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新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

『月とライカと吸血姫』第1巻感想

月とライカと吸血姫 (ガガガ文庫)

月とライカと吸血姫 (ガガガ文庫)

旧ソ連の宇宙開発

『月とライカと吸血姫』読みました。近年のガガガ文庫の中で最高の作品です。

まず第一に、旧ソ連の宇宙開発を題材にしているのが素晴らしいじゃないですか。本作の舞台はツィルニトラ共和国連邦というソビエト連邦そっくりの国で、アーナック連合王国という国と激しい宇宙開発競争を繰り広げています。共和国連邦は世界初の人工衛星・パールスヌイ1号を打ち上げ、いよいよ次は人を宇宙へ送ろうと試みます。そこで、生物が宇宙空間に行っても大丈夫なのかどうかを確かめるために、吸血鬼の少女・イリナをロケットに乗せてテストを行おうとします。この非人道的なやり方、まさに旧ソ連という感じがしますよね。

これはとある海洋生物学者の講義の受け売りですが、深さ10000メートルの海底を探査しようとした場合、日本やアメリカは12000とか15000メートルの水圧でも耐えられるような頑丈な潜水艦を作るのに対して、ソ連とか中国は10000メートルぎりぎりの潜水艦で「えいやっ!」と潜っちゃうような感じです。アメリカが何度もテストを繰り返して120%安全と分かった上でロケットを飛ばす*1のに対して、旧ソ連は80%か90%くらいでも平気でロケットに人を乗せてたのです。人の命とか人権というものの重みが、日本やアメリカのような民主主義国家とは比べ物にならないくらい軽いのです。とにかくもうトライ&エラーの繰り返し、下手な鉄砲数打てば当たるみたいな世界で、実際にたくさんの人が犠牲になっています。*2

そもそもガガーリンが宇宙に行った時も、成功率は50%くらいだったとかいう話もあるくらいで。どんな犠牲を払ってでも人を宇宙に送り込もうとする執念、これはもう「狂気」と言ってもいいくらいなのですが、その狂気の中で翻弄される人々をライトノベルとして見事に表現したのは、私の知る限り本作だけです。

挿入される史実エピソード

そして第二に、ところどころで挿入される史実を元にしたエピソードが、読者の心をグッと捉えるのです。例えば、主人公・レフが宇宙船の試作機に入る際に靴を脱いだというエピソードがありますが、これは元になったエピソードがあります。人類最初の宇宙飛行士であるガガーリンは、機械に対して敬意を示すためにやはり靴を脱いで試作機に入ったと言われています。

宇宙船に乗ったイリナが地上との交信をする際、宇宙とは何の関係もない料理レシピを暗号として用いていましたが、これも史実に基づいています。ガガーリンが乗る前のテスト飛行では、アメリカに通信傍受されても大丈夫なように無関係な音楽が流されていたようです。そのテスト飛行では、イワン・イワノビッチというマネキン人形が乗せられており、それは本作におけるイリナと同じように、大気圏に突入後にパラシュートで降下し、無事に地上に「帰還」しています。*3

イリナが乗った宇宙船に爆薬が乗せてあったというのも、驚くべきことに史実通りです。犬やマネキンが乗っている宇宙船が誤って敵国領内に落下しそうになった場合、技術が漏えいしないように遠隔操作で爆破できるようになっていたのです。さすがに、人間が乗っている宇宙船にはそのような爆薬は搭載されてなかったようですが。

こんな風に、実際にあったお話を元にして物語が進んでいくので、ソ連の宇宙開発についてよく知った上で本作を読むと、面白さが倍増するのです。

現代の神話

人は何故、宇宙飛行士たちの物語に惹かれるのでしょうか。その理由は、それが単なる物語ではなく、現代の神話とでも言うべきものだからではないでしょうか。ガガーリンが宇宙に飛び立った瞬間、ニール・アームストロングが月に降り立った瞬間、まるで彼らが宇宙に行くことが最初から運命づけられていたかのように、彼らは神話の登場人物となったのです。

イリナもまた、運命に導かれて宇宙へと向かったのです。人類から虐げられ、地球という星に絶望していた少女が、一人の青年と出会うことで変わってゆく。伝承で吸血鬼の故郷とされる月に行きたいというイリナの夢は、いつしか2人の夢になっていました。そんな過酷な運命を背負った者だからこそ、他の誰よりも早く、誰よりも神に近い場所へと行くことができた。誰も到達したことのない宇宙の聖域に入り、神の顔に触れることができた*4のだと、私ははっきりと感じることができました。

『月とライカと吸血姫』の感動的なクライマックス、それを通じて私たちは、作中の世界で神話が創生された瞬間を目撃したのです。しかもそれは、現実世界の神話とは異なり、広く語り継がれることのない、イリナとレフだけが知っている真実の神話となったのです。実にロマンチックではないですか。これが、私が本作を素晴らしいと思う第三の理由です。

ソ連の英雄となったガガーリンは、自由を制限され、再び宇宙へ飛び立つこともなく、1968年、訓練飛行中の事故で亡くなります。宇宙から帰還した後のガガーリンについて見ていくと、イリナとレフの身にこれから降りかかる悲劇を暗示しているようにも思えます。それでもこの2人ならきっと困難を乗り越えられる、笑ってハッピーエンドを迎えることができるはずだ、と強く願わずにはいられません。4月に発売される第2巻も読みたいと思います。

*1:そこまで万全を期しても往々にして事故は起こる。

*2:もちろん、これはあくまでも米ソ冷戦期の話であって、現在のロシアのロケットは非常に安全なものになっている。

*3:作者はあとがきで、イリナのモデルは存在するがそれは人間ではないと述べているが、おそらくこのマネキンがモデルと思われる。

*4:http://www.davidpbrown.co.uk/poetry/john-magee.html