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『ココロコネクト』の思想3―ディスコミュニケーション論の「その先」へ

2月末に『ココロコネクト』の最新巻が発売されるという事で、今から楽しみにしているが、今日はこの作品が描く「絆」の形について述べてみようと思う。

さて、「絆」とは何だろうかと考えた時に、それは「互いの欠点も許容できるほどの強固な関係性」の事だと言えるかもしれない。この世界に欠点のない人間などいないわけで、だからこそ、その欠点もひっくるめて認め合うような関係こそが、理想的な「絆」を築いている状態なのだ、と。相手の欠点を「個性」ととらえて許容してゆくプロセスが、良好な関係を築く上で重要になるわけだけど、ここで一つの疑問が残る。すなわち、許容できるような欠点は、それはもはや欠点ではなく、単なるその人の特徴・個性でしかない、という事だ。むしろ、許容できない欠点の方に目を向ける必要があるのではないか。

例えば第1巻で稲葉は太一に向かって「お前らのことが信用できない」と述べる。これは別に文研部メンバーを嫌っているというわけではなく、神経質な性格のせいで「体を乗っ取られている間に何かされるんじゃないか」という不安がよぎるというだけの話。だから、この不安というものは絆を深めたからといって解消されるようなものではなく、『人格入れ替わり』が起こり続ける以上は避けられないもの。*1 一方、太一の方も、稲葉から「信用できない」と言われたことに対して、はっきりと「ショックだ」と述べている。*2 つまり、稲葉にとっても太一にとっても、相手に対して「許容できない」と感じる部分が残り続けているわけだ。お互いの「欠点」は、許容されて「個性」に変換されるわけではなく、純然と「欠点」のままで在り続けている。

ここに、真の絆を築く上で重要なヒントがある。すなわち、欠点を許容してお互いを理解し合うのではなく、決して理解し合えない部分があるという事を認識することが大事なのではないか。もちろん私は、「許容できない欠点でも相手に合わせて目をつぶれ」みたいな事を言いたいわけではない。むしろ、許容できないことは面と向かって言う、第2巻でテーマになっていたように、対立する事を恐れずに言いたい事は言う、という姿勢が大事になる。

近年の「ディスコミュニケーションの克服」をテーマにした作品としては、『とらドラ!』『俺妹』『あの花』などが挙げられるが、『ココロコネクト』は「ディスコミュニケーションの克服」の「その先」を描いた作品なのだと思う。ディスコミュニケーションを完全に克服する事は不可能で、どう頑張ってみても理解し合えない部分というのは絶対にある。その「理解し合えない」という事実を認めた上で、それでもなお絆を深めてゆこうという姿勢こそが今求められている。克服すべきはディスコミュニケーションではなく、「ディスコミュニケーションの克服を目指すべきだ」という幻想―ディスコミュニケーション論なのだ。

では、ディスコミュニケーション論を超えた真の絆を築く上で一番重要になるものとは何だろうか。たぶんそれは、空間的・時間的な「共有」の感覚なんだと思う。どうしても許容できない部分が絆にヒビを入れるような事があって、それでもなお絆を維持したいと立ち戻って考えた時に、そこにあるのは同じ時間、同じ場所で、同じ体験を共有したという事実に他ならない。第4巻で伊織が「私は、皆が思ってるような人間じゃない」と言い、太一らが「それでも友達でいたい」と言い返した時、彼らは5人が同じ時間・場所・体験を共有するという事実それ自体を肯定していた。そこでは「相手の期待に添う」とか「理解し合う」というものは二の次でしかない。ただ5人で一緒に居るということこそが重要なのだ。

以上のようなことから、『ココロコネクト』では、他の作品で描かれる「絆」よりも一歩踏み込んだ、より深い「絆」が描かれていると思う。2月末の最新巻では、後輩2人も含めて、より一層、そういった「一歩踏み込んだ絆」―ディスコミュニケーション論の「その先」―にスポットが当てられるのだろうと期待している。

*1:稲葉がこの悩みを打ち明けて元気になったのも、不安感が解消されたからじゃなくて、「友達を信用できない自分が嫌いだ」と自己嫌悪に陥っていたのを、伊織から「それは単なる心配性だ」と言われて気が楽になったから、というのが大きい。

*2:もちろんその後に、「だからと言って、稲葉を嫌いになったわけではない」とフォローはしているが。