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新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

『あの夏で待ってる』OP映像から見えてきたこと―他の長井監督作品と比較して

とらドラ!』『とある科学の超電磁砲』『あの日みた花の名前を僕達はまだ知らない。』のOP映像について考察した記事が注目されたことは記憶に新しい。

では、この3作と同じ長井龍雪監督作品である『あの夏で待ってる』のOP映像に関しては、どのような考察が可能だろうか。

http://youtube.com/watch?v=VftjnWqMxhU

まずは、『あの夏で待ってる』のOP映像を「登場人物の目線」「画面のスライド」「登場人物の位置(日向か日陰か)」という観点から見てみよう(下図の赤矢印が登場人物の目線の方向。黄色矢印が画面のスライド方向)。

  • 海人:下、左右、日向と日陰の中間
  • イチカ:右(正確には右下)、左右、日陰
  • 柑菜:上(正確には左上)、左右、日向
  • 美桜:右、上下、日向
  • 哲朗:右(正確には右下)、上下、柱の陰
  • 檸檬:後方から前方へ、スライドなし、日向

こうして見ると、なかなか示唆的で面白い映像だなあと感じる。イチカと柑菜の目線が全く正反対で、居る場所も日陰・日向で明確に分かれている点からも、今後の二人の対立が予見される。また、イチカ以外のヒロインが全員日向に居て、海人の目線が日陰の方を向いているという点からも、「ああ、やっぱり海人はイチカ先輩のことしか見てないのかなあ(柑菜が不憫だ)」と感じる。

さらに、イチカと檸檬以外の4人の画面スライド方向と目線方向が一致していないのも、彼ら4人の「心の迷い」みたいなものを暗示しているのではないだろうか。イチカ・柑菜に関しては「柵=越えなければならない壁」に背を向けているとういう解釈もできるし、美桜については「柵=越えなければならない壁」に向き合っているんだけれども(水があって)前に進めないという閉塞感を表しているのかもしれない。こういった迷いや閉塞感から無縁の檸檬(彼女だけ映像が他と大きく異なる)が、やはり本作のキーパーソンになるのだろうか。

一方、このOPでは、8ミリカメラ風の演出がなされているという点も見逃せない。すなわち、「画面の傷」や「手ぶれ」がわざと挿入され、色調も若干暗めにすることで、まるで登場人物達が自作した映像であるかのように演出している。特にそれはサビの部分で顕著だ。これは言うまでもなく、やはり長井監督作品である『とある科学の超電磁砲OVA』のOP映像との共通点を指摘しなければなるまい。

http://youtube.com/watch?v=Hb19dcmM5YM

こちらは、冒頭の美琴が映写機を覗きこんでいる場面と、ラストの美琴が机で寝ているのを他3人が見ているシーン以外は、全編を通して8ミリカメラ調になっている。どちらの映像とも、前半部に主人公が8ミリカメラで撮った映像を確認している場面があり、ラストに主人公が映写機のそばで眠っている場面があるというのは、もはや偶然ではないだろう。

とある科学の超電磁砲OVA』のOP映像映像が、美琴を起こさないように他の3人が視聴者の方に向かって人差し指を立てる場面で終わることによって、歌詞の中で

朝の陽射しの眩しさに 今日も街は目を覚まして
爽やかな風が運んだ 予感に心弾ませた

とまで歌われた輝かしい青春の日々の継続性が示唆された*1こととは対照的に、『あの夏で待ってる』では、最後に主人公が目を覚ますことで、「眠り=穏やかな青春」の終りが示唆されている。これはまさに、『超電磁砲』の「その先」を見せようという長井監督の決意表明に他ならない。

ここ数年の日常系ブームに反して、『魔法少女まどか☆マギカ』『あの花』『TIGER&BUNNY』といったストーリー重視の作品が流行ったことを指して、2011年はストーリー復権の年だったとする意見もある(参考:混迷の時代に「物語」が必要な理由/「日常系」の終わりと「神話」の始まり - デマこいてんじゃねえ!)。『あの夏で待ってる』も、そういった系譜の一作品として捉えることが可能だろうか。いずれにせよ我々は今年、『超電磁砲』の「その先」を目撃することだろう。その予感に私は心弾ませている。

*1:実際には、その後美琴はシスターズや上条さんを巡るさらに大きな戦いに巻き込まれてゆくことになるのだけれども。