新・怖いくらいに青い空

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著者の巻き起こしたその後の騒動を踏まえた上で、ジェームズ・ワトソン著『DNA』を読むとなかなか面白い

DNA二重らせん構造の発見者の一人、ジェームズ・ワトソン博士が2007年に、黒人差別とも取れる発言をして大問題になったことがありました。

ワトソン氏は2007年10月、新著宣伝のため英国を訪問。英日曜紙サンデー・タイムズのインタビューに対し、「アフリカの人々の知能は私たちと同じという前提で社会政策がつくられているが、すべての知能テストがそうではないことを示している」と発言。
「今後10年内に遺伝子が人間の知能に差をもたらしていることが発見されるだろう」と人種によって知能指数が決定されるという人種差別に当たる持論を堂々と展開した。ワトソン氏の講演を予定していたロンドンの科学博物館は「科学的論争の限界を超えている」として講演会の中止を決定する騒ぎになった。
差別発言でカネに窮したDNA二重らせん発見者 ノーベル賞メダル競売の栄光と転落

しかもその後、ワトソン氏自身も黒人由来の遺伝子を受け継いでいることが分かったという皮肉な報道もなされました。

同博士は科学振興のためにと、5月31日より自身のゲノムを米国立保健研究所(NIH)のデータベース上で公開しているが、それを解析してみたところ、彼のゲノムの16%はアフリカ系黒人の先祖から受け継いだものであることがわかったという。これとは対照的に、ほとんどの欧州白人の場合、黒人遺伝子がゲノムの1%を超えることはないそうだ。
「黒人はバカ」発言のワトソン博士、自身のゲノムの16%は黒人遺伝子である事が判明 | 世界の三面記事・オモロイド

そんな騒動が起こる5年前に、彼の著書『DNA』(原題:The Secret of life)が発売されたのですが、後の事件を踏まえた上で改めて読んでみるとなかなか面白いことになってます。著書の中で、20世紀初頭の非科学的な遺伝学の例として優生学が挙げられているのですが、その中ではラフリンという優生学者について次のように述べられています。

一九三六年、ラフリンはハイゼンベルグ大学から名誉学位を贈られて大いに喜んだ。ハイゼンベルグ大学は、「アメリカの人種政策において先見の明のある代表的な人物」として彼を選んだのである。だが、遅発性のてんかんを発症した彼の晩年は哀れなものだった。彼自身、遺伝的な変質であるという理由から、てんかん患者の断種を行うよう説いてきたのだから。(46P)

う~ん…、まさか5年後に自分がラフリンと同じような状況に置かれるとは思いもしなかったでしょうね。さらに、自身の家系と遺伝子について、こんなことも書かれています。

私はオックスフォード・アンセスターズにDNAサンプルを渡し、mtRNAとY染色体を解析してもらった。残念ながら、私の家系には何らロマンチックでエキゾチックなところはなく、ありふれたスコットランドアイルランド系であることがわかった。私はこの粗野な性格を、バイキングの血が混じったせいにさえできなかったわけである。(331P)

先程の記事と矛盾するような記述ですが、この本が出た後に解析技術が進歩して、より詳細な調査ができるようになったために、黒人の血が入っているという新事実が分かったのでしょうか。他にこんな記述もありました。

私は、すべての人がDNAサンプルを提供すべきだと考えている。 (中略) 私の見るところ、DNAサンプルを提供することによって社会善が向上する可能性は、情報悪用の危険性を大きく上まわる。(367P)

その考えを実践してDNAサンプルを提供した結果、記事にあるような事実が発覚したのですから、確かに「社会善が向上」したと言えるのかもしれないですね。さらにさらに、後の差別発言を暗示するかのような興味深い記述も。

「生まれ」よりも「育ち」が大切だという説明を好む傾向は、古くからの偏見を正すのに役立つため、社会的にも有益だった。しかし残念ながら、今日ではそれが少し行き過ぎてしまっている。 (中略) ひとりひとりを別の人間にするうえで、遺伝子が大きな役割をもつと認めることに対して、根深いところで歪んだ抵抗が存在しているのである。(458P)

まあ、これくらいなら、遺伝子の優劣と人種とを結びつけた発言ではないので、全然許容範囲でしょうね。また、アメリカでは「病院の受付の申込用紙に人種を書き込む欄は無くすべきだ、何故なら、人種によって病院で受ける治療内容が変わってはならないからだ」という意見が出てきているそうですが、それに対して次のように述べています。

もちろん、人種差別は医療を含め、どんな場合にもありうるだろう。だが、いったん医師と対面してしまえば、診断申込書に人種の欄がないことにどれだけの意味があるだろうか。むしろ、診断上意味のある情報を隠すことの危険性のほうが重大だ。特定の民族集団で高率に発生する病気があるのは事実である。アメリカ先住民のピマ族はII型の糖尿病にかかりやすいし、アフリカ系アメリカ人は、アイルランド系アメリカ人に比べてずっと鎌状赤血球貧血にかかりやすい。(461P)

これらの発言だけ見れば、「確かに人種差別はいけないが、人種間の差異が全く無いかのような主張も間違っている」と述べているだけで、差別意識のようなものは見当たらないですね。そして、彼のスタンスが最もよく表れているのが、次の文章でしょう。

これからなされる発見が、「生まれか育ちか(遺伝か環境か)」の論争において。「生まれ(遺伝)」の天秤に重石を加えることにならないとは考えにくい。それを恐ろしいことのように思う人もいるだろう。しかしそれが恐ろしいのは、突き詰めてみれば何の意味もない二分法に凝り固まっている場合だけなのだ。どんな性質であれ(政治的懸念を呼び起こすものでさえ)、そこに遺伝的な基礎があるとわかることは、動かし難い事実を発見することではない。それは単に、「育ち(環境)」がたえず働きかける対象としての「生まれ(遺伝)」の理解が深まったにすぎない。そして環境の働きかけがうまくいくようにするためには、社会として個人として、私たちは遺伝を理解する必要があるのだ。(495P)

つまり彼にとっては、人種間の遺伝的な差異について知るということは、ただ単に人間というものに対する「理解が深まった」というだけの話であり、それがどのような政治的論争を巻き起こすか、公の場でどのように受け取られるか、ということについて十分に考えが及ばなかったのではないかと思いますね。

誤解の無いように言っておきますが、この本自体は「超」が付くほど面白いです。バイオテクノロジーの歴史について非常に分かりやすくまとめられていて、各章に書かれている色々なエピソードもどれも面白いです。そして、全体を通じて中立で公平な記述を心がけつつも、主張すべき点はきちんと主張するというスタンスを貫いているように感じました(唯一、ロザリンド・フランクリンについての記述は色々と賛否両論があるとは思います)。政治的な話題についても、例えば、遺伝子組み換え食品などに反対している過激な活動家や宗教家の行動をナンセンスなものだと批判する一方で、遺伝病研究に関する情報を秘匿し法外な特許使用料を請求するバイオ企業についても常軌を逸した行いだと非難しています。非常にバランス感覚がよくて、この本の内容を見ただけなら、5年後にあんな発言をする人だなんてとても思えませんでした。

DNA

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