新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

地球外生命について

NASAの地球外生命いるいる詐欺

近年、アメリカ航空宇宙局NASA)は地球外生命に関する緊急記者会見を何度も開いている。その内容と言えば、ヒ素をDNAに取り込む細菌の発見、火星表面で液体の水を発見、地球型惑星を複数持つ恒星の発見などでした。正直、NASAの地球外生命いるいる詐欺には辟易している。

ヒ素を使って生きる細菌の発見は、地球の生物についての理解を深めることには繋がるだろうが、地球外生命とは何の関係もありません(しかも、この発表は後に間違いだったと判明している)。リン酸と糖と塩基からなるDNAを遺伝子として持ってる生物なんて地球上にしか存在しないのであって、それ以外の物質、例えばヒ素などを使って生きてる生物なんて、この広い宇宙には腐るほどいるだろう。NASAが発表するまでもなく当たり前のことだ。

火星表面で液体の水を発見、地球型惑星を複数持つ恒星の発見、これらも「うわ~すごいね~」で終わりだ。地球外生命が存在するという証拠にはなり得ません。純粋な惑星科学の研究としては凄いですが、わざわざNASAが会見を開くほどのことではないように思う。せいぜい、NASAの地球外生命探査により多くの予算をつけるのに役立つくらいだ。

ここまでひどいと「自分は何か大きな見落としをしてるんじゃないか」と思ってしまう。NASAの会見内容には、私がまだ気づいていない重要なポイントがあるんじゃないか…。なので是非とも、宇宙生物学に関する本を読んで、関係者がどのような考えのもとで研究を行っているのかを知りたいと思った。

で、ちょうど良さそうな本を見つけて読んだのだが、宇宙生物学者である著者の言ってることが正直言って全く納得できない。著者の研究は「地球がなぜこれほどまでに多様な生命で満ち溢れているのか」を知る上では意味があると思うが、地球外生命について知る上では全く役に立たないと感じた。

著者の名誉に関わることなので本のタイトルはここでは申し上げないが、本の内容はざっくり言うと次のような感じである。

いまいち納得できない宇宙生物学者の説明

まず著者は、生命が存在するためには「液体」が必要不可欠だろうと述べている。生物を維持するためには多種多様な化学反応が欠かせないので、その反応に使う物質を運搬する「媒体」が必要である、その媒体として気体はあまりにも密度が低すぎ、固体だと動きが遅すぎるので、液体がベストだという理屈である。はっきり言って、「密度が低い」とか「動きが遅い」とかいう表現は全部、人間から見た場合の「感想」でしかない。私には「液体が必要不可欠」という著者の理屈がさっぱり分からない。

さらに著者は、生命が存在するためには「液体の水」が必要であろう、という風に話を進める。生物が利用する「媒体」として水が最適である理由として、この宇宙に普遍的に存在する物質である、高い温度でも液体として存在できる、あらゆる物質を溶解することができる、といった点が挙げられている。しかし、メタンやメタノールといった他の液体を利用する生命がいてもおかしくないのではないか、という疑問も出てくる。ところが著者は、水以外の溶媒の中で生きる生命について考えても思考実験の域を出ないし、もちろんそんな生物が発見されたという報告もないので、とりあえず今は「液体の水」を必要とする地球生命を基準にして考えるしかない、などと言い出す。

これを読んで一気に力が抜けてしまった。「メタンを溶媒にする生物」が確認されていないというのなら、「水を溶媒にする生物」だって地球以外では一切確認されてませんけども…。地球の生物が水を溶媒にしているのは、地球にたまたま水があって、それを利用する方が都合がよかったからだ。それ以外の環境(例えばメタンの海がある星)では、そこの環境に適応した別の生命が誕生する、ただそれだけのことだ。それなのにこの著者は、地球以外のことはよく分からないので、とりあえず地球の基準で考えましょう、としか言わない。はっきり言って、地球本位、人間本位な基準は宇宙では全く通用しないと考えるべきなのでは? と思わざるを得ない。

その後、話は、液体の水が惑星表面にあることは重要か否かという話に移る。地球は惑星表面に液体の水が存在するが、例えばエウロパエンケラドゥスのように、星の内部に液体の水が存在する星というものも考えられる。しかし著者は、そのような星については分からないことが多すぎるので、それはいったん保留にして今後は「地球型」の惑星についてのみ考えることにする、などと言って議論を打ち切ってしまう。要するにここでも、「地球以外のことは分からないから地球を基準にして考えるよ~」と言ってるだけだ。その「わからないこと」を考えるのが学問じゃないのか? 「地球とは全く異なる環境で生命がいるとすれば、それはどのような生命か?」という問いに答えるのが宇宙生物学者の仕事じゃないのか?

著者はその後も、生命が誕生するためにはどのような環境が必要か、について考察していく。中でも、プレートテクトニクスの重要性について詳しく生命がなされている。長くなるので詳細なメカニズムはここでは説明しないが、プレート運動があることによって大気中のCO2濃度および惑星表面の気温が一定に保たれるため、生命が存在できる環境を長く維持する上でプレート運動は非常に重要であるらしい。…うん、プレート運動が重要であるということは分かった。けれども、それが生命にとって必要不可欠であるとは到底思えない。CO2濃度を一定に保つ仕組みは本当にプレート運動だけなのだろうか。そもそも、これは地表に液体の水が存在する惑星でのみ成り立つお話じゃないか。

さらにその後は、大陸の重要性が示唆される。詳しいメカニズムは省略するが、もし地球が全て海に覆われるような星だったら、平均気温は60度から80度にもなるらしい。また、大陸を構成する地殻は花崗岩によってできており、その花崗岩は生命にとって必須な元素であるリンを多く含んでいるという。これも全て、地球本位、人間本位な考え方だ。体がDNAやタンパク質によって構成される地球型生命にとっては大陸が必要不可欠だった、というだけの話であり、地球外生命とは全く関係のない話である。

まとめ

それから先も、酸素の重要性や、太陽系の成り立ち、惑星の大きさについての考察が書かれ、純粋な学問としては興味深い内容もあった。しかし、宇宙にいる生命について理解することは最後まで出来なかった。

もうお分かりだろう。これは宇宙生物学の本ではなく、どこまで行っても地球科学、地球生命に関する本だ。全ての宇宙生物学者がそうだとは思わないが、こんな事を続けていても地球外生命についての理解は深まらないし、ましてや、地球外生命を発見することなど夢のまた夢だと思う。

では、人類はこれから、地球外生命についてどのような戦略を立てて研究していけばいいのだろうか。人類が取り得る選択肢は実質1つしかないと思う。それは、太陽系にある惑星や衛星、例えば火星やエウロパやタイタンを片っ端から探査していくことだ。いくら太陽系外惑星に生命がいるかもと言ったところで現在の技術では探査できないのだから、現実的な場所から調べていくしかない。

もし、火星なりエウロパなりに生命ないしはその痕跡が見つかったのだとすれば、同じ恒星の周りに2つも生命のいる星があったということになり、生命の誕生という現象はこの宇宙でかなり頻繁に起こるものだと分かる。逆に生命が見つからないのだとしたら、やはり地球のような星でないと生命誕生は難しいのかもしれないと推測できる。

宇宙生物学がすべきこととは、火星やエウロパやタイタンといった、地球と全く環境の異なる星にいる生命とはどのようなものか、という問題を考えることだと思う。人類はいずれそれらの星を詳細に探査することになるはずなので、その時に向けて今から準備をしておかなければならないのだ。