新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

『銀の匙』第8話考察―大事なのはミスをしないことではなく、今自分ができる最大限の努力を続けること

これまで八軒は、常に「完璧」を目指して勉強や農作業に努力してきた。良くも悪くも完璧主義な八軒には、「失敗」は決して許されないものだ、という強迫観念のようなものがあったのだろう。しかし、勉強や仕事やその他何であれ、ミスをしない事よりもむしろ、ミスした後の対応や気持ちの切り替えの方が大事なのだ、という事に八軒もようやく気付き始めたようだ。これは、スポーツの世界でも言えることだ。相手に全く隙を見せることなく完封勝利できるピッチャーは確かに素晴らしい。しかし、もっと大事なのは、点を取られた後や、塁にランナーがいる時のピッチングなのではないか。一流のピッチャーは、たとえ点を取られたとしても、そこから上手く立ち直って試合を作っていく。

八軒がパイプを繋ぎ忘れて大量の牛乳を捨てる羽目になった時、御影家の人たちは誰一人として八軒を責めることなく、やってしまったものは仕方ないと気持ちを切り替えて次の作業に移って行った。

ボーっとするな。早くしないと残りの牛が乳房炎になる。悩んでる暇なんて無いんだよ。

またスポーツの例えになるが、ゴルフでバーディーパットを決める時には、皆、自然と緊張するし、絶対にこの一打で決めたいと思う。だが、池とバンカーにはまってしまって、次のパットを入れたとしてもダブルボギー、という場面ではどうだろうか。ゴルフの素人なら、ミスを引きずって「もうどうでもいいや」という気持ちで打ってしまうかもしれない。しかし、バーディーパットもボギーパットも、同じように大事な一打だ。

確かにバーディーパットはエキサイティングです。ボギーパットは入れても嬉しくないかもしれません。
しかし、同じパットに変わりはありません。そこに意味をつけているのは打っている本人なのです。
パットの名手はどんなパットでも同じルーティーンで同じように打ちます。人間ですから、気持ちに波はあるとは思います。しかし、どのパットでも手は抜きません。
そのパットが何打目かによって打ち方が変わったり、やる気が変わってしまう人は、僕がそうであったように、過去を引きずりやすい人、まだ起こっていない先のことを心配ばかりしてしまう人ではないでしょうか。
バーディーパットとボギーパットの打ち方が違う人にパットの名手はいない | ゴルフレッスンより引用)

搾乳時のミスも、ゴルフの池ポチャも、もちろん無いに越したことはない。それでも、そのようなミスが起こってしまった時、「仕方ない」と気持ちを切り替えて、その傷口を最小限に抑えるために出来る限りの努力を尽くす。このような心構えを実践できる人こそ、「プロ」と呼ぶにふさわしい人だと思う。

農業という職業は自然を相手にしている以上、思いがけないトラブルがいつも振りかかってくる。大雨や干ばつ、病気や怪我。別の牧場の牛が何百頭と脱走してくることもある。それでも、落ち込んだり悩んだりする前に、今置かれている状況の中で最大限の努力をしようという精神が、御影のひい婆ちゃんの時代から連綿と受け継がれているのだろう。また、ひい婆ちゃんは次のようにも言っていた。

人間のやることだもの、たまには失敗することもあるっしょ。ただし、命が関わってるときは失敗したらいかんよ。

例えば車の運転にしても、運転中ずっと集中力を切らさずにいることは難しい。でも運転中には、絶対に集中しなければならない、ここでミスすると事故になってしまう、という大事な場面もあって、そういう場面で絶対に失敗しない事こそ重要なのだと思う。運転が上手い人とは、力を抜いて良い場面と、力を入れるべき場面とをきちんと理解している人のことを指すのだろう。

繰り返しになるが、八軒はこれまで、どんな時でも失敗をしないように常に気を張って生きてきた。しかし、人間なのだから失敗するのは当たり前なのだということ、時には体や心を休ませて気を抜くことも大事なのだということを、夏休みのアルバイトを通じて実感したのではないだろうか。人間には、絶対に失敗してはならない場面(例えば、命が関わっている時)というものがあって、その時に最大限の力を発揮できるように、たまには気を緩めてリラックスすることも必要なのだという気付きを得られたに違いない。

アニメ第6話から第8話まで、夏休み中の出来事がずっと描かれてきた。御影牧場での生活、シカの解体、牛の出産シーンの見学、仕事中の失敗。この夏休み中に経験した全てのことが、八軒の今後の人生において、掛け替えのない貴重な経験となったに違いない。