新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

『くまみこ』に描かれた現代日本の田舎の闇

見る前はただの萌えアニメと思っていたが全然違った。これは実に考えさせられる作品だ。考えれば考えるほど、熊出村という村はひどい所である。まちに向かってセクハラ発言しまくりのクソじじい。若者とクマに神事を押し付けて自分達は何もせずにのうのうと暮らしてる老害ども。ガスも引けない、コンビニもない、道もまともに整備されてない不便な土地。そんな場所から抜け出して都会に行きたいとまちが願うのは当然だろう。しかし悲しいことに、まちは村での暮らししか知らない。街に出て自分を変えようと頑張ってみても、いつも空回りするばかりで、最後には必ず村に戻ってきてしまう。

極めつけが第6話だろう。ショッピングセンターで強烈な田舎コンプレックスに襲われ、まともに買い物もできず、心も体もボロボロになって村に帰ってきたまち。普通の人ができて当たり前のことができないという恥ずかしさ。このままではいけない、何とかして現状を変えたいという焦り。でも、どんなに頑張っても自分を変えられない、この村に留まり続けるしかないという悲しみ。それらの感情が一気に押し寄せてきて、まちはナツに抱きついて一晩中泣き続ける。それはまるで、こみ上げてくる感情を発散し、代わりに心の中を「諦め」で満たすことで、心の平穏を保とうとする作業のようだ。

そんなまちの姿を見て、彼女の感情が伝染したかのようにナツもまた泣き出す。無限の可能性を秘めた女の子が、未来もない希望もない寂れた村に縛られ、そこから抜け出そうと必死に足掻き苦しんでいる。こんなゴミみたいな村に閉じ込められているせいで、本来まちが得るはずだった幸せが今この瞬間にも失われようとしている。まちのことを誰よりも愛し、彼女の幸せを願っているナツだからこそ、彼女の置かれている状況があまりにも可哀想で、ナツは涙を流さずにはいられないのだろう。

というわけで『くまみこ』は、現代日本の田舎の闇を描き、田舎から必死に抜け出そうとして失敗する少女の悲しみと絶望を描いた作品だったのだ! ……いや、これは冗談ではないですよ。私は割とマジで、こういう風に作品を解釈しています。