新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

部活動論4―『てんむす』、食い道部

漫画『てんむす』を読んで、不覚にも涙してしまった。極限の状況に追い込まれた人間が、かくも凄まじい輝きを放つんだなあ、と。それは決して華麗で優雅なものではなく、もっと貪欲で泥臭くて死に物狂いな姿だ。でも、彼女らは皆、生き生きとしていて、圧倒的な輝きを放っている。たまごまごさんは以前、食べ物を美味しそうに食べる天子がたまらなく可愛いと言っていたけど(参考:モリモリ食うあの娘にフォーリン☆ラブ。「てんむす」の天子ちゃんマジ天娘 - たまごまごごはん)、この作品は最早、可愛いなんてレベルはとうに過ぎてしまったのではないか。彼女達が苦しさ、悔しさ、仲間との絆、そういったものを全て背負った上で、ひた向きに、がむしゃらに物を食べる姿は、あまりにも輝かしく、ただただ感動を覚える。

作中の世界には、天食祭と呼ばれる女子高生どうしの大食い競技が存在している。主人公・春風天子が所属する結日高校・食い道部は、天食祭の地区予選で長野女子体育大学付属高校と対戦する。同校の生徒のほとんどは、スポーツ特待生として日々熱心に部活動に取り組んでいる。そんな中、怪我などによって他の競技を続けられなくなった者たちを集めてできたのが食い道部だ。彼女らは周りからポンコツと蔑まされならがも、もう一度アスリートとして勝負の世界に立つため、あるいは、競技を続けることで学費免除を受けるため、といった複雑な理由を抱えて大食い競技に出場している。

その選手の一人・荒川氷華は、幼い頃からずっとフィギュアスケートを続けていたが、腰の怪我によってしばらく練習できなくなってしまう。学費免除を継続してもらうため、怪我が治るまでの期間限定で大食い競技に出場している。だから彼女は勝負にはあまり興味はなく、ただ淡々と食材をのどに流し込むだけだった。

食材が何とか 相手が誰とか どうでもいいですし
勝敗だってそこまで興味はありません
私はただ食べられるから食べてるだけです*1

氷華にとって大食い競技は、ただ仕方なく出場しているだけのものだった。だからこそ、彼女は無表情なまま黙々と冷静に食べるスタイルを貫いてきた。

ところが、対戦相手である天子は、本当に幸せそうにものを食べる。そして、氷華にも楽しく食事をしてほしいと願って話しかけてくる。そういった態度がいちいち氷華の癇に障って、彼女は次第に冷静でいられなくなる。だが、所詮大食い競技、怪我が治ればまたフィギュアに戻れる、と半ばあきらめ手が止まってしまう。と、そこで司会者が「荒川選手、このまま負けてしまうのか!」と叫ぶ声が聞こえ、氷華のアスリートとしての血が騒ぎだす。

見てください、この鬼の形相。ついさっきまで「勝敗には興味ありません」とか言ってた人が、ここまで変わるなんて・・・。天子との出会いが、氷華の負けず嫌いな本性を呼び醒ましたのだ。ここには、フィギュアスケートに特有の優雅さや正確さは何もない。ただひたすら「こんな奴に負けたくない!」という思いだけがある。

誰にも負けないよう練習をしました
腰が爆発するくらい痛くても笑顔をつくりました
けど・・・“氷上のダリア”と呼ばれても 私の花は咲くことがなかった
その花をたかが大食い競技の場で あんなヘラヘラと咲かす奴に・・・
負けるなんて許せません*2

そして、必死に食らいつきながらもあと一歩及ばず負けてしまった氷華。顧問の先生から「はじめての敗北はいかがですか」と聞かれて・・・

この表情もまた凄い。読者の中で「はらわたが煮えくりかえる」ほど悔しいという思いをした事がある人は、どれくらいいるだろうか。本当に凄い表情だ。激しい憎悪、嫉妬、そして悔しさ。ありとあらゆる負の感情が混じりあう凄まじい表情。それでも、その顔は本当に生き生きとしている。試合前の表情と比べてみればそれがよく分かる。

やはり人は、自分と異なる人と出会ったり、極限の状況に追い込まれたりしたときに、本当の気持ちに気付くということなんだろう。これは主人公である天子とて例外ではない。彼女は食べることが大好きで、競技中も常に笑顔を絶やさず、幸せそうな表情をして物を食べる。以勢日輪高校との対戦中も、始めは笑顔で食べ進めてゆく。

ところが、その日の対戦メニューは麻婆豆腐。あまりの熱さのために舌を火傷した天子に、猛烈な痛みと苦しみが襲ってくる。そして、ついに食べる手が止まってしまう天子。

極限の状況に追い込まれて見えてきたのは、天子の中にある「弱さ」だった。圧倒的な大食いの才能を持っているがゆえに、これまで苦しい思いをして食べ続けるということをしてこなかった天子。だからこそ、激しい痛みと苦しみを前にして心が折れそうになってしまう。

なんで競技とか部活とかってのは こんなツラくてしんどいんだよ
私ゃ 楽しくごはんを食べるのが好きなだけの・・・
ただの食いしん坊なのに・・・
なんで こんなことになっちゃったんだよ・・・*3

そして、ついにリタイアまで考えてしまう天子。

リタイア・・・しよう
もう疲れたよ・・・
2度と大食い競技なんてするもんかい*4

しかし、そこで天子の頭を駆け巡ったのは、部の仲間達と過ごした楽しい日々。そして、仲間達の声援。ここで立ち止まるわけにはいかない。天子は再び食べ始める。

そこには、笑顔も幸福感も何もない。ただあるのは、汗と涙にまみれた死に物狂いの顔だ。まさに「食べる」ということは、「生きる」ということそのものなんだという事を実感させられる。生きるということが、常に楽しく幸福に満ちているなんてはずはない。それは、時として辛く*5苦しい道のりだ。そんな中でも、がむしゃらに前に進んでゆく姿は人々の感動を呼ぶ。

痛みに耐えながらがむしゃらに食らいついて、それでもあと一歩及ばずに負けてしまった天子は、試合後に泣き崩れる。この涙は、彼女の今後の戦いにとって、そして、人生にとって何物にも代えがたい経験となるだろう。

本作の凄いところは、少女達の心や表情の変化を巧みに描き、必死に食らいつく彼女らを圧倒的な活力を持って描いたことだ。人は、幸せで満ち足りている時にだけ生き生きと輝くのではない。ただ一生懸命に泥臭く前へ進む時にこそ、その人の生は輝く。大食い競技という設定も、非常に重要な点だろう。繰り返すが、「食べる」という事は、「生きる」という事。だからこそ、「食べる」ことは、人を幸せにもするし、人を必死にさせたりもする。「食べる」ということには、人を変える力がある。

*1:『てんむす』、第4巻、63P

*2:『てんむす』、第4巻、112P

*3:『てんむす』、第5巻、175P

*4:『てんむす』、第5巻、180〜181P

*5:「辛い(つらい)」は「辛い(からい)」とも読めるというのが、また実に示唆的だ。