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新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

より一般性が高くチャレンジングな考察を目指して―2012年の本ブログ活動方針

総合

明けましておめでとうございます。

早速ですが、本ブログの昨年の活動を振り返りつつ、本ブログの今年一年の活動に関する大まかな方針・目標のようなものを書いてみようと思います。

一般性のある考察を目指して

アニメ・ライトノベル・漫画を考察する場合、一つには、その対象作品のみを深く徹底的に考察してゆくという手法がある。しかし一方で、対象作品を他の作品と比較しながら考察するという手法もある。私の個人的な考えとしては、後者の方が考察により深みが増し、論点の良く整理された記事が書けるのではないかと思っている。どの分野でも言える事だが、やはり考察というものにはある程度の一般性がなければならない。それはより客観的で批判に耐え得る記事、そして読んでいて「なるほど面白い」と思える記事を作るために必要なことだと考えている。そのためにも、一つの作品だけに当てはまる論点から考察するより、一つの論点から複数の作品を考察する方が良いと思う。

例えば私は昨年、

という記事を書いたのだが、そこでは桜庭一樹の小説全般の特徴を述べつつ、『GOSICK』を考察するということをやっている。やはり『GOSICK』という作品を理解するためには、桜庭一樹がこれまで表現してきた事、桜庭作品の根底に流れる一貫したテーマ(全ての桜庭作品にそれが当てはまるとも限らないが)を知る必要があると思ったからだ。これは同じ桜庭作品どうしだからというわけではなく、本来なら全く共通点のないような二つの作品が、実は同じ観点から語ることも出来るよ、ということは結構ある。例えば、

という記事を最初に見た時、私は目から鱗が落ちるような気持ちになった。私は両作品とも好きで深く読みこんでいるつもりだったが、この共通点には気付かなかった。このように、他作品と比較しながら対象作品を考察するという作業によって、より視野が広く面白い記事が書けるようになる。

さらには、一昨年・作品と流行した日常系アニメについても、各作品を比較しながら考察することが可能だろう。例えば、

という記事では、3つの日常系アニメを比較しつつ、部室の有無によってどのような効果が生じるのかを考察している。これによって、同じ日常系でも、実は作品設定の細かな違いによって、作品の性質が大きく異なっているのだという事が分かる。これもやはり『けいおん!』だけを考察しただけでは分からなかったことだろう。私も昨年は、『けいおん!』と他の日常系作品とを比較する記事をいくつか書いた。

やはり『けいおん!』という存在が、日常系作品を語る上で重要な基準点となっている。日常系ブームというものが今後どうなるのかは分からないけれども、いずれにせよ、これから出てくる日常系作品についても『けいおん!』と比較考察されることは避けられないだろう。

最後に、一般性のある議論という意味において現在最も成功していると思われる「分野」について見てみよう。それは言うまでもなく、ディスコミュニケーション(以下、「DC」と省略)という観点から作品を考察するというものである。『魔法少女まどか☆マギカ』の放送終了後に、

という記事が大変注目されたが、その中でDCについて次のように述べられている。

ストーリーというものを持つすべてのメディアに共通して言えることだが、「めでたしめでたし」のハッピーエンドで終わる話には必ず「想いが伝わる」瞬間がある。ラブストーリーであれば男が女、ないしは女が男に寄せる想いが伝わることをもって一件落着となるし、スポ根モノでも冒険活劇でも心の通じ合った仲間たちが困難に打ち勝つ姿が一番大きな感動を生む。

『まどマギ』は徹底して「想いが伝わらない苦しみ」を描いた作品であり、最後になってほむらの想いがようやくまどかに伝わることで、作品はクライマックスを迎える。なるほど、このDCという観点は、広義にとらえればあらゆる作品を網羅的に考察することが出来る。『とらドラ!』『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』『true tears』といった作品は全て、登場人物間に広がるDCの苦悩とその克服を描いた作品だと言える。一方、『とある科学の超電磁砲』についても、美琴・初春と佐天さん(能力者と無能力者)との間のDCについて述べられた記事は多い。

以上で挙げたのはほんの一例だが、このように「DCの克服」という観点は、様々な作品を考察する上で重要なツールになっている。しかし、ここで「DCは本当に克服されるべきものなのだろうか」という疑問が提示されるべきだろう。例えば、上で述べた『まどマギ』や『超電磁砲』がアニメになるはるか以前、2007年に、

という記事が投稿されたが、その中では、DCは必ずしも克服するべきものではないという世界観が示されている。人間誰しも考え方や性格は異なっており、お互いを完全に理解し合うことなど不可能と言ってよい。そんな中ではやはり、理解し合えないなりに上手くやってゆくという選択肢が必要になるだろうし、実際の人間関係だってそういう風にして成り立っているのではなかろうか。例えば『超電磁砲』でも、美琴と佐天さんの間にあるDCが完全に解消されたかと言えば、決してそうではないと思う。「相手の立場になって考えましょう」というのは確かに大事だが、どうしたって「理解できない」という場面も必ずある。佐天さんからすれば「何だこいつ」って思うような事を美琴が言ってしまう事だってあるだろうし、当然その逆だってあるだろう。しかし、理解し合えないからと言って、友人関係を解消してしまうのはあまりに非建設的だ。だからこそ、理解し合えない苦しみを克服するのではなく、「理解し合えない苦しみの先に何があるのか」を見ていきたいのだ。

そんな、私の問題意識と最も近いところにある作品が『ココロコネクト』なのではないか、と考えている。

ココロコネクト』も、他のあらゆる作品と比較考察できる作品であり、4月からアニメ化されるということもあって、私が今年最も注目している作品の一つである。やはりこの作品は、これまで述べられてきたようなDC論を総括する上で重要な作品だし、同時に、「理解し合えない苦しみ」のその先を提示するチャレンジングな作品となるであろう。

チャレンジングな考察を目指して

けいおん!』関連記事で有名な「たまごまごごはん」というブログがある。このブログの凄いところは、アニメ化される前の2008年の段階からすでに『けいおん!』を取り上げていた事だ。

なるほど、アニメ放送時に毎週アップされた秀逸な記事は、原作の段階からしっかり考察を続けていたからこそ、作ることが出来たのだと言えるだろう。では、このブログの管理人が数ある原石の中から『けいおん!』という宝石だけを上手く見つけ出して記事にしたのかと言えば、決してそんなことはない。「たまごまごごはん」では、人からあまり知られていないような漫画作品を数多く紹介しており、私もこのブログに影響されて『夕焼けロケットペンシル』『O/A』『ハレルヤオーバードライブ!』『てんむす』といった作品を読み始めた。『夕焼けロケットペンシル』に関しては、その後に

という記事まで書いている。このように紹介された作品の一つとして『けいおん!』もあったということなのだろう。まるで製薬会社の新薬開発までの軌跡を見ているような感じだ。製薬会社では、常に何千、何万という数の化合物を研究している。その中で薬として販売にまでこぎ付けることが出来るのは、ごく一握りだけだ。それでも、当たりを引いた時のインパクトは極めてデカい。開発した新薬が多くの人の命を救い、会社に莫大な富をもたらすこともある。たまごまごさんが『けいおん!』で体験したようなことを、私もいつか体験してみたい。ほとんど知名度のないうちから注目していた作品が、後にアニメ化され世間で広く注目される、という体験は、ブログを書く者としてこの上ない喜びだと思う。

そのためには、人と同じ事をしているようでは駄目だ。「たまごまごごはん」や「積読を重ねる日々」といったブログのように、あまり人に知られてない作品を紹介してゆく姿勢が大事になる。もちろん、この2ブログの管理人の読書量というものは半端なく、私なんかがそれに追いつくことなど決して出来ない。しかし、他人がまだ注目していない作品を紹介する、という気持ちだけは常に意識して記事を書こうと思っている。

同様に、他人とは違った観点から作品を考察する、ということを徹底してみようと思う。アニメを見た時の感じ方は人それぞれであり、感想・考察は各ブログごとに千差万別だ。例えば『まどマギ』については、ディスコミュニケーションや自己犠牲、魔法少女の選択など、あらゆる観点から考察できる。宮崎哲弥のように、『まどマギ』と仏教思想を繋ぎ合せる見方もあるだろうし、東日本大震災との関連も当然多くのブログ等で指摘された。そのような中で、自分もいくつか『まどマギ』関連記事を書き、その内容の多くが二番煎じだったのではないかと反省しているが、唯一、『Angel Beats!』との関連性を指摘した点に関しては新しかったのではないかと自負している。また、『半分の月がのぼる空』について考察した時も、ファスト風土化という他の人が誰も注目しなかった視点から考察したからこそ、30以上のブックマークを貰えたのだと思う。

このように、すでによく知られている作品であっても、これまでにない視点から作品を考察することで、何か新しいことが分かるかもしれない。第一、他の人がすでに述べている事を反復するだけではブログを書いている意味がない。感想を書くだけならともかく、考察をやっている以上は、そこには何らかの「新規性」がなければならないわけであって、言葉は悪いが、奇をてらうような事もやる必要があるだろう。

これは上で述べた「一般性のある考察を目指す」という目標とも関連してくる。ただ作品の感想・考察をするだけでは、新規性など生まれない。おそらく、日本中の数多くのブログで同じような事が書かれているだろう。ブログの管理人が今までに見てきた他作品や本、人生経験などと、考察対象である作品とを上手くリンクさせることによって、オリジナリティのある記事が書けるようになる。とにかく、他と違うことをやるというチャレンジ精神は忘れないようにしたい。

知の集積を目指して

上で述べたように、一般性の高い記事、チャレンジングな記事を目指して、今年もなるべく多くの記事を書こうと思っている。また、もし私の記事を読んでくれた人がいたら、批判でも何でもいいので、気軽にコメントやブックマークをしてくれたらありがたい。というのも、やはり記事を書き続ける以上、常に他人の意見や考え方を知っておきたいからだ。オリジナリティも大事ではあるが、やはり自分一人の力では良い記事は書けない。私が記事を書くときも、他の記事を参考にする事が多い。

私が他のブログの記事を参考にした時は、それが分かるように記事にリンクを付けるようにしている。同様に、私も他の人からたくさん引用されるような記事を書くことを目指したいと思う。やはり知識は集約する必要がある。科学の分野でも、過去の論文を一つも引用していない論文など存在しない。同様に考察記事に関しても、それを書き上げる上で前提となった知識というものが必ずあるはずで、そういった「系譜」までも見て取れるような記事を目指したい。そのような知の集積によって、より洗練された考察を行うことが可能になるはずだ。