新・怖いくらいに青い空

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反恋愛主義のプロパガンダ小説『いでおろーぐ!』第2巻考察

はじめに

プロパガンダという言葉を辞書で引くと、「宣伝。特に、ある政治的意図のもとに主義や思想を強調する宣伝。」(デジタル大辞泉)とある。

『いでおろーぐ!』第2巻の凄いところは、反恋愛主義を「ネタ」として描くだけでなく、本当に反恋愛主義のプロパガンダとして成立しているところだ。まず第一に、何でもかんでも恋愛に結び付けて考えるリア充どもの浅ましさを戯画化して描いている。そして第二に、恋愛には目もくれず自分の好きなことに没頭する人を美しく描き出している。特に上峰さんと神明さんに関する描写でその傾向が強かった。

映画製作に没頭する上峰さん

主人公・高砂たちの所属する反恋愛主義青年同盟部は、バレンタインデーの攻防に敗れた後、紆余曲折を経て、表向きは風紀委員会として恋愛相談などを行いつつ、秘密裏に反恋愛主義の普及活動に勤しんでいた。そんな折、映画研究部に所属する上峰さんから「部内の3人の先輩からの告白を後腐れなく断る方法を考えてほしい」と相談を受ける。同盟部の部長・領家薫は、告白を諦めさせるために反恋愛主義のプロパガンダ映画を作り、それを卒業前の文化部発表会で上映しようと画策する。

高砂が撮影機材を借りるために映画研究部を訪ねると、上峰が「ちょっと待っててくれますか?」と言って客人そっちのけで作業の続きをやりだす。その後、部室にあったアニメの絵コンテを意気揚々と高砂に見せてきたり、ビデオカメラが壊れてることに気付いて「ざけんな、クソ」などと激昂したりする。どうやら彼女は、映画製作のことになると性格がガラッと変わってしまう人らしい。代わりのビデオカメラを借りるため、近所の大学にいる映画研究部OBのもとへ向かう二人。映画話に花を咲かせる上峰とOBの先輩、そのとなりには、先輩の彼女とおぼしき綺麗な女性がいた。あこがれていた先輩に彼女がいたことを知り、涙を浮かべる上峰。

後日、彼女は高砂に、自分が映画を好きになったきっかけと、OBの先輩への想いを打ち明ける。子どもの頃から特撮が好きだったけど、周りの女の子は誰も見てなくて話が合わなかったこと。その後、映画全般が好きになって、名作を呼ばれる作品を見まくったこと。当時3年生だった先輩の作った作品を見て、映画制作部に入ろうと決めたこと。「自分のその憧れが、だんだんと何か別のものに変質していくのが、嫌で、嫌でたまらなかった」(264頁)こと。先輩が卒業するまで、自分の気持ちを隠し通したこと。高砂は、そんな上峰を見て「最初に抱いていたか弱いイメージとはかけ離れた、いきいきと自分の道を突き進む強い人」(265頁)だと感じた。

そして文化部発表会の日、反恋愛主義青年同盟部が作った映画は反対勢力の妨害工作によってすり替えられ、彼らの計画は大失敗に終わる。しかし、上峰の作った映画は大好評で拍手喝采をうけた。その後、当初の予想通り、3人の先輩から「この中の誰かを選んで付き合っちゃおうぜ」的な告白を受けた上峰は、「ふざけんな!!」と怒りをぶちまける。

「お前らに私の何が分かる! 分かってたまるか!! 『先輩』だ? お前らが何をした? 文化祭のときも、今回だって、三人で駄弁ってたまに私の作ったものを偉そうに批評して……それで、先輩気取りなんて、反吐が出る。私には、先輩なんてひとりしかいないんだ。
ただ何もせず、自分のやりたいこともなく、世間の目を気にして、流行に流されて、『常識』を無批判に受け入れて……それのなにが青春だ!
私は、そんなのは、絶対に嫌だ――そんな居ても居なくても変わらないような空気のような存在になるくらいなら、死んだほうがマシだ!!
私は、これからすごい映画を撮る。今はまだ、ぜんぜん技量が足りないけど……だからこそ、頑張る。頑張って、良い映画を撮るんだ。世界一の、映画監督になるんだ。賞なんて、なんだって獲ってやる。そうしたら……先輩だって、褒めてくれるかもしれない。
だから、私にはそんなことにかまけている暇なんて無いんです。すみません、
さようなら」
(286~287頁)

この絶叫を聞いた領家は感動に打ちひしがれ、上峰の勇気を称える。上峰は、新入部員を勧誘してこれからも映画製作を頑張る、もし新入生が入部して来なかったら高砂に映画製作を手伝ってもらう、と言い残して去って行く。

実は鉄道オタクだった神明さん

これとは別に、意外な趣味に没頭してる人物として描かれていたのが、反恋愛主義青年同盟部のメンバーの一人・神明さんだ。リア充イベントの妨害、および映画撮影という名目で生徒会企画のスキー合宿に参加することになった同盟部。何故か張り切って「移動手段の手配は私に任せて」と言ってくる神明さん。当日も異様に高いテンションで駅の改札を通っていく。実は神明さんは、青春18きっぷで一人旅を楽しむ筋金入りの鉄道オタクで、今回もそれを使って目的地まで鈍行列車で行くのだと言う。神明さんは目を爛々と輝かせて18きっぷについて説明を始める。

「いつもは家族とかと行くんですか? それとも同じ趣味の友人とか……」
「え、ひとりだけど。ひとりで行った方が自由度高くて楽しいよ!」
……なんだか最近、神明さんの意外な一面を見せられることが多い気がする。
(169頁)

その後も彼女は、車窓から見える列車を満面の笑みで見つめたり、まだ乗ったことのない路線に乗るためにスキーそっちのけで単独行動をしたりと、乗り鉄としての本性を曝け出して行く。

彼女たちに共通することは、自分のやりたい事に全力で取り組んでいること、そのためには孤独ですら怖れていないこと、そして、趣味に没頭している時に普段なかなか見せない生き生きとした表情をしていることだろう。彼女たちは恋愛など一切興味がなく、仲間と群れて行動するわけでもないが、自分の趣味に全力をかける彼女らの人生は輝いて見える。これこそがまさに、恋愛こそが至上の価値をもたらすという考え方を180度転換する、巧妙な反恋愛主義のプロパガンダなのだ。

まとめ

恋人とデートしたり仲間と楽しく遊んだりすることで人生は充実していくという価値観に対して、彼女らは真っ向から異を唱える。彼女たちがありのままの自分でいられる場には、恋人もいなければ仲間もいない。そこは基本的に、たった一人で黙々と行動しなければならない孤独な場所だ。にもかかわらず、誰からも邪魔されず自分の趣味に没頭している時の彼女たちは、実に生き生きと輝いていて美しい。特に、他の全てを犠牲にしてでも自分の選んだ孤独な道を突き進んで行きたいという上峰さんの悲壮なまでの決意は、日頃から反恋愛主義活動に励んでいる領家や高砂でさえも到達し得ない崇高さを帯びている。

今回の反恋愛主義青年同盟部は、休日に集まって映画を見に行ったり、映画撮影という名目でスキー合宿に参加したりで、どう考えてもお前らリア充集団やろ、と言いたくなるレベルだった。しかも、プロパガンダ映画の上映も失敗に終わってるし、結局お前ら合宿でイチャイチャしてただけやん。物語上の最大のクライマックスも、明らかに上峰さんが叫ぶシーンだし、これってスキー合宿関係のシーンを一切省いても物語として成立するよね。…という感じでこの第2巻は、どう考えても非常におかしな物語構成になっているのだが、それを補って余りあるほどに上峰と神明さんが魅力的に描かれていた。*1

ここに、第1巻で持ち上がった反恋愛主義の抱える根本的矛盾(反恋愛主義活動に邁進すればするほど逆にリアルが充実していくという矛盾)を解消するヒントが隠されているのかもしれない。すなわち、「恋人を作って充実した毎日を送る」と「孤独で寂しい毎日を送る」の2択ではなく、「恋人が居なくても充実した日々を送ることだって出来るんじゃね?」「たとえ恋人がいなくても、思う存分やりたい事に打ち込めれば、それはそれで幸せなんじゃね?」という第3の選択を提示するということだ。これは、「出家しないと悟りを開けませんよ」的な厳しい戒律のある宗教から、「どんな人でも救われるよ」と説く俗世的な宗教への転換だ。*2

しかし、そうは言っても「傍から見れば領家と高砂って完全にカップルやん!」というツッコミが入るのは当然だし、上峰のようなガチで孤独な道を突き進んでる人と比べれば「あまりにも軟弱!」と批判したくもなる。第3巻以降、彼らの関係はどうなっていくのか、大変気になるところだ。

*1:ここで示唆されている「たとえ世間からスクールカーストの下層にいると見なされていても彼らは彼らなりに青春を謳歌してるし、周囲の目を気にせず自分のやりたい事に熱中できるのは素晴らしいことだよね」的なメッセージは、『さくら荘のペットな彼女』とか『桐島、部活やめるってよ』などの作品にも通じるものがあると感じた。

*2:その点において、やはり本作は、『僕は友達が少ない』や『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』 のような「友達欲しい系」と似たような文脈を持っていると言えるだろう。