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新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

『響け! ユーフォニアム2』第4話と原作小説との比較

みぞれの独白と自己嫌悪

アニメの第4話に全体的に足りないのは、各登場人物から放たれる「毒」と、それが自分や相手を容赦なく傷付けていく様だと思います。第4話にしてようやく明かされるみぞれ先輩の心の叫び。希美のことが大好き、自分には希美しかいない、自分が吹奏楽を続けているのは全て希美のため。希美にとって自分は、大勢いる友達の中の一人で、退部することすら教えてもらえない、取るに足らない軽い存在。そんな事実を思い知らされることがたまらなく辛い! みぞれが見せる希美への強い執着。ここまでは原作もアニメもほとんど同じなんですが、ここから原作では次のような台詞が続きます。

「気持ち悪い。こんなふうに友達に執着するなんて」
「そんなことないです」
久美子は静かに首を横に振った。それ以来、どうしていいかわからなかった。震えていたみぞれの声に、微かな嗚咽が混じる。途切れ途切れの言葉が、久美子の鼓膜を激しくぶつ。
「私は気持ち悪いと思う。自分自身が、気持ち悪い」
彼女は自身の膝へとその顔を埋めた。黒髪が、少女の横顔を完全に遮る。
(第2巻、259ページ)

ああ、みぞれ先輩…。苦しい…ただただ苦しい…。みぞれの放つ毒が希美に届くことはありません。むしろ、みぞれは自分が放つその毒によって苦しんでいるように見えます。こんなにも友達に執着してしまう自分自身が「気持ち悪い」、この強烈な自己嫌悪の言葉があるのとないのでは、やはりシーン全体の印象が変わってくると思います。そして興味深いことに久美子は、この「気持ち悪い」を間髪入れずに否定しているのです。それはきっと、久美子もまた、本当の自分を見せることのできる唯一無二の存在である麗奈に、どうしようもなく執着しているからなのでしょう。

優子の嫉妬と献身

さあ、ここから優子先輩が登場。ここでの彼女の台詞もまた、強力な毒が内包されています。なんで私じゃダメなのか。何も言わずに辞めていった希美なんかよりもずっと、みぞれのことを見てきたのに。こんな風に直接口に出して言うことはありませんが、優子の台詞には確実に、希美への嫉妬という毒が含まれています。けれども優子は、そんな気持ちを心の奥底に沈めて、みぞれがきちんと希美と向き合えるようにエスコートしてくれるのです。アニメ版では、優子によって暗闇から引きずり出されたみぞれが、一人で希美の目の前に立って話し始めていますが、原作ではそこがちょっと違っています。

「きちんと話してみ」
「で、でも、」
「大丈夫、うちがついててあげるから」
優子は力強く断言すると、ずいずいとみぞれを希美のほうに差し出した。みぞれがうろたえたように視線をあちらこちらに巡らせる。彼女の細い指が、落ち着きなさそうに優子のセーラー服の裾をつかんでいる。
(第2巻、265~266ページ)

この場面の素晴らしさ、皆さんお分かりいただけますか? 小説の中のみぞれは、希美に「なんで辞めるとき私を誘わなかった?」と聞いてる間、ずっと優子のセーラー服を掴んでるんですよ。そして、誤解が解けて、良かった、また希美と友達に戻れる、また一緒に部活ができる、と安堵した瞬間、そのセーラー服からみぞれの手が離れるのです! なんてことだ…。優子先輩が可哀想すぎる…。

この描写があるからこそ、その後のあすか先輩の「みぞれちゃんはズルい性格してる」「優子ちゃんは保険」という台詞が活きてくるんですよね。ああ確かに、原作のこの場面を読めば、みぞれは優子を保険としてキープしていて、希美とまた一緒に話せるようになった途端に、優子を切り捨てているように見えなくもない。もちろん、あすかの言ってることは0か100かという極論だし、久美子も「先輩は穿った見方をしすぎ」と言っています。けれども、怖ろしいことに、あすかの言ってることが100%間違ってると断言できる材料はどこにも無いのです。

みぞれの気持ちに気付かない希美

さらに原作とアニメで違うのは、みぞれと再会した後の希美の台詞と、それを聞いている時の久美子の心境です。アニメ版では、希美が「もしかして、仲間外れにされたって思ってた?」と言った後、みぞれが泣きだしてしまい、希美は割と真剣に謝っています。しかし原作では、謝る時の台詞のトーンが全く異なっています。

「もしかして、それでハブられたとか思わせちゃった? ちゃうねんで、そういうんと全然。みぞれのこと嫌いとか、そんなんじゃまったくないから! ごめんな、勘違いさせちゃって」
焦ったように告げる希美の声は、どこまでも軽やかで美しかった。互いに対する熱量が、みぞれと希美ではまったく違うのだ。だから、彼女はこんなにも無邪気な顔ができる。ごめんね、気づかなかったよ。くすぶった過去も、そんな言葉ひとつで片付いてしまう。
べつに、大丈夫。そう、みぞれが小さく首を横に振った。
「勘違いなんて、してない」
「ほんまに? わたし、やばいことやってへん?」
「うん、大丈夫」
みぞれはそう言って、わずかにその目をすがめた。よかったー、と希美がはにかむような笑みをこぼす。その光景に、久美子は静かに目を伏せた。きっとこれから先、みぞれの抱える想いを希美が知ることはないのだろう。そう考えると、少しだけ舌の裏側がざらりとした。
(第2巻、267~268ページ)

この描写、本当に凄いと思いませんか。希美は、自身が放つ毒によってみぞれがずっと苦しんでいたなんて気付かずに、「どこまでも軽やかで美し」い口調のまま話し続けるのです。希美のその軽やかさが、その無邪気さが、あまりにも残酷すぎて、久美子は目を伏せるしかありません。何が「よかったー」だよ! みぞれは1年間もお前のせいで悩んでたんやぞ!

でも、この残酷さを感じてるのはあくまでも久美子(と優子)だけなのです。みぞれ本人はきっと、再び希美と話すことができて、また一緒に音楽ができると分かって、今はただもうそれだけで満足で、演奏の雰囲気までガラッと変わるくらいに舞い上がってしまっている。このままでもいい、ただ一緒にいられるだけで私は幸せ。だから、みぞれは希美に自分の気持ちを伝えることはないし、希美がみぞれの気持ちに気付くこともない。表面的に見ればハッピーエンドなんだけど、実は、二人の間にはまだ大きな断絶がある。こんなどうすることもできない歪さを目にして、久美子もかける言葉が見つからない。

一方、アニメでは希美が、完璧ではないにせよ、みぞれの心情を理解していますよね。何も言わずに退部したことでみぞれを傷付けてしまったという事実に気付いて、ちゃんと真剣に謝っています。なので、「少しだけ舌の裏側がざらりとした」なんていう久美子の複雑な心境が描かれることもありません。

みぞれの謝罪

もう一つ、原作と大きく異なるシーンがあります。それは、みぞれもまた希美に対して「誤解しててごめん」「ずっと避けててごめん」と謝ったことです。希美が無自覚のうちにみぞれを傷付けていたのと同様に、みぞれがずっと希美を避け続けることで希美を傷付けていた可能性は十分にあると思います。だからこそ、あのような謝罪シーンが挿入されたのかなあ、と思います。

と同時に、京アニのスタッフは「そんなに希美が大好きなら、自分から『何で辞めたの』って聞きに行けば良かったんだよ。そして、希美の気持ちはどうであれ、『私は希美と一緒に演奏したい』と我がままを通すべきだったんだ」というような事を言いたいのかなあと、ふと思いました。

もちろん、みぞれがそうしなかったのは、現実を思い知らされるのが怖かったからという理由もありますが、逆に言えば、「そうする必要がなかったから」とも言えるんじゃないでしょうか。つまりみぞれ先輩は、希美が居なくなってからも、それなりに吹奏楽部の活動を楽しんでたんですよ、きっと。優子が言っていたように、部活を続けてこれたのは希美だけが理由ではない。ちゃんと優子という大切な親友と苦悩を共にし、喜びを分かち合っていたんだ。たとえそれが希美のいない間の「保険」だったとしても。

京アニによる改変の意味

要するにアニメ版では、各キャラクターの仕草や言葉の中にある「毒」の成分がかなり希釈されているし、その毒が自分や相手を攻撃していく描写も減らされているのです。京都アニメーションは、時々、こういう原作改変をしてきます。例えば、『氷菓』の第7話では、非常に暗い原作小説のラストを変えて、かなり救いのあるハッピーエンドにしています(関連記事:氷菓 第7話「正体見たり」 感想! - もす!)。映画『聲の形』でも、原作漫画にあるような、目を覆って「うわあ」って言いたくなるようなきつい場面&胸糞セリフが、割と少なめになっています。

では今回、なぜ京アニはみぞれと希美の再開シーンを原作通りにやらなかったのか。おそらく、作品全体の流れやテーマから考えて、このシーンにそこまで深い意味を持たせる必要は無いと判断したんじゃないでしょうか。ぶっちゃげ原作第2巻では、このシーンが実質クライマックスなんじゃね?っていうくらい凄い熱量があります。この作品が切ない百合小説だったなら、誰もが手放しで称賛したでしょう。しかし、この作品全体のテーマとかバランスとかを考えて見た場合には、「う~ん、そこまでこの場面に、熱量をかける必要があるのか?」と疑問を持つ人がいてもおかしくないでしょう。

ただ、誤解とすれ違いの中で苦しみ続けたみぞれとその苦しみに全く気付けない希美という圧倒的な断絶・距離感・温度差、そこから生まれる切なさや言いようのない割り切れなさ、そんな状況を見つめる久美子の複雑な心境、そういった一連の描写は本当に見事なので、それがカットされたのは少し惜しい気もします。

原作小説の持つテーマとは何かとか、実際原作では再会シーンがどんな感じだったのか、について知りたい方は、私が以前書いた記事(『響け! ユーフォニアム』の2年生組の関係性が尊すぎて生きるのがつらい! - 新・怖いくらいに青い空)を読んでもらうといいと思います。

アニメ特有の表現

すでに多くのブログなど(例えば、響け!ユーフォニアム2 4話の感想と光と影の演出に着目して語ってみた - 物語る亀)で指摘されているように、光と影を用いた演出が見事でしたね。教壇の下の暗闇にいるみぞれを、優子が引っ張り上げて光の中へを連れ出していく。この印象的なシーンを入れることで、優子の果たした役割が視覚的にはっきりと分かるようになります。しかし、優子によって救われたみぞれは、すぐに優子のもとを離れて、希美と二人で新しい場所に旅立つのです。ユダヤの民をエジプトから連れ出したモーセが結局最後まで約束の地に辿り着けなかったように、みぞれを救い出した救世主である優子自身は決して救われることはないのです。

そして、これも既に指摘されているとは思いますが、窓枠を巧みに使った表現技法も良かったですね。練習中に再開したみぞれと希美は太い窓枠によって隔てられていますが、それは言うまでもなく2人の間にある「断絶」を表現しているわけです。その後、オーボエを持ってきた希美と怯えるみぞれが再会するシーンでも、十字架に見立てられた神々しい窓枠が2人を隔てています。そして、泣きだしたみぞれのもとに希美が近づくことによって、ようやくこの断絶が解消されるのです!

まあぶっちゃげ、光と影の表現も、窓枠などを使って断絶を表現するのも、京アニに限らずいろんなアニメで使い古されているので、特に目新しさを感じるものではありません。でも、小説の名場面をアニメでしかできない表現で再構成する技法は、さすがとしか言いようがないですね。

それと、細かいところですが、みぞれが久美子に心情を話すシーンで中学時代の回想が入ったのは凄く良かった。これがあるのとないのとでは、台詞の重みが全然違うと思います。