新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

反戦アニメの表現2―『学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD』と不条理について

学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD』(以下『H.O.T.D.』と略)には、残虐でグロテスクな表現が多いとよく耳にしますが、私はそんな風に思ったことはありません。おそらく、アニメで表現できることには限りが有りますから、原作ではもっとグロテスクな表現が沢山あるのでしょう。それは十分承知していますが、少なくともアニメを見る限りにおいては、大してショックを受けるようなことはありませんでした。むしろ、小学校の頃見た『はだしのゲン』の方がよほどショッキングでした。このように感じる理由の一つとして、『H.O.T.D.』には、異常な世界におけるある種の悲壮感みたいなものが欠けていることが挙げられるでしょう。もちろん本作にも、人の死とそれによる悲しみは描かれているのですが、それよりも戦いの中で生じた奇妙な高揚感のようなものの方が強調されていたように思います。

『H.O.T.D.』のテーマとは何でしょう。何もしなくても平和を享受できた現代日本の価値観*1が一瞬にして崩壊し、戦いの中で新しい価値観が創造される様子を描いていることは間違いありません。そこから見えてくるのは、現代日本への警鐘であり、新たな価値感の創造(もしくは古い価値観の破壊)によって生じた高揚感です。つまり、ゾンビの襲来という悲劇をある意味肯定的に描いているわけで、だからこそ、そこには悲壮感も反戦メッセージもありません。戦いを肯定的に描く作品が、本当にグロテスクな表現を生み出せるわけがありません。

そもそも『H.O.T.D.』のような作品の中で「反戦」を掲げることには無理があります。敵がゾンビという交渉不可能な相手である以上、戦いは各種の自然災害と同様に避けられないものです。「戦争は愚かだし止めるべきだ」と言ったところで、何もしなかったらこっちがやられてしまうわけで、やはり反戦のメッセージには説得力が無くなってしまいます。しかし、ゾンビという得体の知れない敵によって人の生命が奪われるという「不条理」そのものにスポットを当てれば、何らかの反戦思想を見出すことができるのではないでしょうか。例えば、『クローバーフィールド』という映画があります。この映画では、ニューヨークの街を襲う巨大な怪獣と、それに襲われ逃げまどう人々の様子を、終始ホームビデオ風の映像にして描かれています。怪獣が現れた理由については何も明かされないまま、ラストで主人公も怪獣に殺されます。『H.O.T.D.』や『クローバーフィールド』で描かれた出来事はあまりにも不条理です。何故ゾンビは現れたのか、何故人が無残に殺されなければならなかったのか、その理由は一切明かされません。

自分が何故死ななければならなかったのか、その理由すら分からずに死ぬという不条理。おそらく、原爆によって亡くなった人や、幼くして戦争や飢餓で死んだ子供にも振りかかった不条理です。兵器(特に大量破壊兵器)によって一般人を殺すということは、そういった不条理を生み出すことに等しいのです。これは、死ぬ覚悟をした上で戦場で死ぬことと同じくらい悲惨なことだと思います。『H.O.T.D.』も、この種の不条理をもっと前面に押し出すことができれば、さらに重厚な作品になったのではないか、と思います。

*1:それは、保守主義者が言うところの一国平和主義や九条至上主義であり、無条件に平和と豊かさを享受できるという勘違いから生じた平和ボケ的精神とも言えるでしょう。