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新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

『銀の匙』第7話考察―出産シーンは本当に感動的か?

たまこの実家が経営しているギガファームを見学しに行った八軒達。子牛の出産に立ち会い、その感想を聞かれた八軒の第一声は「グロい」というものだった。

八軒「ムリムリムリムリ無い無いグロい怖い!」
たまこ「生命の誕生よ! 感動しないなんてあなたおかしいんじゃないの?」
八軒「それは畜産農家の傲慢だ! 感動とか押し付けんなー!」

もしこれが別の作品だったら、生々しいシーンを少々省いて、牛の出産シーンを感動的な場面として描いたかもしれない。しかし、『銀の匙』という作品の良い所は、安易に感動を押し付けることなく、農業の良い点も悪い点もひっくるめてあるがままの姿を描写し、その中で八軒が感じた素直な気持ちを形にしている所だろう。

なぜこの作品が面白いと支持されるのか? 一般的に"生命"をテーマに扱う作品は、「感動」をウリにする場合が多く、感情移入のポイントも決まっている、言わば紋切り型です。そうでない場合でも、命を扱うというテーマがあまりに重たすぎる為に、読んでてとても暗くなってしまう事がほとんどです。
ところが、『銀の匙』はそのどれにも当てはまりません。"生命"という字に表すだけでも重圧を感じるテーマを、極めて明るく読める、とても稀有な作品である事が面白い理由として挙げられるでしょう。
漫画道場 : 【短評】『銀の匙 Silver Spoon』~泣かない勇吾が見せる"生命"のテーマより引用)

この場面を見て、山口意友の『反「道徳」教育論』(PHP新書)に書かれていたことを思い出した。同書によると、日本では平成5年に空前の立ち会い出産ブームが生じたが、その火付け役となったのは、タレント・山本華世の妊娠から出産までを克明に記録したドキュメンタリー番組「山本かよの妊娠・出産日記スペシャル」だったという。この番組以降、立ち会い出産はごく一般的に行われるようになり、「立ち会い出産=感動」という価値観が広がっていったのだが、山口は実際にテレビで山本の出産シーンを目にした時、次のように感じたという。

分娩室で山本が苦しむ姿、そして陰部から血まみれの赤ちゃんが出てくる姿をまざまざと見せつけられて、正直、気色が悪いと思った。生命の誕生に対する感動などどこかに吹っ飛んでいったことを今でも鮮明に記憶している。
(『反「道徳」教育論』、59P)

山口によると、かつて日本では、排泄やセックスを人に見せないのと同様に、出産シーンを男に見せたくないという「恥の文化」が存在していたという。そして、立ち会い出産は伝統的な「女性の美学」に反するものであると批判している。この意見に賛同できるか否かは置いとくとしても、彼の感じた「気色悪い」という率直な感覚は、分からなくもない。私もはるか昔、テレビで動物の出産シーンを見ていた時に、赤ちゃんが産み落とされると同時に母親の胎内から吹き出してきた大量の赤黒い液体を見て、子ども心に「気持ち悪い」と感じた記憶がある。山口はまた、同書の中で、

感動的なのは生命の誕生という「事象」であってその「シーン」ではない
(『反「道徳」教育論』、64P)

とも述べている。確かに、生命の誕生が感動的・神秘的であるのは間違いない。しかし一方で、八軒や山口が感じた「でもやっぱり出産シーンってグロいよね」という率直な感覚もまた、心の中から湧き上がってくる否定しがたい感情なのだと思う。まさに八軒が言っていたように「答えは一つじゃなくてもいい」のだろう。