最近読んだ2つの本が偶然にも似たようなテーマを扱っていたので、まとめて感想を書くことにする。
うちのクラスの頼りないラスボス
- 作者: 望公太,鈍色玄
- 出版社/メーカー: ホビージャパン
- 発売日: 2012/12/27
- メディア: 平装-文?
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私は、望公太さんの『異能バトルは日常系のなかで』が原作小説もアニメも大好きで、あの速いテンポで繰り出されるギャグとか、中二病特有の「イタさ」の描写とか、漫画やアニメのパロディの絶妙なチョイスとか、そういった全部が自分の好みに合ってる。また、思春期特有の行動パターンが上手く表現されていて、読んでて「くだらねえwwwwwでも超面白えwwwww」っていう感じになる。そうかと思ったら、アニメ第2話みたいな、ギャグからシリアスへの強烈な場面転換が盛り込まれてたりして、なかなか読み応えがある。『うちのクラスの頼りないラスボス』もまた同様に、望公太さんの持ち味が存分に発揮された作品になっているのではないかと思う。
『異能バトル』の方でも、灯代・鳩子・彩弓・千冬がそれぞれに正ヒロイン・幼なじみ・頼れる先輩・ロリっ娘小学生というキャラを「演じる」という感覚をメタ的にとらえる描写があったけれど、本作ではそういったテーマをさらに深く掘り下げているように感じた。私たちは社会から与えられる無数のキャラクターを背負って生きている。そして、私たちが他者というものを認識する時、無意識のうちに、その人に与えられているキャラクターという名の色眼鏡を通して獲得した情報を頼りにしている。本作の学校のシステムは紛れもなく、現実の学校のメタファーとなっている。部活のエース・委員長・生徒会長・学年一の秀才といった無数の肩書き、クラス内ヒエラルキーにおける1軍とか2軍とかいった力関係、そして、いじめなどにも直結する心無いレッテル貼りの数々。私たちは、望む望まないに関わらず、そういった無数のキャラを背負わされ、それを演じるように強いられている。
だからこそ、そういった無言の空気に逆らって戦おうとする物語が爽快に思える。優れた才能を持つ「主人公」だってどこか抜けてる所があっていい。「ラスボス」がか弱くて頼りない少女でも良いじゃないか。人間だもの(みつを)。与えられた「立ち位置」「キャラクター」「肩書き」に合わせて生きるという行為、「百害あって一利なし」とまでは言わないけれど、ちょっと立ち止まって「これって何かおかしくね?」「本来、自分のキャラや立ち位置は自分で決めるべきだろ!」と考え直してみることも必要では? というメッセージが隠されていると思うのは深読みしすぎだろうか。第2巻も手に入ったらすぐに読みたいと思う。
青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない
- 作者: 鴨志田一,溝口ケージ
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/アスキー・メディアワークス
- 発売日: 2014/04/10
- メディア: 文庫
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この作品もまた、社会の作り出す「空気」への反逆がテーマになっていた。主人公・梓川咲太やその妹は、ネット上で根も葉もない噂を立てられ、それを見て深く傷ついた後に、まるで物理的な暴行を受けたかのような傷が体に浮かび上がるという不思議な体験をしている。そんな中、咲太が偶然出会った桜島麻衣先輩は、活動休止中の超有名タレント。芸能活動を再開しようとした矢先に、周りの誰からも認識されなくなるという奇妙な現象が降りかかる。麻衣先輩の存在を無かった事にしようとする無言の空気によって、本当に世界から消し去られつつあった彼女をクライマックスで救い出したのは、その空気を吹き飛ばす咲太の渾身の叫びだった。
ここで描かれているのは、社会の中の「空気」によって「真実」が捻じ曲げられていく恐怖だ。人々の中にある差別意識や無知が生み出す「あの人はこうに違いない」という偏見・思い込み、それが社会の中で拡散され、いつの間にか「事実」となってしまう恐怖。松本サリン事件やスマイリーキクチ事件など、例を挙げればキリが無いが、この情報化社会の中、それは誰の身にも起こり得る現実的な恐怖だと思う。
作中で、サッカー日本代表の勝利を大きく報じるテレビ番組を、主人公が「ああそういえば試合やってたな」的な軽いノリでサラッと受け流してるシーンがあるのだが、実に示唆的な描写だと思う。オリンピックやW杯で毎回発生する異様なフィーバーを見ていれば、上で述べたような「偏見によって作り出された空気が現実になる」という構造が、ナショナルな問題にも直結し得るものだとすぐに気付くだろう。同作者のラノベがアニメ化された時に湧き上がった一連の騒動*1を見てきただけに、尚更そう考えてしまう。第2巻以降についても、いずれ感想を書きたい。