新・怖いくらいに青い空

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『ココロコネクト ユメランダム』私論―「能力の行使」と「自分の意志を持つこと」

はじめに

ココロコネクト ユメランダム (ファミ通文庫)

ココロコネクト ユメランダム (ファミ通文庫)

アニメ版のキャストも決まり、いよいよ盛り上がってきた『ココロコネクト』だが、今日はその最新巻である『ココロコネクト ユメランダム』について考察しよう。今回、山星高校文研部のメンバーに振りかかるのは『夢中透視』という現象で、他人の夢(一時的な願望から将来の夢まで様々なもの)をランダムに知ることができる。ただし、知ることができるのは、山星高校の生徒の夢だけであり、なおかつ文研部メンバーどうしの夢は見ることはできない。

ここからも分かるように、本作品の物語の範囲は、巻が進むにつれて拡大している。第1巻では、物語の範囲は基本的に文研部5人の間に限られている。これは第2巻でも同様だが、学級委員長である藤島が作中で重要なアドバイスをするなど、若干物語の範囲が拡大している。さらに第3巻および第4巻では、メンバーの家庭の問題を解決したり、文研部の敵となる生徒が登場するなど、物語は徐々に外に開けてゆく。短編集を挟んだ後の第6巻では、後輩メンバー2人が入部しただけでなく、物語の主眼も「自分を変えること」から「世界を変えること」に移ってゆく。今回の『夢中透視』も、手にした能力を(文研部以外の)他者のために使うという事の是非が問われた。

今回の現象を上手く使えば、困っている人を助けることができる。太一と唯は、この能力を使って積極的に人助けをしてゆくべきだと主張し、実際にこの能力を使って同級生らの恋愛相談に乗ったりする。一方、稲葉と青木はこの能力を利用する事に大反対し、両者の溝はどんどん深まってゆく。

第1巻の頃から指摘されていたように、太一は困ってる人を見ると助けずにはいられない性格で、稲葉からは「自己犠牲野郎」と言われてバカにされている。だからこそ、太一は『夢中透視』を使わずにはいられない。もちろん、この能力の使い方を間違えると大変なことになるが、そこは慎重に判断して本当に「正しい」と思う時しか能力を使わないと心に決める。一方、稲葉は、そもそも何が正しくて何が間違ってるかを自分達が判断することは出来ないし、良かれと思って使った能力が巡り巡って誰かを傷つけてしまう危険性もあると指摘する。

さて、この「超常的な能力を他者のために行使することの是非」という問題については、色々な作品で語られている。以下では『うえきの法則』『もっけ』という2つの漫画作品を見て、それを基にして『ココロコネクト ユメランダム』の考察を行おう。

『うえきの法則』の場合

太一の自己犠牲精神について考えると、必然的に『うえきの法則』の主人公・植木耕助との共通点を見出すに至る。植木の場合も、やはり他人を助けずにはいられない性格で、そのために自分の命を危険にさらす事もよくある(関連:『うえきの法則』とカント哲学について―何が道徳的に「正しい」のか - 新・怖いくらいに青い空)。しかし、ヒロイン・森あいは、植木に助けられてばかりで自分は何も出来ないということに引け目を感じてしまい、次のように叫ぶ。

何が“他人のため”よ!!
あんたの勝手な考え方、ヒトに押しつけないでよ!*1

で、物語のクライマックスでは、植木が極めて重大な自己犠牲を伴う決断を下すことになって、それに対して周囲は反対するんだけど、結局植木は自らが犠牲になる決断を下す。その時に森あいに言った言葉が次のようなものだった。

森…そういやお前にも言われたっけ。「何が他人のためだ」…「お前の勝手な考え、人におしつけるな」って…
ごめんな。やっぱ直んねーわ コレ。*2

つまり、このような「他人のために何かしたい」という性格は治らない病気みたいなもので、どうしたって自己を犠牲にする選択をしてしまうのだと言っているわけだ。

そもそも『うえきの法則』に限らず、王道バトル物の作品というのは、登場人物が能力を仲間のため、あるいは他者のために行使することで物語が回っていると言えるだろう。これは広義に言えば、「超常的な能力を他者のために行使することの是非」という問題に対して、明らかに「是」という立場を取っているわけだ。

そしてもう一つ付け加えると、こういった自己犠牲は相手のためというよりも、ただ自分がそうしたいからそうしているだけなんだ、という事が結構色んな作品で言われている。『ココロコネクト』もそれは例外ではない。太一も第1巻の時点で次のように述べている。

俺は目の前で誰かが傷ついているのを見るのが嫌なんだよっ! 誰かが傷ついたり、苦しんだり、嫌がったりしているとその痛みを想像してしまう……。 (中略) だから俺は誰のためにやってるんでもない……俺のために『自己犠牲』をやってるんだっ!*3

これは自己犠牲というものに永遠に付きまとう矛盾ではあるんだけど、とりあえず「相手のためというよりむしろ自分がそうしたいから」という理由が非常に多用されているわけだ。

もっけ』の場合

上で述べたように、多くのバトル物の作品の根底には、「能力を使って他人を助ける」という構造がある。しかし、こういった行為が必ずしも良い結果をもたらすとは限らないよ、と述べられている作品も存在する。その代表例が『もっけ』になる。

この作品の主人公は静流・瑞生の姉妹で、彼女達は妖怪の姿を見たり、声を聞いたりする事ができる。また、彼女達の祖父は、人に取りついた悪霊を追い払う退魔師のような仕事もしている。ある日静流は、友達の兄が悪霊に取りつかれている事を知って、その事を祖父に相談する。霊を追い祓うためには、取りつかれている本人と会って除霊儀式とカウンセリングみたいな事をしなければならないが、祖父はその事に慎重な発言をする。

散々言ってきた事だぜ静流 この仕事はなァ デリケートなモンなんだ
あんまり奴らにちょっかい出しちまうとな 奴らから目ェつけられて仕事しにくくなる
締めると緩めるの加減が必要なんだよ
それに 不用意に祓って逆により悪ィモンを呼んじまう事だってあるんだ
だから俺は頼まれなきゃやらねェし 分が悪きゃあ退く
どうしても祓う事のできねェ 祓っちゃいけねェ奴も居る
そういう奴に関しちゃ引き受ける事もしねェ
仲介人として分を弁えてなきゃ この仕事は立ち行かねェんだよ*4

超常的な能力を行使する以上は、それを行使したことによる悪影響がないかといった点まで考慮して、慎重に判断する必要がある。「助けたい」「何とかしたい」という気持ちだけで単純に判断するのは危険だ。祖父が言っているのは、まさにそういう事だろう。

結局、どっちが正しいかは時と場合による

で、話を『ココロコネクト』に戻して結論から言うと、太一と唯による人助けは完全に失敗に終わることになる。詳しいことは実際に小説を読んでもらうと分かるけど、太一らが主体性もなく他人の頼み事を聞いているうちに、事態がどんどんエスカレートしていって、その結果、太一らの行動によって傷ついたり迷惑を被ったりする人が出てきてしまう。太一と唯は自らの過ちに気付いて反省することになるわけだけど、ここで注意しなければならないのは、作中で「能力の行使」が全否定されているわけではないという点だ。「他人を助けるべきか否か」という問題に対する答えは、やはり「時と場合による」としか言えないし、どっちが正しいかという問題でもない。

例えば、青木の父親が痴漢の疑いをかけられて会社を辞めさせられそうになって、太一と唯が能力を使って冤罪である事を証明する場面がある。太一らのおかげで青木とその家族は救われたわけだけど、その代わりに別の人間に不利益が及んでしまう(青木によると、彼の父親の会社は元々リストラ要員を探していたらしく、父親が会社を辞めなかったら、代わりに別の誰かがリストラされるだろう、という事らしい)。能力を行使した太一らに稲葉はマジギレするんだけど、必ずしも太一らが間違っていたとは言い切れないところがある。誰だって、赤の他人よりも、自分やその周囲の人間の利益のために行動しているわけだから、太一らが青木とその家族の利益しか考えずに行動したとしても、それがすぐに非難すべき事だと言えるわけではない。

そもそも稲葉側は、太一らとの対話を一切拒否し、能力を使う事は間違ってると断定してしまっているわけで、そういった頭ごなしな対応にも問題が無かったとは言えないだろう。実際、太一らが能力を使った事によって、非常に良い結果をもたらしたケースもあった。繰り返すけど、能力を使うべきか否かという問題は、どちらが正しいかを単純に決められる問題ではない。それでも太一らが能力を使った事を反省する結果になったのは、能力の行使すること自体が間違っていたのではなくて、そのやり方や心構えに問題があったからだ。それについては次で詳しく述べる。

自分の頭で考えるということ

太一はこれまで、自分の自己犠牲精神というものは、自分では制御できないものだと考えていた。『うえきの法則』の植木耕助と同様に、「直らない」ものだと。しかし、伊織ははっきりと「ぶっちゃけ、思い込んでいるだけじゃないの?」*5と言い切る。これは言うまでもなく、第1巻の時点で太一が伊織・稲葉に対して言った事と同じだ。物語の前半で主人公が与えた言葉が、物語の後半でその相手から返って来る、という構図。これは『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』の構造と似ている。第1巻で京介の献身が桐乃を救ったのと同じように、第8巻では桐乃の献身が京介を救う。

で、伊織のアドバイスを受けて自分を見つめ直した太一は、結局のところ、自分の意志・思想・信条と呼べるものが存在していなかった事が問題ではないか、という結論に至る。

自分のために自己犠牲をやっている。それにはあの『人格入れ替わり』の時気づいた。
でもそれはそういう性格が自分にあるからだと、それだけの理由だと、そこで思考停止していた。もう一つの理由を見極め切れていなかった。
それを今発見する。自分の空白を埋めるため、人を助けることで、誰かを助けられる自分には価値があると見いだそうとしていた。*6

自分の意志・思想・信条というものがないから不安になる。けど、自己犠牲をやっているうちは、「誰かが望んでいるから」「誰かが願っているから」という仮の理由が得られるから安心できる。太一の自己犠牲精神の裏にあるのは、まさにこういう精神構造だったわけだ。

今回太一が失敗したのも、「誰かが望んでいるから」「誰かが願っているから」という理由で能力を行使してしまったからだ。自分で正しいと思う事を考えずに、ただ人に流されるままに能力を行使したせいで、最後には歯止めが利かなくなって予期せぬ結果を招いてしまった。もし、本当に能力を人のために使いたいのなら、自分の頭で考える作業を疎かにしてはいけなかった。

だって『マイナス』を『マイナスじゃなくす』ことは間違いなく正しいのだ。たとえ考えなくても、『自分』がなくてもそれはわかる。
だが『ゼロ』から『プラス』にする際は? それは自分にはできることじゃなかった。なぜなら、進むべき方向は、無限にあるからだ。その選択肢の中でどれを選ぶか。それは自分で決めるしかない。『自分』がないと決められない。*7

レストランの経営について考えてみれば分かりやすい。より良い店にするためにはどうすればいいか。「値段を下げる」「味を良くする」「店の雰囲気を良くする」といった方向性の中から全てを選択することは不可能だ。客の要望を全て聞き入れることも出来ない。やはり経営者や店長・店員が「どういう店を目指すべきか」という明確な指針を掲げて、それに沿って改善をしていくしかない。

結局のところ、今回の件で文研部のメンバー(特に太一)が学んだのは、「自分の信念を持つこと」「誰かに判断を任せないこと」「自分の意志で進むこと」*8の重要性だった。それがないと、上で述べたように「ゼロをプラスにする」ことは出来ないし、何より周囲の人に余計な不安を与えてしまう。稲葉からすれば、太一が本心から望んで自分と付き合っているのか(本当は、稲葉が望んでるから付き合ってるだけなのでは?)、という不安がよぎるわけだ。第7巻のクライマックスで、太一が自ら考えて「俺の彼女でいて欲しい」と伝えたことで、稲葉の不安はようやく解消される。

まとめ

ココロコネクト』に書かれているのは、仲間の間で対立やディスコミュニケーションが生じた時の対処法だ。それについて、私はこれまで3つの記事を書いて考察してきた。

さてその中で、前回の第6巻からは「世界を変えたいと思ったのなら、まずは自分からアクションを起こせ」という格言が見出されたわけだけど、今回の第7巻は、それをさらに発展させた形になっていることが分かる。確かに自分からアクションを起こすことは大事だけど、そのためには自分の意志を明確にしておかなければならないよね、と。

例えば、仲間の間で意見の対立が起こった時に、自分の意志を明確に説明出来れば、相手も「ああ、そういう風な考え方もあるよね」と納得してくれるかもしれないし、「君の考えは分かったけど、でも私は…」と言って反論してくるかもしれない。そうやって議論を重ねることでより良い関係が築かれていくわけだけど、自分の意志を持たずにただ何となく行動しているだけでは、自分の行動の意味をちゃんと説明できないから、そもそも議論が成り立たないわけだ。そして、自分の意志を持つという事は、個人の行動だけじゃなくて、政治や外交などあらゆる分野でも重要なことだ。

第7巻のラストで太一は、「自分のエゴじゃなく本当の意味で、たくさんの人を守れるようになりたい」*9と述べ、将来は地球を救うような仕事に就きたいと宣言する。「地球・国際社会」と「能力の行使」という問題をリンクして考えた時に、真っ先に思い付くのが紛争地への人道的介入の問題だろう。紛争を終わらせるために他国に軍事力で介入することは、どこまで許されるのか。言うまでもなく、ここでも国家としての意志が問われてくるだろう。日本も例外ではない。イラクのような紛争地域に自衛隊を派遣する時、そこに国家としての意志はあっただろうか? ただアメリカや国際社会の言われるがままになってはいないだろうか? その辺りをもう一度確認しておくべきではなかろうか。

*1:『うえきの法則+』、第1巻、20P

*2:『うえきの法則+』、第5巻、180P

*3:第1巻、282〜283P

*4:もっけ』、第1巻、38〜39P

*5:第7巻、277P

*6:第7巻、283P

*7:第7巻、282P

*8:第7巻、321P

*9:第7巻、328P