- 作者: 相田裕
- 出版社/メーカー: 角川グループパブリッシング
- 発売日: 2012/12/15
- メディア: コミック
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『GUNSLINGER GIRL』で一貫して描かれていたのは、大人達の復讐劇によって犠牲になった少女達である。この作品は、五共和国派(パダーニャ)と呼ばれるテロリスト達が台頭している架空のイタリアが舞台である。イタリア政府の秘密諜報機関である社会福祉公社は、通常の医療では救うことのできない少女達の体をサイボーグ化し、条件付けと呼ばれる洗脳を施すことで、五共和国派に対抗するための戦力「義体」を生み出した。この「義体」を擁する社会福祉公社と五共和国派との戦いを描くのが『GUNSLINGER GIRL』である。
この作品が示唆しているのは、復讐の虚しさであり、物事を暴力で解決しようとする事の愚かさであり、そして何より、争いによって生まれた「犠牲」の存在である。復讐のため、国や家族を守るため、自らの思想信条を訴えるため、など理由は色々とあるが、そうして起こってしまった争いの中では、社会の中で最も弱い立場にいる人が最も大きな犠牲を被ることになる。義体となった少女達は、様々な理由から幸福に生きることが許されず、苦しい運命を背負わされた者達である。そんな彼女らを洗脳し、国家のため、社会のために戦わせ、最後には命まで奪ってしまう社会の残酷さは、現実の世界でも何ら変わらない。これはちょうど、米ソ冷戦の対立構造の中で、朝鮮半島やベトナム、東欧諸国が最も犠牲を被ったという事実と似ている。
社会福祉公社と五共和国派との最も大きな違いは何だったと考えてみると、それは、義体という縛りの中で自らを律することができたかどうかだと思う。人は自らの主義主張の正しさを疑わなくなった時、あらゆる非人道的な行為を正当化できるようになる。大事なのは、自らの正当性や自明性を常に疑って行くこと、そして、自分の行為が引き起こす「犠牲」の存在と向き合い続けることなのだ。我々は常に、義体にもなり得るし、担当官にもなり得る。この歪んだフラテッロの関係の中で、今日の社会が成り立っているということを、肝に銘じておくべきなのだ。