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新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

『僕らはみんな河合荘』の律先輩

マンガ

私が『ぼくらはみんな河合荘』という作品を好きな理由の根底には、やっぱり律先輩という強烈なキャラクターを可愛いと思うと同時に、強い親近感を持って見ているという部分があって、それはどういうことかと言うと、要するに律先輩の感じているある種の「生きづらさ」や「息苦しさ」みたいなものに非常に共感を覚えているということなんだと思います。

自覚の有無にかかわらず私たちは、「友人関係とはこうあるべき」「男(女)とはこうあるべき」みたいな世間の空気に常にさらされて生きていて、その空気に逆らってはいけないみたいな強迫観念を持ち続けています。友達と一緒に遊ぶことを楽しいと思うことは「普通」だよね、一人でいるより彼女・彼氏と一緒にいる方が良いと思うのも「当たり前」だよね、という無言の圧力みたいなのがこの社会にはある。そして驚くべきことに、この世間の少なくない割合の人が、自分が「楽しい」と思うことは相手も「楽しい」と思うに違いないと信じて疑わずに、他人にもその楽しい事を強要しようとしてくるんですね(これは本当に驚くべきことです!)。

アニメ第4話の宇佐君がまさに典型例なんですが、この社会には「己の欲する所を人に施せ」という格言に従うことが正しいと本気で信じている人が大勢いて、律先輩みたいな人のところにズカズカと入り込んで行くんですね。宇佐君の場合は律先輩に惚れているので、「いい加減にして!」と怒られても落ち込むだけで済みますが、これが現実世界だと「何この人? こっちは善意で言ってあげたのに」とか思われて、律先輩はますます孤立してしまうんです。

アニメ後半にも出てきた前村さんはまさに、律先輩から見た世間の人々を象徴するようなキャラでした。外見はいたって普通の眼鏡っ子で、とても悪人には見えない。むしろ、読書好きなところなど、律先輩と近い感じすらある。けれども、律先輩の気持ちなどお構いなしにしつこく絡んでくる。彼女がそんなことをする理由は、もちろん自分のためでもあるけど、同時に律先輩のために良かれと思ってやっているんですね。前村さんという人は、自分が相手のためを思ってした行動は100%相手のためになると思っているし、それゆえに自分は相手から感謝されて当然だと信じて疑わないし、そのような行動によって逆に相手が迷惑に思ったり嫌な気持ちになったりするかもしれないという想像力をはたらかせることが出来ないタイプの人なんです。そしてもちろん、このような人はフィクションの中だけにいるのではなく、現実の世界でもありとあらゆる所に存在しています。

何もかもピッタリ合う奴なんていねーよ
「合わない」のが問題じゃなくて
その「合わない」が許容できるか…
近づきたいと思うかどうかだよ
(『僕らはみんな河合荘』、第3巻、P164)

これは律先輩から話を聞いた後の麻弓さんの言葉です。人間どうしだから当然、合う・合わないがある。100%合うということは有り得ない。けれども、合わないからと切り捨てていては友達なんか一生出来ないし、そこは色々と妥協したり、逆に向こうに妥協してもらったりしながら私たちは生活している。でも、律先輩からしたら、どの程度まで許容すればいいのか、あるいは、どの程度許容してもらえばいいのか、その塩梅がよく分からない。人見知りで人になかなか近づけないから、その加減が分からない。分からないから、ますます人に近づけない。この悪循環。そしてもちろん、このような悩みは律先輩だけでなく、多かれ少なかれ全ての人が抱えている悩みであって、特に河合荘の面々はそういう問題に嫌と言うほど付き合ってきた人達だとも言えます。

もちろんタイトル『僕らはみんな河合荘』の通り、つきつめていったら私たちはみんな多かれ少なかれ可哀想、弱っちかったりヘンだったりする存在なんだし、世の中にちょっとぐらいは、お互いそれを認め合える場所があったほうがいいんじゃない?という感覚がこの作品には流れています。
「はみだし者」の存在意義 〜 僕らはみんな河合荘 感想 - ねざめ堂織物店より引用)

最近やたらと、自分が自分でいられる居場所、良き仲間と共に笑い切磋琢磨できる居場所というものを描いた作品が多い気がします。『さくら荘のペットな彼女』『銀の匙』、そして『僕は友達が少ない』。あるいは本作と同じ作者が描いた『恋愛ラボ』もそうだし、『ご注文はうさぎですか?』『ゆゆ式』『けいおん!』のような日常系アニメもそれに近いものが描かれています。そのような作品で描かれる「居場所」は、学校や部活や寮など様々な形をしていますが、世間の常識とはかけ離れている特殊な空間で、それでいて様々な事情を抱えた「異端者」でも快く迎え入れてくれる暖かさがある、という点は共通しているように思います。現実世界の多くの人が、そのような空間を切望しているからこそ、これらの作品群が魅力的に映るんだと思います。