新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

「負の感情」と向き合うということ―『喰霊-零-』私論

とらドラ』『俺妹』『あの花』が感情を公にすることに重きを置いたのに対して、『喰霊』は逆に感情に蓋をすることの方に重きを置いている。妬み・僻み・憎しみといった負の感情は誰にでもあるものであって、それをいちいち問題にしてたら大変なことになる、というテーマで一貫しているのが『喰霊』。

以上は、私がツイッターでつぶやいた内容。やっぱり『とらドラ』『俺妹』『あの花』と『喰霊』は対照的だと思う。両者とも、自分の感情とどう向き合うか、というのが重要なテーマだけど*1、前者の場合は自分の中の「好き」という感情とどう向き合うかが問われていた(そこから派生した嫉妬や嫌悪といった感情は主題ではない)。必然的にこれらの作品では、自分の感情を素直に受け入れ、相手にどう伝えるかが問題となったわけだ。一方、『喰霊』(特にアニメ版の『喰霊-零-』)では、人の「負の感情」に焦点を当てる。黄泉に対するメイ姉さんの嫉妬、神楽に対する黄泉の嫉妬。人の中にある恨み・僻み・妬みといった「負の感情」とどう向き合うのかが問われている。

まず彼女らは、自らの中にある負の感情を否定し、まるでそれが無いかのように振舞う。そこに三途河という少年がやってきて「殺生石」の欠片を与え、負の感情の趣くままに行動することを薦める。そして彼女らは追い詰められ、悪霊と化す。『とらドラ』『俺妹』『あの花』で自分の感情を公にしてそれがハッピーエンドへと繋がっていったのとは全く逆に、『喰霊-零-』では、自身の負の感情に身を任せることで破滅へと向かってゆく。

負の感情を持たない者などいない。敵対関係にある人間同士はもちろん、時には家族・友人・恋人の間であっても、負の感情が芽生えることがある。ちょうど、黄泉が神楽の血統と才能に嫉妬したように。好きという気持ちと嫉妬心との間で、黄泉は葛藤する。黄泉は当初、自分の中にそういった感情があることが許せず苦しんだ。だからいっそのこと、その感情に素直に従ってしまえば良いんだ。このような心情変化によって、神楽との仲は引き裂かれてしまう。

だが、落ち着いて考えてみよう。先に述べたように、負の感情は誰でも持っている。互いに愛し合っている関係であっても、負の感情が生じ得るし、それは仕方のないこと。アニメ最終回で分かったように、神楽と黄泉との間の愛は本物だった。その真の愛が、心の片隅にあるほんのわずかな嫉妬によって「偽り」になってしまうことがあるだろうか。そんなことはない。あるとすればそれは、三途河のような者がやってきてその負の感情を刺激・増幅した時だけだろう。

ここに『喰霊』のテーマがある。「負の感情」は誰にでもある。「負の感情」をはるかに凌駕する愛や友情があるのであれば、それは無かったことにして構わないのだ。もちろん、無かったことにしてはいけない負の感情もある。嫉妬や憎悪は、時に差別や偏見を生む。そういった差別や偏見をなくすために、人々の中にある負の感情と向き合わなければならない場合もある。けれども、負の感情が心の片隅に留まる程度の小さなもので、なおかつ、それを凌駕するほどの愛や友情によって人間関係が円滑に回っているのであれば、それを殊更に強調して問題にする必要など全くないのだ。

*1:それ以外にも、色々テーマはあるが、話すと長くなるので今日は置いておく。