新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

『僕の心のヤバイやつ』がヤバすぎた

もう1巻読んだ時点で「これ、ヤバいやつや!」ってなる。

中二病的自意識をこじらせた男子中学生の内面をこれほど深く掘り下げていった作品他にあるのだろうか?

ストーリーは、高値の花の美少女・山田と、主人公・市川が、少しずつ親しくなって両思いの関係になっていく、というようなよくある話で、各エピソードもごくごく普通の日常が描かれるだけなのだが。

それに対して市川がモノローグで見せる反応がもう最高に笑えるのである。中二病的自意識全開の市川のフィルターを通して、エピソードが展開していくので、もう面白くないわけがないのだ。

そして何よりこの市川の可愛さと言ったら。

他の大手雑誌に比べてチャンピオンはマイナーなイメージあるけど、時折どかーんとこういう凄い作品を出してくるんですよね(今期アニメ放送中の『放課後ていぼう日誌』もそう)。

『放課後ていぼう日誌』の夏海ちゃん、陽渚のこと大好き過ぎやろ

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再会してすぐに陽渚に抱きついてくる夏海
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陽渚のかわりに自己紹介してあげる夏海
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部長が食べようとした最後の唐揚げを「これは陽渚のぶん!」とか言って死守する夏海
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リールのメンテナンスの仕方を教えてくれる夏海
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「はい!はーい!あたしに任せろ!」とか言って陽渚に疑似餌の作り方を教えてあげる夏海
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エギングの仕方を教えてあげる夏海
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陽渚の後ろに密着してくる夏海
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休日なのに秒速で陽渚がいるところに駆けつけてくれる夏海

いやもう本当にねえ…。

夏海ちゃん、テキトーでガサツな性格してるのに、陽渚のことメッチャ気にかけてて、釣りの仕方とか優しく教えてあげてるのがもう最高。

『ドラえもん のび太の新恐竜』と羽毛恐竜について

藤子・F・不二雄が手がけた作品でも、それ以降の作品でも、ドラえもん映画は常に、その時々の最新の学説を取り入れて子ども達に紹介してきた。その中でも繰り返し登場してきたのが恐竜だった。最初のドラえもん映画『のび太の恐竜』では、当時まだ発見されて10年ちょっとしか経っていないフタバスズキリュウが描かれた。『のび太と竜の騎士』では、恐竜絶滅の最有力仮説となりかけていた巨大隕石衝突説と、恐竜人*1が描かれた。リメイク版の『のび太の恐竜』では、学説の変化に伴って恐竜の名前や姿が変わっていた。そして、最新作『のび太の新恐竜』では、キューとミューという双子の羽毛恐竜を中心に据えて、恐竜から鳥類が進化したという学説が紹介されている。

もちろん、始祖鳥の発見は19世紀の事であり、当時から恐竜と鳥類との関連性は指摘されていたので、恐竜から鳥類が進化したという説は最新の学説とは言い難い。しかし、近年そういった学説が注目された理由は、第一に恐竜と鳥類の中間的な特徴を持つ様々な化石が見つかった事、第二に数多くの羽毛恐竜が発見された事などによる。特に、1996年に中国で発見されたシノダウロプテリクスの化石には尻尾から首までびっしりと羽毛の痕跡が残っていた。また、2012年にはティラノサウルスの仲間が羽毛を持っていたことが明らかとなる。それらの発見によって「実はかなり多くの恐竜が羽毛を持っていた」という事実が明らかとなり、恐竜が鳥類の起源であるという説が最終的に確定し、恐竜と鳥類が非常に近縁な関係にある事が明らかとなった。そうした過程の末に、この学説がついにドラえもん映画のテーマとなる日が来たのだ。

だが、最新の学説を取り入れて行こうという意気込みがある割に、本作で描かれる恐竜絶滅と鳥類進化のシナリオは間違いだらけである。本作を見ると、隕石衝突による熱風によって恐竜が死滅したかのような描写があるが、実際には、そのような事が起こったのは衝突地点の近くだけで、ほとんどの恐竜は衝突で巻き上げられた塵による気候変動によって絶滅していった*2

また、キューとミューが鳥に進化したような説明がされているが、実際には白亜紀前期には既に原生鳥類に近い種が空を飛びまわっていたので、この描写も科学的には明らかに間違いである。そもそも始祖鳥が生きていたのは、映画の舞台となる白亜紀後期よりはるか昔のジュラ紀であるし、始祖鳥より1000万年古い地層からアウロルニスという別種も発見されている。また、現生のカラスによく似たコンフキウソルニス(孔子鳥)という鳥類の化石が白亜紀前期の地層から見つかっている。

また、のび太達の介入によってキュー達の仲間が住む島が守られ、その結果として原生鳥類が誕生したのだという描き方も、進化という現象の本質からは程遠いものだと言わざるを得ない。『竜の騎士』においてのび太達が助けた恐竜が地底人という架空の存在に進化したというのと、『新恐竜』においてのび太達が助けた羽毛恐竜が現存する鳥類に進化したというのとは、似て非なるもの。後者が進化という現象に対して極めて不正確で誤ったメッセージを与えかねないものであるという事は、少し考えれば誰でも理解できるであろう。*3

もちろん、こうした間違いは、製作者が何も考えずにテキトーに脚本を作ったから発生したのではなく、科学的に正しくないことなど重々承知の上であえて間違いを犯しているのである。白亜紀の酸素濃度は現代とは異なるとか、ジュラ紀白亜紀では棲息していた恐竜の種類が違うといった説明が入れられるなど、細かい箇所では科学的に正しい描写となるよう心掛けられている(つまり、本作のスタッフは中生代や恐竜のことを徹底的に調べ上げたうえで製作している)からだ。演出の都合上どうしても必要だからあえて不正確なことを描いたのか? 子ども向けアニメだから多少間違いがあっても許されると思ったのか? でも、子ども向け作品だからこそ正確な描写をすべきだと私は思うのだが。

*1:当時の子ども向け図鑑には「恐竜の中にはとても知能が高いものがいて、彼らがもし絶滅しなかったら恐竜人間に進化していたかもしれない」という仮説が恐竜人間の想像図とともに紹介されていた。

*2:そもそも熱風が地球を覆ったのであれば恐竜以外にもありとあらゆる生物が絶滅しそうであるが、そういうツッコミどころが多い描写を何故してしまったのだろう。

*3:もっとも、ドラえもん達がひみつ道具を使って箱庭的な空間を作り上げ、そこで生物が独自に進化を遂げるというモチーフ自体は数多くのドラえもん映画でも見られ(例えば、『竜の騎士』における聖域、『ねじ巻き都市冒険記』におけるねじまきシティー、『ワンニャン時空伝』におけるワンニャン国)、それが今回も踏襲されたと考えれば興味深いことではあるのだが。

『よふかしのうた』感想

14歳の少年・夜守コウはとある出来事がきっかけで不眠症になり、ある日、夜の町に一人飛び出した。そこで出会った怪しげな吸血鬼・七草ナズナが、コウを夜の世界へと誘いこむ……。

前作『だがしかし』の照りつける太陽のような世界とは一変、暗闇と静寂に包まれた真夜中が舞台。この夜の描写が最高に美しい。不気味に鳴り響くドアの音、静まり返った団地の風景、暗闇の中に煌々と灯る街灯、誰もいない公園。そこで去来する様々な感情。夜の町をわけもなく彷徨い歩く背徳感、昼間のしがらみから解き放たれた開放感、まるで別世界に来たような高揚感。それらが全て、ナズナとコウの関係性、セックスのメタファーとしての吸血という行為に集約されていく。

とにかくこの2人の関係性がエモさの塊なのである。まず夜守コウ君なのだが、ジャージにハーフパンツというラフな格好、華奢な手足、思春期真っ盛りの中二病的自意識、年相応の初々しさ、そんな子がナズナに血を吸われる時に見せる首筋から鎖骨のライン。萌えに性別は関係ない。もう読者はコウ君を見るたびにキュンキュンしっぱなしである。

そして、コウのパートナーである七草ナズナは、『だがしかし』のほたるさんとサヤ師を足して2で割ったようなキャラクター。コウを夜の世界へと誘惑する悪い姉のようでもあり、それでいて初心な一面ものぞかせる。圧巻なのはその衣装。全身を覆う黒いマントの下は、胸部以外ほとんど露出した上半身と、丈の短いショートパンツ、まさに、作者のフェティシズムが思う存分に詰まったキャラクターに仕上がっている。

そんな2人が繰り広げる真夜中のデートは、まさに健全そのもの。いきがって悪い遊びをしているようで実際は健康的。大人の世界に足を踏み入れているようで実は初心で臆病。そんな不思議な関係性。

是非とも眠れない真夜中に読んでほしい作品。

たとえ言葉が刺さらなくても―『響け! ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、決意の最終楽章』感想

響け! ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、決意の最終楽章 後編』が発売されてから間もなく1年が経とうとしている。この節目に本作についての私自身の読み方だったり解釈をまとめておこうと思う。

まず、この最終楽章の最大の見どころは、何と言っても、黄前久美子と黒江真由との間に漂う不穏な空気である。3年生になり晴れて吹奏楽部の部長となった久美子と、3年生で北宇治高校に転校してきた真由。二人の水面下での争い、部活というものに対する考え方の違い、それが、執拗に、何度も、何度も繰り返し描かれる。その中で真由は、まるで呪いの呪文のように、一つの言葉を繰り返し口にする。

「そのオーディションって、辞退とかできないのかな」
「はぁ?」
葉月の声が裏返る。教卓に立っていた緑輝が、かけていた眼鏡をそっと外した。
「真由ちゃんはコンクールに出たくないん?」
「そういうわけじゃないんだけど、私が出ちゃうとひと枠埋まっちゃうでしょう? 北宇治で長くやってる子が優先してコンクールに出場するべきだし、ソロを吹くべきだって思ってる。……おかしいかな」
(『同 前編』、260~261ページ)

「久美子ちゃん、やっぱり私、辞退しようか?」
「オーディションを?」
「だって、ユーフォってだいたい二人くらいじゃない? 私のせいでもし二人のうちのどちらかが落ちたら申し訳ないというか……」
(『同 前編』、306ページ)

「久美子ちゃん、大丈夫?」
隣から聞こえる声に、悪気がないことはわかっている。だが、いまばかりは聞きたくない。平気だとアピールするために、久美子は歯を見せるようにして笑顔を作る。
「大丈夫って、何が?」
「ほら、私がソリになっちゃったし。やっぱり代わったほうが――」
「真由ちゃん、お願いだから二度とそういうこと言わないで」
(『同 後編』、144ページ)

「久美子ちゃんにね、話したいことがあって」
「何かな」
「私、やっぱり次のオーディションは辞退したほうがいいかと思って」
勘弁してくれ、と口から飛び出そうになった悲鳴をすんでのところで抑える。なんと言葉を返すのが正解かわからず、久美子はまじまじと真由の顔を見つめた。真由がそういった発言をするのは、これで何度目かわからない。
「全国の舞台でソロを吹くのは久美子ちゃんでいいと思うんだ、私」
(『同 後編』、248~249ページ)

「今度のオーディション、私ね、やっぱり辞退したほうがいいんじゃないかって思って」
反射的に久美子は自分のこめかみを押さえていた。ドクン、と大きく血管が脈打つ。真由のことはいい子だとわかっている。だが、これ以上は限界だった。込み上げてきた落胆を、久美子は素直に吐き出した。
「どうしてそんなこと言うの、ここまで来て」
「ここまでっていうか、私、ずっと言ってたけどなぁ。辞退したほうがいいんじゃないかって」
(『同 後編』、273~274ページ)

ソロは部長である久美子がやった方がいい、だから私は辞退したい、そう執拗に言い続ける真由。ざっと見ただけで5回である。怖ろしい…。

最初はスルーしていた久美子を業を煮やし、真由を説得しにかかる。

「それでも、私は真由ちゃんと公平にオーディションで競いたいんだよ」
無意識に伸びた手が、真由の腕を捉えた。力を込めると、制服越しに彼女の骨の感触が手のひらに伝わってくる。互いの視線が、まっすぐに交わった。彼女の白い肌が、うっすらと朱に色づく。刺さってくれ、と思った。刹那的に脳裏をよぎったのは、いつかの沙里の横顔だった。
(『同 後編』、277ページ)

この場面を読んで溜息が出た。刺さってくれ。その一言に、久美子の抱える問題が全て集約されている!

北宇治高校に滝先生が赴任し、吹奏楽部は全国大会出場あるいは全国大会金賞を目指す実力主義の集団となった。この滝体制のもとで一番恩恵を受けたのは誰か? 麗奈ではない。麗奈はたとえどんな体制であっても自分を曲げずにトランペットを続けていただろう。最も恩恵を受けたのは、他でもない久美子である。小学生の時からユーフォニアムを演奏しているというアドバンテージを持って、1年生の時からずっとコンクールのメンバーに選ばれてきた。そして、中学時代とは違い、久美子が先輩を押しのけてAに入っても文句を言ってくるような部員はいない。

部員の実力を公平に判定してくれる顧問がいて、部員全員がその判定を尊重して、全力で上を目指していく。久美子はそのような環境こそが居心地の良い、自分の居場所だと思っているのである。だから、その体制に懐疑的になっている部員、その体制から離れようとしている部員がいたら、久美子は必死に説得して、部の体制が変質しないように努めてきた。

「ありがとう、サリーちゃん。いままで頑張ってくれて。サリーちゃんのおかげで百三人、全員いるよ。一年生だって、まだ一人も抜けてない」
「久美子先輩……」
沙里の瞳が光でにじむ。刺さった、と久美子は心のなかで確信した。
(『響け! ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、決意の最終楽章 前編』、215ページ)

義井沙里だけじゃない。田中あすか、鈴木美玲、久石奏。久美子はいつだって、彼女らが望んでいる言葉を発して、彼女達の心を刺してきた。

久美子にとって「刺さる」とは、相手が自分の思い通りの行動を取ってくれる、と同義である。こうして久美子は相手の行動をコントロールして、部内に不協和音が広がることを防いできた。入部当初はただ流されるままに傍観者的な立ち位置にいた彼女は、いつの間にか滝体制の一番の信奉者となり、それを維持しようと努める体制側の人間になっていたのだ。そうすることで久美子は、久美子自身の居場所を守ろうとしていたのだ。

ところが真由にはこのやり方が全く通用しない。久美子の言葉は真由には刺さらない。

久美子が美玲や奏や沙里を説得するのは、干草の山の中から一つのカギを見つけるようなものである。祖のカギとは、中学時代の苦い経験だったり、周りから評価されないことへの憤りだったりする。それを探すのは根気のいる作業だが、カギさえ見つかれば久美子の言葉は簡単に刺さるようになる。
ところが、真由を構成する干草の山には、カギなど一つもないのである。無数の小さな干草が無数に集まって黒江真由という人間を構成している。ただそれだけ。だからこそ久美子がいくら探してもカギは見つからない。久美子はショックを受け、居場所を奪われるという恐怖を覚える。

それでも久美子は、月永求や奏とのやり取り、田中あすか宅への訪問、そして麗奈・秀一との対峙を通して、その恐怖心を払拭していく。

刺さらなくてもいい。久美子の思いどおりの振る舞いなんて、しなくていい。ただ、真由にもわかってほしい。ぶつける感情が、自身のエゴだなんてことくらい自覚している。それでも、久美子は訴えずにはいられなかった。
(『同 後編』、326ページ)

これこそが武田綾乃先生が描こうとした成長の姿なのではないだろうか。3年間努力し続けることや、部長としての責務を果たすこと、それ以上に大きな価値のある成長。

誰かの居場所は、また別の誰かの居場所でもなければならない、そして、その居場所の意味合いは人によって千差万別であるということ。誰も自分の居場所を奪うことなんて出来ない。であるならば、他人のことを分かった気になって行動を意のままに操ることが出来るなんて思うのは、傲慢で己惚れた考え方だ。

その事実に気付けたことこそが、これから教師を目指す久美子にとって何より大きな成長だったのではないだろうか。これは、ただ何となく毎日を過ごすだけだった少女が、高校生になり、大切な仲間と出会い、自分が本当に夢中になれる特別な居場所を見つけていく物語。

というわけで、『響け! ユーフォニアム』、堂々完結である。TVアニメでも描かれた久美子1年生時のエピソード、その奥にある2年生編『リズと青い鳥』『誓いのフィナーレ』の世界、そこからさらに奥へ奥へと突き進んだ先にある『響け! ユーフォニアム』の最深部へ、我々はついに到達したのだ!

だが、これで旅は終わりではない。新たな短編集の発売や最終楽章アニメ化の予定もある。そして何より、この作品を読み返すたびに、これからも新しい発見があることだろう。我々は最深部に辿り着いたというだけで、その余りにも広い最深部のことはまだ何も分かっていないに等しいのだ。