新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

『のんのんびより』に描かれた不自然な「田舎」

アニメ『のんのんびより』を見て、まんがタイムきらら系の4コマ漫画『ねこのひたいであそぶ』を思い出した。この作品はその名の通り、小さな町に住む女子中学生4人が学校や家の周りで遊んでいるというだけの漫画であって、シリアスな設定や複雑なストーリー構成は存在しない。しかし、この作品の特異なところは、キャラクターが過度にデフォルメ化され、幼く描かれているという点だろう。例えて言うならば、『キルミーベイベー』のソーニャとやすなのように、面白いんだけれども、どこか不自然な、現実的でない日常が全編にわたって描かれている。

女子中学生が自然の中でかくれんぼや昆虫採集をするという、あまりに不自然な日常描写を見ることによって、我々は「そのような日常が長く続くはずがない」という事実を意識せざるを得なくなる。女子中学生の楽しげ(だけど不自然)な日常を延々と描くことによって、逆説的にその日常がいずれ終わりを向かえるだろう、ということが示唆されている。「おんなの子が少女になる、ちょっと前のおはなし」と書かれてる事からも分かるように、その日常はあとちょっとで終わってしまう。だからこそ本作は、何となくではあるが読者に「切なさ」「もの悲しさ」をもたらす。
『ねこのひたいであそぶ』を逆説的に考える―日常系4コマ漫画の再考に向けて - 新・怖いくらいに青い空より引用)

ひるがえって『のんのんびより』を見てみると、そこで描かれている「田舎」が、現実のそれとは大きく異なる不自然さを伴っているということが言えるだろう。たまごまごさんの記事によると、『のんのんびより』のキャラクターは他の「田舎作品」のキャラと比べると垢抜けていて、しかも舞台となるのはあくまでも「田舎のようななにか」であって、具体的な地域性は全く描かれていないという。

東京から来た蛍が垢抜けているのはまあわかるとしても、中学生二人の髪型、かなり意識的に手を入れています。制服も芋臭くなくて、とてもおしゃれです。(中略)
田舎作品、というとどうしても垢抜けていないキャラをどうしても求めがちです。
「田舎の人=垢抜けない」という意味ではないです。記号として分かりやすいんですよその方が。
ところがそれを一切排除しています。女の子は女の子として、かわいくある努力が見られます。
POPな少女と、緻密に描かれた田舎ライフは、ぼくらの憧れ「のんのんびより」 - たまごまごごはんより引用)

『のんのんびより』が、具体的な地域性を排除したことからもわかります。
住んでいる地域、矛盾だらけなのです。
新幹線で6時間かかる場所となると中国地方か東北か。雪も降るし猛暑もやってくる。北か南か分からない。
雪がふるのに瓦屋根だ。柿もみかんも稲も野菜も作るし牛もいる。
ネット・アニメ流行語大賞「にゃんぱすー」ってなんなんだ | ニコニコニュースより引用)

また、たまごまごさんは記事の中で、「女の子空間」を描くための舞台として「田舎」が適しているのだと指摘している。

たととえば「『ゆるゆり』のごらく部って何なんだよ!」とか疑問を抱いても、「まあいいじゃん」と切り捨てる。外界から隔離して幸せ空間を保護する。これと同じです。
田舎である、というのは物理的に外界と隔離できるので、非常に便利。
玩具にあたる大自然もふんだんに有るので、いくらでも遊べます。
「田舎っていいね」作品ではない。
「『田舎』という空間で、女の子たちが楽しそうに遊んでいるのを眺められるって楽しいねいいね」作品です。
ネット・アニメ流行語大賞「にゃんぱすー」ってなんなんだ | ニコニコニュースより引用)

しかし、ここから一歩進んで、次のような考察も可能なのではないだろうか。すなわち、先ほどの『ねこのひたいであそぶ』の考察で示したように、不自然な田舎での日常を延々と描いていくことが、逆説的にその日常の一過性を強調することにつながるのではないだろうか。この『のんのんびより』という作品が、普通の日常系の作品と異なり、どこか寂しげで切ない感じがするのもまた、上で述べたような理由からなのかもしれない。