新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

『銀の匙』第4話考察―社会の中の多様性とそれを見渡せるリーダーの存在

私の祖母の実家はかつてその地域でも有数の地主だった。今でこそ大半の土地を手放してしまったが、戦前は広大な敷地でありとあらゆる作物・食品を生産していた。米はもちろん、野菜やイモ類、スイカや桃も栽培していた。飼っていたニワトリやヤギから、卵や乳も取れたし、溜め池には食用の鯉もいた。畑でとった大豆から味噌や醤油ですら作っていた。そこでは、ほとんど自給自足の生活が成立していたのだ。エゾノーはまさに、かつては日本中で当たり前に見られた自給自足の精神を、今日なお継承している施設と言えるだろう。今回、八軒が中心となってピザを作ることになったわけだが、ピザを焼くための窯や薪、生地に使う小麦粉、具材となるチーズや野菜やベーコンに至るまで、全てを学校の敷地内で賄うことができた。エゾノーの持つこの多様性こそが、八軒達の計画を成功に導いたのだ。

八軒が何もないところから人・物・食材をかき集めてピザを作ったように、国や会社が何か新しい事を成すためには「多様性」というものが大きな武器になるのだろう。日本の中にある、様々な専門技術を持った会社や人、各地域の多種多様な文化、様々な思想を持った人々が自由に議論できる空間。それらが、いざという時に強力な武器になる。しかし、今の日本はむしろ、その多様性を壊す方向に進んでいるのではないだろうか。この第4話を見て、そんな風に思った。

ところで、せっかく社会に多様性があったとしても、一人ひとりがただ好き勝手に動くだけでは、宝の持ち腐れになってしまう。今回の八軒のように、各分野の専門家をまとめ上げるリーダー役が必要だ。自分の夢と明確な目標を持ってエゾノーに入学した同級生たちと違い、八軒は「なりたい自分」を見つけられず「何者にもなれない」でいる。そして、そのことをずっと引け目に感じている。しかし「何者にもなれない」とは、裏を返せば、一歩離れた場所から全体を俯瞰できるということではないだろうか。何の先入観もなく全体を見渡せるからこそ、ピザを作るためには誰が必要なのか、次に何をすれば良いのかが見える。八軒は自覚していないが、高い学力や他人想いで人当たりの良い性格などもひっくるめて、彼には人をまとめ上げるリーダーとしての天賦の才があるのかもしれない。それは、一人で黙々と勉強するだけでは決して開花しない才能だ。

人の才能というものもまた、多様性の中でこそ開花するのかもしれない。多種多様な生徒・先生たちと交流して刺激を受ける中で、主人公が精神的に成長してゆく物語として、近年では『バカとテストと召喚獣』や『さくら荘のペットな彼女』などが挙げられる。あるいは、本作と同じ農業・食品をテーマにした作品である『もやしもん』もそうだろう。これらの作品は、教育機関における多様性の大切さ、単一の尺度(例えば学力)で生徒を評価することの危険性を指摘しているのだ。