が空手をやめたのを「逃げ」だと言うのが間違いですし、過去と向き合うためには空手を再開しなければならないと考えるのも間違いです。唯が空手をやめたのは、男性恐怖症というやむを得ない事情があったからで、別に責められるようなことじゃないですよ。だから、今更無理して空手の世界に戻るくらいなら、文研部の皆といる時間を大切にしてほしかった。

九州人  もちろん、唯が空手を再開したからといって、文研部との関係を蔑ろにしているわけではないということは、皆さん十分に承知していることと思います。だからあえて、別の観点から反論しますが、空手のようなスポーツを通して心・技・体を鍛え自分を磨くということは、文研部の仲間と絆を深める事と同じくらい価値のある事だと思います。だから、唯の選択は決して間違ってはいないと思いますが…。

唯信者  はっきり言って空手の技術なんて、将来スポーツ選手か特殊な職業にでも就かない限り、必要のないものじゃないですか。

アニオタ  技術云々ではなく、スポーツを通じて体を鍛えること自体にも、意味があると思いますが。

唯信者  確かに運動を通じて健康な体作りをすることは良いことですが、過度な運動は故障に繋がることもあります。そして何より、仮に病気や怪我で満足に運動が出来ない体であったとしても、そのせいで幸せな人生が送れないという事はありません。

司会者  空手や他のスポーツを通じて精神的な成長をはかるという効果については、どのようにお考えですか?

唯信者  確かに、有名なスポーツ選手の中には、本当に人間的にも優れた「人格者」と呼べる人が存在します。でも、そういう人達は元々から素晴らしい人格を持っていたのかもしれませんし、スポーツと精神的成長は必ずしも直結しているわけではないですよね。スポーツ選手やスポーツ名門校の不祥事は、毎年のように報道されています。

九州人  後半はほとんど屁理屈に聞こえますが…。

唯信者  屁理屈の重要性を指摘していたのは、『人格入れ替わり』時のこの対論だったと思いますが。もちろん、唯が空手を再開するという決断を下した以上、文研部の皆も視聴者もそれを受け入れてくれるでしょう。でも、それとは全く逆に、唯が「過去は過去、今は今」と割り切って空手と決別するという決断を下したとしても、文研部はその選択を尊重したでしょう。いや、尊重すべきです。そもそも俺は、三橋千夏という女の思い通りになったことが気にくわない! 唯の事情も知らないで、ずかずかと踏み込んできやがって、何様のつもりだ。よくある表現を使うなら、「人の気も知らないで」ってやつですよ。

アニオタ  まあ良いじゃないですか。最終的に2人は和解したんだから。

九州人  結局、唯が空手を再開するかしないかはここではあまり関係なくて、過去と真摯に向き合えるかどうかの方が重要だったのではないでしょうか。大きな壁にぶつかったり失敗したりした時、「こんな事で負けたくない」「次こそは」と思って再び立ちあがれる人もいれば、「ああ、自分には向いてなかったんだ」と思って別の生き方を模索する人もいます。どっちが正しいかなんて決める事はできません。でも、ここで一番やっちゃいけないのが、ずっと過去を引きずって「あの時こうしとけばよかった」とか「過去に戻ってやり直したい」とか後悔してしまうことだと思うんです。もう過去に起こってしまった事は仕方がないんだから、どんな形であるにせよ、それを受け入れて前に進んで行かなければならない。

唯信者  なるほど、私は当初、「昔は西野菜々が好きだったけれど、今は唯が好きだ」と言った青木のように、唯も「昔は昔、今は今」と割り切って「今」の自分を肯定するのがベストと考えていました。しかし今の話を聞いて、過去と向き合う方法は人によって千差万別で、単純に「今」を肯定するだけが正解じゃなくて、今と現在を見つめ直して本当に自分らしいと思える選択を下すことも可能なんだ、と思えるようになりました。

司会者  皆さんの意見がようやくまとまったところで、本日の対論を終了したいと思います。次回はいよいよ、カコランダム編の最終回、そしてテレビ放映版『ココロコネクト』の最終回でもあります。カコランダム編のまとめ、全13話の総括、そして今後の物語のゆくえなどについて、じっくり議論していきたいと思います。

*1:第3巻、119P

*2:第3巻、227P