新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

『響け! ユーフォニアムシリーズ 立華高校マーチングバンドへようこそ』の佐々木梓さんがヤバすぎて魂が震える!

闇が深いっ! 闇が深すぎるっ!!

いよいよ4月に『劇場版 響け!ユーフォニアム~誓いのフィナーレ~』の公開が迫ってきたので、これを機に『響け! ユーフォニアムシリーズ 立華高校マーチングバンドへようこそ』を読んでみたのですが、まさか、まさか、こんなにも深い闇が存在していたとは…

青春が光だと言うのなら、その背後には必ず闇がある。作者・武田綾乃はその闇をこれでもかと描き出していく。

しかし、それにしても…。もう何なんだろう、この人。

佐々木梓さん、闇深すぎだろ…。

あるブログ(参考記事1)では、梓について、登場人物みんなヤバい奴である『響け! ユーフォニアムシリーズ』の中でも断トツでヤバい奴だと評していますが、私もそれが紛れもない事実だと確信いたしました。

今日は、黄前久美子と並ぶ『響け! ユーフォニアムシリーズ』のもう一人の主人公・佐々木梓について、徹底的に解説していきましょう。

梓と志保

物語は、立華高校吹奏楽部のトロンボーンパートに所属する1年生、佐々木梓、名瀬あみか、戸川志保、的場太一の4人を中心に進行していきます。

本作の主人公である梓は、中学時代は黄前久美子高坂麗奈らと同じ吹奏楽部に所属し、吹奏楽とマーチングの名門・立華高校に進学しました。休日も一心不乱に楽器を吹き続ける練習の虫で、1年生の中ではトップの実力を持っています。

名瀬あみかは、高校から吹奏楽を始めた初心者で、楽器のことを一から懇切丁寧に教えてくれる梓のことをとても慕っています。

一方、戸川志保は、圧倒的な実力を持つ梓を前にして、嫉妬にも似た感情を抱くようになります。さらには、梓が初心者であるあみかの面倒を甲斐甲斐しく見てあげてるのに対して、志保は自分のことで精一杯であみかの事を疎ましく思ってしまい、そういう感情を抱いてしまうことに対しても自己嫌悪の念を募らせていきます。そして、梓が「いい子」であればあるほど自分がどんどん惨めになっていって辛い、という心情を梓に打ち明けます。

それに対して、梓はこう返します。

「べつに、いい子ちゃうよ」
志保の腕の輪郭を指先でたどりながら、梓は告げる。
「うちはね、自分のためにみんなの手助けをしてんの」
頼られてる自分が好きやねん。そうひと息で言い切り、梓は意識的に人当たりのいい笑みを浮かべた。ふうん、と志保は目を逸らしたままつぶやく。(中略)
「私、梓のことちょっとだけわかったような気ぃするわ」
そう微笑む志保は、どこか安堵しているようだった。
(『響け! ユーフォニアムシリーズ 立華高校マーチングバンドへようこそ 前編』、141~142ページ)

「自分のためにみんなの手助けをして」いる、「頼られてる自分が好き」という梓の言葉に「安堵」する志保。この場面は、彼女の心境の変化を絶妙に捉えています。志保は梓と同じく中学時代から吹奏楽をやっていたので、初心者であるあみかを助けてあげなければならない立場にいます。少なくとも、志保自身はそう思っています。しかし、実際にはほぼ梓ひとりであみかを指導するような状態になっています。なので、自分は責任を放棄しているのではないか、自分はとても悪い奴なのではないか、という思いが志保を苦しめていました。

ところが梓は、あみかを助けるのは「自分のため」だと言います。そこに志保は、梓という人物が抱える「ヤバさ」の萌芽を見て取ります。それゆえに志保は、あみかの事をつきっきりで指導できる梓の方が異常なのであって、自分のこの感情はむしろ正常なのだと「安堵」することができたのです。

この時点ではまだ読者には梓のヤバさは見えていませんが、志保はもう既に、梓の心の中にある底知れない闇に気付きつつあるわけですね。では、梓の何がヤバいのか、それはこの場面以降で明らかとなっていきます。

梓とあみか

さて、梓はコンクールのAメンバーに選ばれた後もこれまで同様にあみかを指導しようとします。そんな梓を見かねて志保と太一は、あみかの指導なら他の奴でもできるから梓は自分の練習に専念しろ、と忠告してきます。それを聞いて、梓さんは何故かマジギレ状態に。

「だから、やってるやんか。うちはちゃんと自分のやるべきことやってからあみかに教えてる。文句言われる筋合いなんかない!」
カッと頬に熱が走る。込み上げてきた感情は、怒りというよりは苛立ちだった。声を荒げた梓に、あみかがビクリと身体を震わせる。その目が、太一を捉えた。普段ならば柔和な笑みを浮かべているその唇も、いまはすっかり青ざめている。
「私、梓ちゃんの迷惑かな?」
「あみか、なんで的場に聞くん? うちは迷惑ちゃうって言ってるやん」
(中略)
「佐々木にとっては迷惑やないかもしれん。でも、俺らにとっては迷惑や」
「どうして?」
「このままやと、名瀬は佐々木なしではやっていけへんようになるから」
それのどこがいけないことなのだろうか。だって、梓はあみかから離れるつもりはない。このままでなんの問題もないじゃないか。
(『同 前編』、265~266ページ)

ヤベぇよ、ヤベぇよ…。あみかへの独占欲強すぎだろ…。梓さん怖ぇよ…。彼女の台詞ももちろん怖いのですが、本作で何よりも怖ろしいのは、梓の心境を表している地の文の箇所です。「それのどこがいけないことなのだろうか」「このままでなんの問題もないじゃないか」は流石にヤバすぎる。

さて、日に日に梓への依存度を高めていっているあみかですが、さすがにこのままではヤバいと思い、梓に自分の正直な気持ちを打ち明けます。

「このままじゃ、自分の足で立てなくなっちゃう。家に帰って布団に入ったときにね、思うの。梓ちゃんがいまいなくなったら、私、生きていけないんじゃないかって。それが、怖いんだよ。迷惑をかけすぎて、いつか梓ちゃんに愛想尽かされちゃうんじゃないかって。そしたら、どうしたらいいんだろうって。そればっかり思うの。だって私、なんにも返せない。梓ちゃんは私にいろんなものをくれたのに、私は梓ちゃんになんにもあげられない」
(『同 前編』、284ページ)

中学時代までほとんど友達がいなかったあみかにとって梓は、初めてできた親友で、ずっと一緒にいたいと思える大好きな人です。吹奏楽の初心者だったあみかがここまで挫けずにやってこれたのも、梓がいてくれたおかげです。でも、その梓なしでは生きられないと思い詰めるほどに依存してしまって、梓がいなくなってしまうことへの恐怖や不安や罪悪感で胸が張り裂けそうになっているのが今のあみかです。

彼女と同じような気持ちに苛まれた人は決して少なくないでしょう。自分一人の裁量で自由にできる仕事が増えれば増えるほどストレスは軽減される、という心理学の研究結果があります。もちろん、仕事というものは自分一人では完結しないという側面もあるにはあるのですが、誰かの手を借りなければ何も仕事が進まない、自分一人では何もできないという状況に置かれると、多くの人がかなりのストレスを感じてしまうこともまた事実です。

こんなふうに複雑な感情を抱えて苦しむあみかを前にして、梓はまたしてもとんでもない事を考えています。

「べつに、なんにも返さなくてええねんて。見返りなんて求めてへんから」
与えた言葉は正解だったのか。あみかはそこで黙り込んだ。その後頭部をなでると、彼女はおずおずと顔を上げた。泣いたせいか、その目は赤く充血している。黒い睫毛に縁取られた双眸は、ガラス玉をはめ込んだみたいにキラキラしていた。泣いているあみかの顔が、梓は好きだ。すがるように梓の腕をつかむ、その頼りない手が好き。か弱い彼女は梓を心の底から必要としてくれている。その事実があるだけで、梓は救われる。だから、あみかはこのままでいい。自分の足で立つ必要なんて、これっぽっちもない。
(『同 前編』、284~285ページ)

((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

ここに至ってようやく一つの事実がはっきりとしてきます。この二人の関係は、あみかが梓に依存しているだけでなく、梓もまたあみかに依存しているという共依存関係だということです! 共依存百合…。これはとんでもない事になってきたぞ…。

持つ者と持たざる者

ここで『響け! ユーフォニアムシリーズ』について振り返ってみると、才能ある者とそうでない者、「持つ者」と「持たざる者」との対比、というのが大きなテーマとなっていたことに気付きます。

その中でも、シリーズを通してよく描かれていたのは、「持たざる者」が「持つ者」に向ける嫉妬や、それに付随した自己嫌悪の感情だったように思います。例えば、北宇治高校における希美とみぞれの関係性はまさにそうですし、立華編でも名瀬あみかや高木栞先輩などがそういう感情を抱いているキャラクターとして描かれています。

しかし、本作で中心に据えられているのは、それとは全く逆の感情、すなわち、「持つ者」が「持たざる者」に向ける感情なのではないでしょうか。要するに、人間とは、常に誰かより優位に立ちたいと願う生き物であり、自分より弱い立場の人から頼られたり必要とされたりするのが嬉しくて仕方ない生き物なのです。そして、この幸福感を得ようとして、弱い者への庇護欲や独占欲を際限なく肥大化させていく怖ろしい生き物です。

梓のあみかへの感情もまた、そういった歪んだ庇護欲や独占欲を内包しています。そして、あみかの方もまた、梓から庇護されることによってある種の安心感や幸福感を覚えているでしょう。これらの感情や関係性は、先に述べた嫉妬や自己嫌悪以上にヤバいものです。何故ならば、そこには強い者と弱い者という明確な力の差が存在し、強い方が弱い方の行動をコントロールできてしまうからです。それは、一歩間違えれば、パワハラや洗脳にも結びついてしまう危険性を孕んでいます。

しかし、そんな危険な共依存関係は唐突に終わりを迎えます。

「私、カラーガードを希望することにしたの」
息を呑む。衝撃が全身を支配し、梓から思考する時間を取り上げた。
(中略)
「私、一人で頑張ってみるよ」
こちらを安心させるように、あみかが笑う。屈託のないその笑みが、梓の心臓を締め上げた。あみかの柔らかな唇が、梓に現実を突きつける。
(『同 前編』、336ページ)

梓さん、完全に魂抜けてるじゃねえか! ライザから結婚すると伝えられた時のオーゼンみたいになってんぞ! ヤバい、ヤバい!

こうして梓のもとを離れたあみかは、小川桃花先輩とマンツーマンでカラーガードの特訓を行います。その指導は実に苛烈なもので、ついにあみかは泣き出してしまいます。その様子見て桃花に文句を言いに行こうとした梓を志保が必死に止めます。そして志保は、あみかをいつまでたっても初心者扱いするのはやめろと迫り、さらに梓の心の内を次のように正確に指摘します。

「梓は、頼られたいからってあみかの足を引っ張ってるんちゃうの? ほんまはずっと、あみかに下手くそな初心者のままでいてほしいと思ってるんやろ。自分があの子に頼られたいから」
(『同 後編』、69ページ)

これを聞いて梓さんはイライラを募らせ、さらに志保が「梓がこのままだとあみかだって迷惑だと思う」と言ったところで、梓さん、ついにブチ切れ。

「わかってへんのは志保やろ。うちがあみかのこといちばんわかってる。あみかには、うちがおらんとあかんねんて!」
(『同 後編』、70ページ)

梓さん…。アンタはあみかのお母さんか! いつまでたっても子離れできない過保護な母親みたいになってんじゃねえか…。この梓の態度にさすがに志保もキレて、衝動的に梓をビンタしてしまいます。

ヤバい感情をこじらせていく梓とは対照的に、あみかは着実に梓から巣立っていきます。最初のうちは怒られてばかりだった桃花先輩とも良好な師弟関係が出来始めていて、それを見た梓はまた複雑な思いを抱きます。

ぐすんと鼻をすすっていたあみかが、ゆっくりと顔を上げた。涙に濡れたその瞳には、おそらく目の前の桃花しか映し出されていないだろう。(中略)
「ありがとうございます、桃花先輩」
――ありがとう、梓ちゃん。そううれしそうに笑うあみかの記憶が、梓の脳裏を掠めていく。嫌だな、と漠然と思った。苦々しい感情が、梓の下の上を転がっていく。
(『同 後編』、148ページ)

さあ、ここからが本当の地獄だ。あみかと桃花の師弟関係を見せつけられた梓が、とんでもない暴挙に出ます。

なんと、あみかが一緒に帰ろうと言ってきても梓はやんわりと拒否、学校ではあからさまにあみかを避けるようになり、会話も実によそよそしくなっていったのです!

お前さあ…。マジでさあ…。どんだけあみかを振り回せば気がすむんだよ! この塩対応にショックを隠せないあみかは、最近梓と上手くいっていないと志保に相談しに行きます。

ここまで来るともう、梓という猛犬に振り回される志保と太一が可哀想になってきます。2人は、梓への対処という点では本当によくやってる方だと思います。あみかや梓のために、慎重に言葉を選びながら、梓がしていることが如何にヤバいことなのかを必死に分からせようとしてくれています。

でも、残念ながら、この2人の言葉は全然梓には届かねえんだわ!

「私はあのとき、距離を取れって言ったんであって、心を閉ざせって言ったつもりはないんやけど」
「閉ざしてないよ。さっきだって、普通に話せてたやん」
「あれが普通なわけないやん。もしあれが普通やって思ってるとしたら、梓は無意識のうちにあみかを拒絶してるんやわ」
無意識だとか、そんな理不尽な単語を出されては困ってしまう。反論のしようがないからだ。眉尻を下げた梓に、志保の眉間の皺はますます深くなっていく。
(『同 後編』、195~196ページ)

ここで述べられている通り、事ここに及んでもまだ梓は自分の中にある庇護欲や独占欲を自覚していません。その事を志保に指摘されると「反論のしようがない」とか言って黙ってしまいます。もう、どうすんだよ、これ…。

梓と芹菜

もうしっちゃかめっちゃかな事になりつつある梓とあみかの関係ですが、ここでまた衝撃の事実が発覚!

梓の回想シーンの中で、彼女が中学時代にも同じような過ちを犯していたことが判明します。

中学時代の梓のクラスメイトだった柊木芹菜は、空気を読まずにズバズバと本音を言ってしまう性格が災いして、クラスの中で孤立していました。そんな中、梓だけは芹菜に話しかけ続け、次第に2人は親友と呼べる間柄になっていきます。

2人が親友になってしばらく経つと、芹菜には他にも多くの友達ができていきます。ここで例のごとく、芹菜への感情をこじらせていった梓による「急によそよそしくなる」攻撃が発動! これに怒った芹菜が帰り道で梓を押し倒し、こう詰め寄ります。

「私が気ぃつかんとでも思った?」
こちらを見下ろす芹菜の視線は、ひどく冷ややかだった。雑草についた水滴が、梓の首筋を微かにくすぐる。
「何を、」
「佐々木が私を捨てようとしてるってこと」
(中略)
「私の、何が気にくわへんの。ここまでアンタのこと好きにさせて、やのに気に入らんかったら距離とんの」
こぼれ落ちそうなほど大きな瞳が、夜の海みたいに揺らめいている。目の表面に張られた薄い水の膜は、少し刺激を加えただけで簡単に壊れてしまいそうだった。
(『同 後編』、204~205ページ)

もうね…。本当にね…。

愛が重いっ! エモさが凄いっ!

ヤベえよ、これ…。完全に恋人同士の修羅場じゃねえか…。

続けて芹菜は、梓の心の奥底にある核心部分に切り込んでいきます。

「私がみじめじゃなくなったから、だからもう用済みになったんやろ」
芹菜の細い喉が震える。絞り出された声は掠れていた。
「どうせ、最初から気まぐれやったんやろ。友達ができひんかわいそうな子に、暇潰しぐらいの気持ちでちょっかい出してただけなんや。だから、友達ができた私はもう用済みになった。そうやろ? こんなんやったら、最初から信じひんかったらよかった。そしたら、こんなふうに苦しむこともなかったのに。アンタは初めから、自分の自尊心を満たすために私を利用してただけなんや」
興奮したように、芹菜はそうまくし立てた。その口ぶりは、推測ではなく断定だった。違うよ。そう否定したいのに、唇が凍りついたように動かない。何が彼女をそこまで傷つけたのか。何が彼女をここまで怒らせているのか。梓には理解できなかったからだ。
(『同 後編』、205~206ページ)

「歴史は繰り返す」とよく言われますが、梓があみかにやった事というのは、まさに、中学時代の梓が芹菜に対してやった事と全く同じ。自分より立場が下の人に近づいて、自らの庇護欲と独占欲を募らせた末に、相手が庇護の対象じゃなくなるとサッと離れていく、ということを繰り返しているのです。しかも、その全てを全く無意識のうちにやってのけるのです!

自分の気持ちと向き合う怖さ

そんな梓にも、ついに自分の心と向き合う瞬間が訪れます。梓にとって憧れの先輩である瀬崎未来は、今でこそ部で一番の実力者ですが、入学当初はあみかと同じく初心者で、栞に面倒を見てもらう立場でした。だからこそ彼女はあみかの気持ちをよく理解できるし、今のあみかと梓との関係を、昔の自分と栞との関係に重ねて見ていたのです。そして、優しく梓に語り掛けます。

「あみかだって、きっとそう思ったんやと思うよ。あの子は多分、梓と同じ目線に立ちたいって考えたんやと思う。だから、カラーガードになった。ちゃんと自分の意思で、やりたいことを決めた。けどさ、梓にはそれが怖かったんやろ? 自分が必要とされなくなるのが嫌やった。……違う?」
(中略)
「……先輩の、言うとおりです」
認めた途端、左頬がじんとうずいた。志保に叩かれた場所だった。
「中学生のころ、うちには大好きな友達がいたんです。その子は教室でひとりぼっちで、友達が全然いなくて。でもうちだけには気を許してくれてて。その子が必要としてるのが自分だけだってことが、すっごく気持ちよかった」
(『同 後編』、221ページ)

何故梓はこれほど長い間自分の気持ちに気付けなかったのか。それは、そうすることが自分の中の最も醜い感情と向き合う事に他ならないからです。あみかや芹菜に必要とされていることがたまらなく気持ちいい、そんなヤバい感情が自分の中にあるという事実を認めることが出来なくて、必死に目を背けていたのがこれまでの梓だったのです。

例えるならば、それは、小さい子どもが虫を殺すことに快感を覚えたり、映画やマンガの残虐なシーンに憧れたりするのと同じような、本来であればあってはならない感情、決して他人に明かしてはいけない感情である、という深層心理が梓の心に蓋をしていたのでしょう。

しかし、先輩から指摘される形でついに自分の心と対面した梓は、自分は自己満足のために芹菜やあみかを利用した酷い奴だ、という強い自己嫌悪に陥ります。それに対して、未来先輩はこう言ってのけます。

「利用して何が悪いん?」
予想外の反応に、梓はとっさに顔を上げた。頬の筋肉をこわばらせる梓とは対照的に、彼女の声音は軽やかだった。
「だってさ、友達同士なんてそれでもべつによくない? 互いに得るものがあるならいいやんか」
「ですけど、」
「だいたい、利用するってだけじゃないやろ? 好きじゃないと、そもそもそこまでいろいろやってあげられへんって」
(『同 後編』、223ページ)

我々はよく、たった一つの真実が心のベールによって隠されていて、そのベールを一枚ずつ引き剥がした先で見えてくるものこそが唯一絶対の真実である、というような勘違いをしてしまうことがあります。しかし、人間の心とは果たしてそんなに単純なものなのでしょうか。

例えば、自己犠牲というものを考えてみましょう。有名人がボランティアや募金活動をしているのを売名行為だと言って批判する人が大勢いますが、それは「不純な動機が少しでもあれば、それは自己犠牲じゃない!」みたいな極論に陥った人の思考です。「自分の顔と名前を売り込みたい」という動機と、「困っている人を助けたい」という動機は、決して二律背反なものではないのです。そして、前者のような動機がほんのちょっとでも混ざっていれば、彼の中にある善意は完全否定される、なんていう極論は空虚で無意味なものでしかありません。

梓と芹菜の関係もまた、歪んだ共依存のような関係だと見ることもできれば、本当にお互い大好きだったから一緒にいたと見ることも出来ます。梓があみかに対して抱いていた気持ちも、そこに庇護欲や独占欲があったと取ることも出来るし、ただ単に好きだったからで説明出来たりもします。

こうした未来先輩のアドバイスのおかげで、梓は立ち直り、後にあみかや芹菜と仲直りすることもできました。

あみかと芹菜のヤバさ

さて、これまで延々と梓の中にある庇護欲と独占欲の問題について掘り下げてきましたが、本当にヤバいのは梓だけだったのかと考えてみると、どうも、あみかと芹菜も相当ヤバいぞと言わざるを得ないわけです。

例えば、中学時代に修学旅行の計画を立ててる場面。梓は芹菜から「アンタ」と呼ばれるのが気に食わなかったので「ちゃんと名前で呼んで」と言いますが…

「……佐々木」
「え、まさかの苗字呼び? 名前で呼んでくれへんの?」
「名前は嫌」
そうぴしゃりと言い放ち、芹菜はその目をわずかに細めた。値踏みするように、その視線が梓の友人たちに向けられる。彼女たちは計画を立てるのに夢中になっていて、こちらの視線には気がついていないようだった。
「ほかの子らはさ、みんなアンタのこと名前で呼んでるやんか。だから、私は呼ばない。ほかの子と一緒なんは、嫌やから」
(中略)
「なんかそれ、告白みたい」
「は?」
「ほかの子と一緒にされたくないって、つまりはうちの特別になりたいってことやろ?」
そう問うと、今度こそ芹菜は耳まで赤くなった。その熱を隠すように、芹菜が顔を背ける。
(『同 後編』、139~140ページ)

さらに、梓と芹菜で前髪の話をしている時には…

「うっとうしそうやなとは思っててん。なんで前髪伸ばしてたん?」
「顔、見られたくなかったから」
「なんで? 美人やのにもったいない」
素直な感情を口にしながら、梓は芹菜の前髪を持ち上げた。黒髪の隙間からのぞく瞳が、きょろりとうろたえたように動いた。その顔が、突然ぼっと赤く染まる。火照る頬をごまかすように、芹菜は梓の手を払いのけた。
「佐々木のそういうとこ、めっちゃ質悪いと思う」
「なんで? 思ったこと言ってるだけやのに」
「そういうとこ!」
芹菜が唇をとがらせる。その必死さが可笑しくて、梓はつい噴き出した。
(『同 後編』、177~178ページ)

もうね…、芹菜さん、どんだけ梓のこと大好きなんだよ! しかも、その後、ハサミを取り出して梓に向かって「私の髪切って」とか言い出しますからね、この子は。

芹菜のヤバいところは、普段はクールぶってるのに、梓に何か言われたらすぐ顔に出ちゃうところです。それを隠そうとしてテンパっている姿も、梓さんサイドの庇護欲をそそることでしょう。ホンマ、そういうとこだぞ、柊木。

次、あみかちゃんの番です。

トロンボーンパートの1年生だけで練習している時に、太一と志保が喧嘩しそうな空気になってきたので、梓が気を使って2人ずつに分かれて練習しようと提案します。梓が志保を連れて立ち去ろうとすると、あみかが声をかけてきます。

「待って、」
振り返ると、あみかが必死な面持ちでこちらに手を伸ばしていた。その小さな手が、梓のシャツの袖をつかむ。クン、と後方から引っ張られ、梓は思わず足を止める。
「どうしたん?」
こちらの問いに、あみかは何も言わなかった。彼女の手にこもる力が、よりいっそう強いものとなる。振り返るが、下を向いているあみかの顔は髪に隠れてほとんど見えない。
「……あみか?」
名を呼ぶと、ぐすんと鼻をすする音が聞こえた。まさか、泣いているのだろうか。慌てて振り返ろうとした梓の背に、あみかが額を強く押しつける。すがるようにシャツに指を引っかけ、彼女はささやくような声でつぶやいた。
「待って。私を捨てないで」
「何言うてんの」
その大げさな言い方に梓は思わず苦笑したが、あみかからの返事はなかった。
(『同 前編』、127~128ページ)

何これ? こんなんされたら誰だって母性くすぐられるやん…。梓が居なくなることが怖くて仕方がない、ずっと私のそばにいてほしい、という感じで梓への依存度MAXなのが本当にヤバいです。(この状況のヤバさを自覚していたからこそ、あみかは後にカラーガードに志願したのだとも言えるでしょう。)

はっきり言おう。梓も相当ヤバい奴だけど、あみかと芹菜の方もたいがいだわ。こいつらの行動、尻尾振りながら飼い主のあと追いかけていく子犬じゃん。首輪で繋がれて梓に飼育されたいですっ!っていうオーラ全開になってるやん。

ここで、梓の中学時代の部活動を見てみると、同じトロンボーンパートにいるのは塚本修一、部内でよく話す友人はあの黄前久美子。…うん、どう考えても子犬って感じじゃないわな。ぶっちゃげ、こんな可愛げのない奴らと一緒にいて何が楽しいの?って感じだわ。

その反面、部活を終えて教室に戻るとそこには梓のことが大好きな芹菜が待っていてくれて、高校ではあみかがいつも梓の後ろを付いてきてくれるわけですよ。こんなことされたら、そりゃ、梓も舞い上がってしまいますわ…。これはもう仕方のない事ですよ。

梓と未来

ところで、2人の健気な恋人に囲まれて梓はさぞかし満足しているだろうと思いきや、実は梓の本命は別の人物だったのです! 上でも登場した、同じトロンボーンパート所属の瀬崎未来先輩です。

未来は普段はとても厳しい先輩なのですが、それは意識的に厳しく接しようと努めているだけで、本当はとても繊細な人だということが分かってきます。

「なんか一人で長々と関係ない話しちゃったな。こういううざい先輩にはならんとこうと思ってたんやけどなー、どうにも上手くいかんわ」
「いや、未来先輩に対してうざいと思ったことないですよ。うち、先輩のことめっちゃ好きなんで」
相手の反応がなかったことを不思議に思って顔を上げると、顔を真っ赤にした未来と目が合った。(中略) 彼女は赤い顔を慌てたように両手で隠した。赤くなった耳までは、その手をもってしても隠し切れてはいなかったが。
「先輩、何照れてるんですか」
「そりゃ照れもするよ、面と向かってそんなこと言われたらさ」
未来の足がじたばたと上下する。その仕草があまりにも子供っぽかったものだから、梓はつい口元を綻ばせた。
(『同 後編』、127ページ)

おいおいおいおい! 未来先輩の反応可愛すぎだろ…。どんだけ純情な乙女なんだよ…。

こんな先輩に梓も負けじとガツガツ踏み込んでいきます。

「うちも、未来先輩のことめっちゃ好きです」
(中略)
梓の発した言葉に、未来は顔を赤らめた。照れているのを隠すように、彼女は冗談めいた口調で言う。
「はっはっは、そうでしょ? やっぱりね、こんないい先輩、ほかにはなかなかおらんからね」
「ほんまにそう思います。私、先輩に一生ついていこうって思いました」
「ここで一生を使っちゃうの? 早ない?」
「早くないです」
(『同 後編』、226ページ)

梓…お前マジでどんだけ他人の人生弄べば気がすむんだよ! 未来先輩は高校入ってからずっと部活に打ち込んできて、たぶん恋愛経験とかほとんどないピュアッピュアな女の子やねん。そんな子に向かって「先輩に一生ついていこうって思いました」とか、これもうプロポーズしてんのと同じだから! マジでちゃんと責任とれよ、お前。

この世に、梓×あみか派、梓×芹菜派、そして、梓×未来派という、決して交わることのない3つの派閥が生まれた瞬間である。こうして、また次の世界大戦が始まるのです…。