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『銀の匙 2期』第2話考察―八軒の自己犠牲精神と「世界をポジティヴにとらえる才能」について

銀の匙 2期』の第2話は、全体を通して八軒の自己犠牲精神が描かれていましたが、このブログで何度か取り上げた自己犠牲に関する考察が、この第2話を考える上で良い補助線になると思います。

やはり八軒勇吾という男は、『うえきの法則』の植木耕助や『ココロコネクト』の八重樫太一と同様に、自分の不利益が及ぶ可能性を考慮することなく自己犠牲的に行動することのできる、ある種の才能を持っているんだと思います。倒れかかってきた牛から駒場を守ろうとして怪我をした時、八軒は「しょうがないじゃん、動いちゃったんだから!」と言っていましたが、まさにこれは、彼が定言命法的に自己犠牲を行っていることの証拠と言えるでしょう。つまり八軒は、自分が怪我をしたらどうしようとか、面倒事に巻き込まれるのは嫌だなどと思う間もなく、その行動を取ることが正しいからという理由で行動することができるわけです。となると、八軒も自己犠牲的性格、もっと言えばお人好しな性格はどのようにして形成されたのか、という疑問が湧くわけですが、それについて御影さんが重要なことを述べていました。

お父さんからも自分からも、色んなことを押さえつけてきたからじゃないかな。自分がそうだったのが嫌だから、我慢してる人とか困ってる人を放置できないし、自分に出来ることなら、って一生懸命になるんだと思う。

勉強漬けの抑鬱的な生活を強いられていた八軒だからこそ、他人にはそうなってほしくない、困っている人や気持ちが沈んでる人を見ると放っておけない、と強く感じるようになったのだろう、と御影は言っているわけですが、本当にそれだけで八軒の人格形成を説明できるんだろうかと、この第2話を見て強く思いました。確かに、八軒の視点から考えてみると、彼の両親の悪い面ばかりがクローズアップされてしまいますが、実は目に見えないような深いところで、八軒に良い影響を与えていたのも彼の両親なのではないかと。やはり人間は、自分のルーツである親や家族の影響を強く受けて育つ生き物だと思いますが、それは親の悪いところを否定するような形だけでなく、親の良いところを無意識のうちに肯定するような形でも現れてくるんだと思います。例えばペトロニウスさんは、『青空エール』という漫画を考察する中で、次のような事を書かれています。

物理的才能がない場合は、すさまじい苦しみが来て、なかなか結果が出ないという二重の苦しみが長引きますが、世の中には、それを誠実に頑張っ行こう!、そしてそれがもたらす体当たりの体感の喜びを、実感して人の中で巻き込み巻き込まれて生きていくことが「楽しい!!!」と思うとても健康的な人が、いるんですね!!(驚きです)。でも、これって、健康でちゃんと良い家族に育てられた人の基本的な性格なんですよ。(中略)
この努力できる才能が持つ人の、大前提は、ルサンチマンのない家庭に育てられた人である、ということです。これは、親が作り出した「家庭空間」によって担保されるものだからです。単純な話、自己肯定を、承認を、子供のころから無根拠でもらっているので「世界から否定されるわけはない」という気持ちが強く前提にあるんですよ。
『青空エール』 河原和音著 主人公のあこがれに向けて努力する姿に切なさを覚えます - 物語三昧〜できればより深く物語を楽しむためにより引用)

ペトロニウスさんは上の記事の中で、「努力できる才能」のことを「前向きに努力し続けて世界をポジティヴとらえる才能」とも言い換えていますが、『青空エール』のつばさと同様に、八軒もまたこの「世界をポジティヴとらえる才能」を持った人間だと言えるのではないでしょうか。つまり、「努力は必ず報われる」「自分の善意が否定されることはない」という認識を幼い頃からずっと積み重ねて来れたからこそ、努力が報われない状況にある人を助けたいと思えるし、そうする事が正しいと思えるわけです。受験戦争からの脱落という挫折を経験してもなお、世界をポジティヴにとらえることが出来るというのは、ある意味すごいことだと思います。

そして、そういう風に思えるということは、八軒が両親からの無条件の愛情をずっと受けて成長してきたということの証拠でもあるわけです。努力を積み重ねればそれが正当に認められ、人として正しいことをすれば褒められ、逆に悪いことをすれば叱られるという、ある意味当たり前の教育が当たり前に行われていたからこそ、八軒は世界をポジティヴにとらえることができるんですね。*1

ただ、そうした「愛情」が「期待」に変わり、それが八軒にとって「重圧」になっていたという事も紛れもない事実です。そして、とうとう受験戦争の中で人生初の「努力が報われない」という経験をするわけです。これまでずっと「努力は報われる」と教えられてきた八軒にとって、この人生初の挫折は「両親から裏切られる」という経験でもあったのです。今まで言ってきたことと全然違うじゃねえか、と。だからこそ、今の八軒は反抗期真っ只中という感じで両親に反発しているわけです。

しかし、「三つ子の魂百まで」と言われるように、小さい頃から受けてきた両親の愛情が、今の八軒にとってプラスの影響をもたらしているのは揺るぎない事実だと思います。確かに両親には悪い面もあったけれども、それ以上に良い面もあって、それが八軒勇吾という人間の形成に多大な影響をもたらしている。その事実に八軒も少しずつ気付き始めているのではないでしょうか。例えば第1期の第8話で御影家のおじいちゃんが「八軒君の味覚が優れているのは君の両親がちゃんとしたものを食べさせてくれたからだよ」というような事を言って、八軒がハッとなるシーンがありますが、そのような経験を通じて彼は、これまで気付かなかった両親という存在の大きさを自覚しつつあるのだと思います。第2期の後半でも、八軒が両親と再び向き合うことで成長するエピソードが描かれることでしょう。

*1:正直、ペトロニウスさんのいう「ルサンチマンのない家庭」で育てられなければ「世界をポジティヴとらえる」ことはできないという考え方は、個人的に受け入れ難い部分があります。子は親を選べないのに、ルサンチマンのある家庭に生まれた人はどうなるんでしょう。どのような家庭に生まれるかによって、その子供の運命(考え方や性格)が決まってしまうというのは、ちょっと認めたくない話です。しかし最近は、やはり良くも悪くも人間は親の影響を強く受けて成長するのだ、という事実を認めざるを得ないという気もしています。例えば、テレビとかで有名人の両親のエピソード(○○の肝っ玉母ちゃん的なエピソード)とかを聞くと、本当に「この親にしてこの子あり」だなあと思う事が多々あるわけです。極端な話、自分に一流プロ野球選手になれるだけの才能があり、その才能を発揮できる機会に恵まれていたとしても、今の両親のもとに生まれていたらプロ野球選手にはなれなかったでしょう。これはもちろん、私の両親が悪いと言ってるわけではないし、プロ野球選手の親が皆すごいんだと言っているわけでもありませんが、それくらいに親が子に与える影響というものは大きいのではないか、という思いにとらわれることが最近増えました。