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新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

『ソードアート・オンライン II』第23話と芥川龍之介の『トロッコ』について

ソードアート・オンライン II』の第23話に芥川龍之介の『トロッコ』が登場し、その冒頭部分をユウキが朗読していたが、原作者の川原礫さんもTwitterで次のように述べています。


『トロッコ』を知らない人のために説明すると、主人公は良平という8歳の少年。鉄道の敷設工事に使うトロッコを見て、いつかそれに乗ってみたいと思っていましたが、ある日、2人の親切な土工にお願いして念願のトロッコに乗せてもらいます。もうこの時点で良平はテンションMAXです。上り坂では土工と一緒にトロッコを押し、下り坂ではトロッコに乗って風を受けながら、ミカン畑や竹藪の中を突き進みます。気付けばトロッコはだいぶ遠くの見ず知らずの土地まで来てしまい、良平の顔にも少しずつ不安の色が見え始めます。ちょいちょい、さすがに遠くまで行きすぎとちゃうか? はよ引き返さんと日が暮れてまうで!

夕暮れ時になりトロッコが茶屋の前に止まると、2人の土工は良平に向かって「じゃ、俺たちは向こうに行くんで、気ぃ付けて帰りや」的な軽いノリで別れを告げます。良平の頭の中はそれを聞いてもう大パニックです。えええええぇぇぇぇぇ!!!??? やばいやばい!!!!! こんな遠くから一人で帰れとか無茶ぶりすぎるやろおおおおおおお!!!!!

しかし、もはや泣いてる場合じゃありません。良平は必死の思いで元来た道を引き返します。草履や羽織も脱ぎ捨てて、体中埃まみれの半泣き状態で、一心不乱にとにかく「命さえ助かれば」という気持ちで走り続けます。そうやってなんとか家に辿り着いた良平は、母の腕の中でいつまでも大声を上げて泣き続けていました。・・・・・・

この小説は一般に、知らない道をたった一人で突き進む時の恐怖や不安を、人生の歩みに例えたものだと言われています。しかし、トロッコと違い、人生の道ではその先に家というゴールがあるとは限りません。どこに行き着くのかも分からないまま、たった一人で進んで行くのが人生です。また、この小説は良平という少年の成長を描いたものだとも言えるでしょう。良平が次にトロッコに乗る時には、きっと前よりもちょっと先まで行けるようになるはずです。そのまた次には、もっと先まで行けるでしょう。最初は怖くて仕方がなかった竹藪の道も、いつしか全く怖がることなく進めるようになります。このように少しずつ視野を広げていって、自分の行ける世界を広げていくことが、大人になるということだと思います。

私が芥川龍之介の小説の中で『トロッコ』が一番好きなのは、たぶん、主人公の感じた不安や恐怖、家に帰り着いた時の安堵感などに一番よく感情移入することができるからだと思います。というのも、私自身が子供の頃、これと同じような体験をしたことがあるからです。

私がまだ小さかった頃、両親は私をスイミングスクールに通わせていたのですが、家のすぐ近くのバス停まで母に送り迎えしてもらい、そこからスクールバスに乗ってそのスイミングスクールに行くというのが日課でした。ところがある時、スイミングが終わってスクールバスに乗ったまでは良かったのですが、何かの手違いでそのスクールバスが私が降りるはずのバス停を通り過ぎてしまったのです! 運転手さんがすぐに気付いて私に謝罪した後、数百メートル先の別のバス停で私を降ろしてくれました。バスから降りた瞬間、ようやく私は事の重大さに気付きました。その時の心境は、

(((((((( ;゚Д゚))))))))ガクガクブルブル

こんな感じです。見たことも聞いたこともないバス停で一人取り残された私。当然ですが、いつも迎えに来てくれる母の姿はありません。ほげえええええぇぇぇぇぇ!!!??? いつもと場所が違うやん!!!!! いったいどうすればええんや!!!!!

仕方なく家のある方向に歩き始めた私。小さな川と車道に挟まれた一直線の歩道。途中から小雨まで降り出してきました。恐怖と不安感から心臓はバクバク、顔は半泣きです。その後のことはよく覚えていないのですが、なんとか母に会えた安堵感から涙を流した事はうっすらと覚えています。

私はその後すぐに、父の仕事の都合で別の町に引っ越したため、そのスイミングスクールもやめてしまいました。今では、また別の町の大学院に在籍しています。が、私はどうかすると、全然何の理由もないのに、その時の光景を思い出す事がある。

全然何の理由もないのに?

――塵労に疲れた私の前には今でもやはりその時のように、小雨の降る川沿いの道が、細々と一すじ断続している。