新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

部活動論3―『僕は友達が少ない』、隣人部

私がアニメ『僕は友達が少ない』をあまり楽しめなかったのは、小鷹に関する周囲の偏見が解消されるどころか、むしろ悪化しているという事実に、冗談では済まされないゾッとする感覚を抱いたからだと思う。これは、現実世界の差別の構図と同じだ。

小鷹は髪が金髪という事もあって周囲からヤンキーだと誤解されており、それを何とか解消して友達を作りたいと思い、夜空たちと隣人部を設立する。隣人部のメンバーは皆、普通の人間とは違う「変わった」生徒たちであり、それゆえに友達ができず、周囲から色々偏見を持たれている。彼らは学校という社会の中で圧倒的なマイノリティだ。そんな彼らが隣人部を作って活動を始めたわけだけど、彼らが活動をすればするほど、その周囲の彼らに対する偏見はますます深まってゆく。例えば、小鷹は夜空や星奈をたぶらかして乱交を繰り返してるんじゃないかとか、幸村をパシリに使ってるんじゃないかとか。あんな変人たちと行動を共にしてる、やっぱり小鷹は危険人物だ、という感じ。

これはまさに、現実の差別の構造と同じだ。少数派は周囲と違うというだけで徹底的に差別される。彼らが差別を解消するために協力し合っても、多数派からは「変人どうしが集まって何か変なことしてる」くらいにしか思われない。むしろ、共同体に異を唱える異分子勢力というレッテルを貼られて差別は強まる。差別を解消しようとして行ったことが、かえって差別を再生産してしまうという悪循環。

周囲からは誤解されたままだけど、隣人部の中では何だかんだで楽しくやってるんだからそれで良いじゃん、という意見もあるだろう。確かに、殺伐とした学校社会の中で燦然と輝く仲間どうしの「絆」というものも大事ではあるんだけど、そういう問題じゃないんだよ。隣人部への偏見が行き着くところまで行った先では、世間は彼らから隣人部という場を奪おうとするだろう。人間の歴史というものは、そういうことの繰り返しだったわけだから。結局こういう差別は、差別している奴らが差別されてる側と同じ立場に立たされなければ無くならないんだろうか。