新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

『ココロコネクト』第3話考察

※作品に対する様々な考え方を併記するために、対論形式の記事にしてあります。

唯の抱える問題と性犯罪について

司会者  さて、今回は唯の抱える問題を太一が機転を利かせて解決する話でした。太一(体は唯)が、太一(人格は唯)の股間を蹴り上げることで、身をもって男性の弱点を唯に教え込ませる、というエピソード。皆さんはどのような感想を持たれたでしょうか。

フェミニスト  その前に、アニメの中で性犯罪のようなシリアスな問題を取り上げているのは、非常に珍しいと思いました。これは非常に重たい問題ですが、決して目を背けてはならない問題だと思います。犯罪白書によりますと、平成22年の性犯罪認知件数は強姦が1289件、強制わいせつ(被害者が女性の場合)が6866件となっています。ただしこの数字はあくまでも警察が「認知」した犯罪件数でして、実際には被害届を出せずに泣き寝入りせざるを得ないケースも数多く存在すると見られます。実際の性犯罪でも、まるで被害にあった女性の側にも非があるかのような報道・ネットの書き込みなどが数多く見られ、性犯罪被害者への無理解と偏見がまかり通っています。また、犯罪被害者の心のケアや、生犯罪者の再犯防止への取り組みも、まだまだ不十分です。そして何より問題なのは、女性は男性よりも劣っているという封建的で男尊女卑的な社会制度や習慣が、この日本で未だに根強く残っているということでして・・・

司会者  お話の最中で申し訳ないのですが、時間の都合もありますので、次の方の意見を伺いたいと思います。

野球選手  今回のお話は、男なら背筋が凍りつくような話だったんじゃないでしょうか。自分も、キャッチャーをやっていて、球が股間に当たった時は、死ぬほど苦しかった・・・。

フェミニスト  私は女ですから、股間を蹴られる痛みがどれほどのものか、よく分からなかったです。一体、どういう痛みなのでしょうか。

野球選手  う〜ん、口で説明するのは難しいですが、例えるなら、腹の中に手を突っ込まれて、内臓を引っかき回されるような痛み、と言えば良いでしょうか・・・。

フェミニスト  それって、出産の時の陣痛みたいな感じでしょうか?

野球選手  う〜ん、それこそ経験がないので、比較のしようがないですね・・・。

九州人  今回のエピソードのポイントはまさにそこだと思います。本来なら絶対に経験することのできない痛みでも、人格が入れ替わることによって経験できる。その利点を上手く利用した太一の作戦勝ちだったと思います。

野球選手  なるほど。この男性恐怖症の克服の仕方は、空手の選手だった唯らしいな、と思いました。スポーツ選手が技術を上達させる方法って、基本的に「体に覚え込ませる」ことに尽きると思うんです。何度も何度も同じ練習を繰り返して、頭で判断しなくても体が勝手に反応する段階までもっていくことが大事なんですね。これまで唯は、男性に対する恐怖が体に染み込んでいて、それを払拭することが難しかった。股間を蹴ることで相手に致命的なダメージを与えられるという事を、体で理解できてなかったからです。でも今回、その痛みを自ら経験することで、「襲われそうになったら股間を蹴り上げれば良いんだよ」ということを、「体に覚え込ませる」ことができた。これは、彼女にとって、大変重要な第一歩だったと思います。

フェミニスト  私はむしろ、唯が勇気を出して男性恐怖症であると打ち明けた事に意義があると思っています。やはり、問題を一人で抱え込んでしまうのではなく、信頼できる人や専門家に相談することが大事だということですね。現在では、各地の警察署に性犯罪捜査専門の女性警察官が居ますし、性犯罪専門の相談窓口もあります。ですから、性犯罪の被害に遭われた女性には、泣き寝入りするのではなく、勇気を出して警察や相談窓口に届け出ることを強くお勧めします。

自己犠牲

九州人  「黙りやがれこのクソプロレスオタク」「バカかお前は、どうしてそこまで能天気でいられるんだ」「お前ら、次にやったら命はないと思えよ」。今回は一段と稲葉んがピリピリしてましたねえ。稲葉んは伊織の事を「5人の中で一番不安定」と言っていましたが、それと同じくらいに稲葉んも追い詰められているのかもしれません。

司会者  稲葉の問題については次回、じっくりと議論したいと思いますので、今日はこの辺で。さて、今回その稲葉んが、『ココロコネクト』を語る上で重要な新たなキーワードを述べていました。それは言うまでもなく「自己犠牲」というものですね。今日はそれについて皆さんの意見を伺いたいと思います。

フェミニスト  そもそも自己犠牲の定義とは何なのでしょう。

カント主義者  決まっているではないか。他人のために自分を犠牲にすることだよ。しかし、この「他人のため」というのが実に難しいんだがね。

司会者  それはどういう事でしょうか。詳しくご説明願います。

カント主義者  例えば、クラスメイトのために面倒な校外清掃を引き受けるという、今回の太一のケースを考えてみよう。校外清掃をすることによって太一に何らかの報酬があるわけではないし、逆にしなかったとしても何らペナルティはない。その点だけを考えれば、太一の行動は完全に自己犠牲的だ。しかし、例えば太一が、将来クラスメイトから見返りが来ることを期待していたり、極端な話、道端に落ちているエロ本を拾うために清掃に参加したんだとしたらどうだろう。それは最早、他人のための自己犠牲ではなく、単に「自分のため」の行動に過ぎないのではないか。

九州人  そんなこと言っていたらきりがないでしょう。

カント主義者  もちろん、これはあくまでも例だ。だが、哲学者イマヌエル・カントが言っていることは、まさにそういう事だ。すなわち、何が道徳的に正しい行為なのかは、その行為の結果ではなく、その「動機」によって決まるわけだ。同様に、その行動が本当に自己犠牲によるものかどうかも、結果ではなく動機によって決まる。例えば太一は、股間を蹴り上げるという渾身の「自己犠牲」によって唯を救った後、唯から「どうして私のためにそこまでしてくれるの?」と問われ、「そうしたかったから」と答えた。これは見方を変えれば、太一が唯を助けたのは、唯のためというよりむしろ、「そうしたい」という自分の願望を満たすためだという風にもとれる。

フェミニスト  そう考えると、これはある種のマッチョ思想の発露と言えなくもないですね。歴史的に見ても、男性の自己犠牲行動はマッチョ思想と結びつくことが多いんです。か弱い女子供を守る勇敢な男、というストーリーでもって、女性を支配しようとする男性の欲望に。実際には、その野蛮で好戦的なマッチョ思想のせいで、どれだけ女性が迷惑を被ったことか・・・

九州人  しかし、こんな風に自己犠牲を厳密に捉えていたら、純粋な自己犠牲行動なんてものは、どこにも存在しないという事になるじゃないですか。これでは、人間の奉仕精神や善意を否定することにつながるのでは?

生物学者  九州人さんのおっしゃる通りですよ。この世に自己犠牲なんてものは存在しません。生物のとる全ての行動は「利己的」な行動です。

カント主義者  それはどういうことだね! きちんと説明したまえ。

生物学者  生物の進化という観点から考えてみれば簡単なことです。例えば、1匹だけで行動していれば、狩りの効率も悪いし敵に襲われる危険性も高い。でも、集団を作って皆で協力して生活すれば、狩りの効率も上がり敵に襲われるリスクも格段に下がるでしょう。集団生活に向いた個体の方が、1匹だけで全てを賄う個体よりも多くの子孫を残し、生存競争に勝つことが出来たわけです。要するに、「他人のため」に行動するという事は、結果的に「自分のため」にもなるんですよ。そういった進化の帰結として、困ってる人を放っておけない、何とかしたい、と思う我々の心が生まれたんです。だから、人間の自己犠牲行動なんていうのは、究極的には全て利己的な行動でしかないんですよ。

カント主義者  君の考えは間違っている。人間は他の動物と違って、理性的な存在なのだ。自らの欲望に支配されることなく理性的な判断を下せるからこそ、人間には尊厳があるのだ。確かに、私の考える自己犠牲は厳密すぎるかもしれないし、利己的な要素が全くない行動などなかなか無いのかもしれない。しかし、そういった他人のために尽くすことのできる理性こそが、人間の尊厳の源泉であり、そこから義務・権利・人権といった概念が生まれるのだ。であるからして・・・

司会者  申し訳ありませんが、カント哲学のお話は長くなりますので、また別の機会にお願いします。自己犠牲については、次回以降も語る機会があると思いますので、その時にまたじっくりとお話を伺います。

今週の稲葉ん――「お前ら、次にやったら命はないと思えよ」

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九州人  見てください、この堂々とした風格。さすが稲葉ん、他のキャラに出来ない事を堂々とやってのける。そこにシビれる、憧れるゥ!

フェミニスト  こんなの稲葉じゃなくても怒るのは当たり前です! 人格入れ替わりで大変な時に、告白の真似事をして遊ぶなんて、ふざけるのも大概にしなさい! 男っていうのは、どうしてこうもバカなのかしら。

カント主義者  まあそれは仕方ないではないか。悲しい時や感動した時だって、腹は減るんだ。それと同じで、人格入れ替わりで大変な時にだって、性欲はあるんだ。そういうものだよ。

九州人  むしろこういう大変な時にこそ、多少ふざけた感じが必要だと思いますね。この人格入れ替わりっていうのは、結局「考えたら負け」なところがありますよね。人格が入れ替わっている間に何かされるんじゃないか、重大なミスを犯してしまうんじゃないか、周囲から変に思われたらどうしよう、そういったことを考え出したらきりがないわけで、だからこそ、あまり深刻に考えすぎない事が重要になると思います。

カント主義者  そういう意味で、稲葉は非常に心配だ。稲葉の性格はよく言えば真面目で責任感が強いと言えるが、これは完璧主義で神経質であるとも言える。もちろん、集団をまとめるためには、稲葉のような存在はなくてはならないと言えるが、あまり深刻に考えない事、楽観的に考える事も時には必要だと思う。

司会者  稲葉んについては、次回の対論でじっくりと考察して行きたいですね。次回以降、いよいよ原作第1巻のクライマックスが近づいてきますので、対論もさらに熱の入ったものになるかと思います。今後の展開が非常に楽しみになってきたところで、本日の対論を終わりたいと思います。