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新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

反恋愛主義の入門書『いでおろーぐ!』

『いでおろーぐ!』の反恋愛主義

かつてジョン・レノンは、国も宗教もない、所有という概念すらもない、皆が平和に暮らす世界を想像してごらんと言った。本作のヒロイン・領家薫なら、それに加えてこう言うだろう。

想像せよ! 恋愛も生殖もない、男女の間に一切の愛は存在せず、それゆえに誰もこの世に生まれず、人類という罪深き存在が滅んでゆく世界を、想像せよ!

領家薫の反恋愛主義は実に過激だ。彼女は、恋愛は幻想にすぎないと言う。恋愛至上主義者は恋愛に金と時間を搾取され続ける被害者だと言う。しかし、洗脳された彼らは「彼氏・彼女のいない人=かわいそう」という幻想に囚われ、自らの首を絞め続けている。我々人類は、恋愛を克服し、良心的繁殖拒否によって自発的に絶滅していかなければならない。彼女の言っていることは最早、反恋愛主義というよりも反出生主義に近い実現不可能な代物だ。それでも、彼女の思想に強い共感を思えたのは、私が根っからの非リア充だからだろうか。これほどの共感を覚えたのはリバタリアニズムに初めて触れた時以来だろう。

反恋愛主義とリバタリアニズム

リバタリアンの考え方は実に単純だ。国家はいかなる道徳的価値も国民に強要してはならないし、他人の人権を侵害しない限りにおいて、人は何をしようが自由であると考える。確かに、他人の自由を多少制限することで社会全体としての利益は向上するかもしれない。しかし、リバタリアンはそんなものクソくらえだと言う。リバタリアニズムでは、個人の自由は他のどんな価値よりも優先される。たとえそれが道徳的・功利主義的に正しくなかったとしても、個人の行動には一切の規制を設けるべきでないと考える。なので、所得の再分配など許さない。政府はできるだけ小さい方が良い。そういう考え方だ。

リバタリアン宣言 (朝日新書)

リバタリアン宣言 (朝日新書)

彼らの言ってることは実に正しい。個人の自由が最大限に尊重され、くだらない因習やしがらみ、圧政の存在しない社会は、さぞ素晴らしいものだろう。だが、彼らの理想が正しかったとしても、それを実際の社会に適用しようとした瞬間に、社会は機能しなくなってしまう。際限のない自由(特に経済活動の自由)のもとで怖ろしいほどの貧富の格差が生まれ、それによって生じた不平等は社会に決定的な破滅をもたらす。それは最早、史上稀に見る大勢の犠牲者を出して共産主義が沈んでいったことと同じくらいに、自明なこととなりつつある。それでも私の中では、リバタリアニズムに対する強い憧れに似た気持ちは無くならない。

領家薫の反恋愛主義も同様である。その過激な思想を忠実に実践したら、瞬く間に社会は終わる。リバタリアニズムなんかとは比べ物にならないようなカオスが世界を満たし、人類は滅びるか、そうでなくても原始時代にまで戻ってしまうだろう。そんな過激な劇薬でも、共感してしまうのだからもうどうしようもない。同志を募り、学校でバレンタインデー中止の一大キャンペーンを張ろうとする領家薫とその信奉者たち。そんな彼らの行動を「そうだそうだ」「いいぞもっとやれ」と心の中で叫びながら応援している自分がいる。

弱者たちの反恋愛主義

何故、私がこれほどまでに彼らの活動に惹かれるのか。それは彼らが皆、多数派の作り出す排他的な「空気」の中で傷つき、自分の中の感情を押し殺して生きてきた「弱者」だったからだ。

恋人と一緒に過ごすことを楽しいと思うことは「普通」だよね、一人でいるより彼女・彼氏と一緒にいる方が良いと思うのも「当たり前」だよね、という無言の圧力がこの社会にはあって、そして驚くべきことに、この社会の中の多くの人が、自分が「楽しい」と思うことは相手も「楽しい」と思うに違いないと信じて疑わずに、他人にもその楽しい事を強要しようとしている。多数派である彼らは、自らの行動によって逆に相手が迷惑に思ったり嫌な気持ちになったりするかもしれないという想像力をはたらかせることが出来ない。このような空気の中で「自分は恋愛なんかしたくない」などと言っても、「またまた~素直じゃないんだから~」などと言われるだけで全く理解されない。それでも叫び続けたら、あっという間に社会から「異端」のレッテルを貼られる。

こんな主張は多数派の側から見れば単なる「ひがみ」に見えるだろう。上等だ。ひがみつらみを口にして何が悪い。少数派がどんなに真っ当な事を言っても、彼らはこう言ってその声を揉み消すのだ。「それはお前の努力が足りないだけだ」「現状に不満があるのはお前だけじゃない」「自分勝手なこと言って和を乱すのは良くない」「空気を読め」

だからこそ、そんな社会を真っ向から否定して、問題点を指摘していこう、自分たちの主張を訴えていこう、と戦っている人達が輝いて見える。これは何も、恋愛に関することだけとは限らない。大勢に流されずに「おかしい」と思う事はきちんと「おかしいんじゃないか!」と主張できる人間になりたいし、そういう人々の声に耳を傾けられる人間になりたい。

反恋愛主義の抱える矛盾

ところが、反恋愛主義の話になると少し状況が変わってくる。

作中では、領家薫が同志を募り、高砂という大切な仲間を得る。敵情視察という名目で、リア充カップルが集まるような場所にも出向く。さらに同志が集まり、彼らは一つの目標(バレンタインデー中止)に向けて一致団結して戦う。あれ? これってもう、「青春」じゃね? 確かに動機や目標は他とかけ離れているけれど、一つのことに懸命に取り組み、その中で仲間との友情を育むその行為は、もはや、彼らがあれほど忌み嫌っていた「青春」そのものではないか!

そうなのである。彼らが反恋愛主義活動に邁進すればするほど、彼らの生活は灰色からバラ色へと変わって行き、リアルは充実していく。ここに反恋愛主義の根本的矛盾が潜んでいるのだ。もちろん本作には、その矛盾を徹底的に突いてくる強力な敵も登場する。自らがあれほど毛嫌いしていたリア充に成り下がり、青春の幸せをつかむのか。それとも、再び自らの感情を押し殺して反恋愛主義を貫き、この矛盾を克服するのか。その二者択一を前にして、領家や高砂は何を思い、そしてどう行動したのか。それは、実際に本作を手に取って確認してみてほしい。

私は以前の記事で『これからの正義の話をしよっ☆』というラノベを紹介した。こちらは、サンデル的な共同体主義に則って、バレンタインデーを中止することは正義に反すると結論付けていた。まさに『いでおろーぐ!』とは対極にある作品だと言えるだろう。両作を比較しながら読んでみることを是非お勧めしたい。