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新国立競技場問題に関する産経新聞と愛媛新聞を社説をご覧ください

ますます事態が収拾つかないことになってる新国立競技場の建設問題ですが、それに対する産経新聞の社説(6月28日)が「何言ってだコイツ」感ハンパないことになってました。

【主張】新国立競技場 混乱収拾へ首相の出番だ(1/2ページ) - 産経ニュース

五輪を開催する上で、メーン会場は開催国の国情を映す鏡になる。
新国立競技場(東京都新宿区)の建設をめぐる国や都の混乱は、2020年東京五輪パラリンピックの開催能力に大きな疑問符をつける問題であることを、改めて指摘したい。
建設費は当初の予定を約900億円上回り、約2500億円に膨らむ見通しだ。事業主体の文部科学省は近く建設業者と工事契約を結ぶ方針だが、建設費の一部負担をめぐる国と東京都との対立に出口は見えない。
混乱を収めるには、この国家プロジェクトの責任者である安倍晋三首相が前面に出て、関係機関や国民に理解を求めるしかないのではないか。

いやもう、誰が出てきたってあの案に理解を求めるなんて無理があるんじゃないですかね? 現行でも、JSC、文科大臣、五輪担当大臣、森元総理とかが出てきてゴチャゴチャになってるのに、ここに安倍総理まで乱入してきたらもっと収拾つかないことになるのでは?

開閉式屋根の設置先送りや、観客席の一部仮設化など、相次ぐ計画変更には国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長も懸念を示している。
20年五輪の招致に際し、IOCに「安心、安全、確実」な大会運営を約束し、「日本にやって来るアスリートにも責任を持っている」と強調したのは、他ならぬ安倍首相である。
新国立競技場の計画を前進させて世界の信頼や、招致時にみられた国内の一体感を、一刻も早く取り戻してほしい。

「招致時にみられた国内の一体感」って何? よしんば、そういう一体感が存在したんだとしても、今のままではそれを取り戻すなんて夢のまた夢だと思いますよ。

約500億円とされる都の一部負担に舛添要一知事が慎重なのは、住民監査請求を意識してのことだ。都側の懸念をぬぐうためにも、国は建設費や一部負担額の根拠を開示する必要がある。
将来、同じ問題を繰り返さないため、今回の混乱の経緯を検証し、責任の所在を明らかにすることも当然である。

「根拠を開示する」ことなんて不可能でしょう。石原都知事と交わした曖昧な口約束があるだけで、根拠なんてそもそも存在しないのだから。根拠をでっちあげて負担してくれと頭を下げることはできるでしょうが、それで都民や知事が納得するとは到底思えないですね。

日本の首都に国際規格を備えたナショナル・スタジアムを構え、世界的な国際競技大会を開く。そんな国民やスポーツ界の願いが、新国立競技場の出発点にあることを忘れてはならない。大観衆の大歓声は、競技に一層の感動や興奮を与える。
「新国立」を五輪に間に合わせることは、国民の願いをかなえると同時に、日本の力を世界に示すことにもなる。

いやいや、「国際規格を備えたナショナル・スタジアム」なら味の素スタジアムで十分だし、「競技に一層の感動や興奮を与える」ためだけに何で2500億円も必要なんでしょうか。そして、「新国立」をラグビーW杯や五輪に間に合わせることは、「国民の願いをかなえる」こととは何の関係もないですよ。そもそも、競技場を期限までに完成させることは五輪開催国として当たり前のことであって、それを達成したところで「日本の力を世界に示す」ことになんか全くならないと思いますよ。

「東京に任せてよかった」と世界をうなずかせることは、「信用」という遺産となって20年以降の日本を支えるだろう。その説明を尽くせば、国民や都民の理解も得られるはずだ。

2500億の新国立だろうが、格安のスタジアムだろうが、味の素だろうが、きちんと五輪を開催できれば十分に「東京に任せてよかった」と思ってもらえるでしょう。なのに、わざわざ一番難しい茨の道を選択する意味が全く分かりません。現行案に固執して万が一、完成できないなんてことになったら、「信用」も「感動」も一瞬で吹き飛んじゃうんですよ。仮に完成した場合でも、「20年以降の日本を支える」どころか、その莫大な維持費が日本に重くのしかかるというのに。

もちろん、その都市や国にとってオリンピックの開催を任されるということは大変な名誉です。しかし、そのために莫大な税金を使って無理に着飾る必要なんてないわけです。もちろんオリンピックは、「世界の信頼」を勝ち取る場でもないし、「国内の一体感」を醸成する場でもない。「国民の願いをかなえる」場でも、「日本の力を世界に示す」場でもない。そんなことも分からないようでは、国民の理解を得ることなど、まずもって不可能でしょう。

国立競技場に関してはこれからもどんどん問題が噴出してくると思いますので、今後のために産経新聞さんには是非、愛媛新聞の社説(6月27日)を参考にしていただきたい。大変素晴らしい文章なので全文載せときます。

丼勘定の新国立競技場 政官の無責任な浪費許されない | 社説 | 愛媛新聞ONLINE

税金は、いくら無駄遣いしても平気とみえる。国の一大プロジェクトの驚くべき丼勘定と、自らの非を改めず、桁外れの負の遺産を生みかねない計画をごり押しする文部科学省や政府に開いた口がふさがらない。
2020年東京五輪の主会場となる東京・新国立競技場の整備費は、1千億円以上の幅で二転三転したあげく、基本設計を900億円も上回る2520億円になる見込みという。当初試算の1300億円からは、ほぼ倍増。政府は29日にも決める方針だが、驚くべき金額の変遷は「見通しが甘かった」では片づけられまい。国民に大きなツケを回して恥じない政官の怠慢、不作為の責任は極めて重い。
見直すチャンスは何度もあった。新競技場は、3年前のデザイン決定直後から高コストが懸念され、縮小を求める声が強く上がっていた。にもかかわらず国は批判を無視。旧競技場解体工事の2度の入札不調など不手際も重なって、いよいよ期限が迫った段階で「今から見直していては間に合わない」と開き直り、微修正でお茶を濁した現行案を強行しようとしている。
これほど無節操な公共事業を無反省に進め、巨額の税を投じることは国民を欺くに等しく、到底許されない。最低でも責任の所在を明確にし、一から計画の信を問い直すべきであろう。
主会場の整備費2520億円は、五輪史上最高額。デザインの要の、屋根を支える370メートルの2本のアーチは1本500億円もかかるとされ、1本で北京五輪の主会場の全整備費に等しい。しかも建設業者の人材不足と資材高騰で、さらなる膨張は確実。文科省関係者も「終わってみて3千億円を超えてしまえば、アーチは負の遺産になる」と懸念するが、分かっていながら「止められない」公共工事の責任は誰一人取ろうとしない。
立案したザハ・ハディド氏は「デザイン監修者」にすぎず、実施設計は別。いみじくも下村博文文科相が「責任者がはっきりしない、分からないまま整備を進めた」と吐露した通り、文科省事業主体の日本スポーツ振興センター(JSC)、東京都、大会組織委員会のいずれもが、責任や負担を押し付け合うさまには驚き、あきれる。一昨日、五輪相に任命された遠藤利明氏も「文科相(の対応)を側面から支援したい」とまるで人ごと。これではスポーツ振興くじ頼みの財源調達も、工事の完成さえも危ぶまれる。
何より許し難いのは、誘致の際は「復興五輪」を掲げて東日本大震災を利用し、いざ決まれば、途方もない無駄遣いで復興を阻害する政官の姿勢である。「五輪特需」に沸いた結果、被災地も新競技場も建設費高騰に苦しんでいる。仮設住宅の修復さえままならない被災者の苦しみを忘れ、五輪の名の下にこれ以上浪費を重ねることは、厳に慎まねばならない。日本の身の丈に合った成熟五輪の理念に立ち返り、再考を強く求めたい。

完!全!同!意!

ここまで完全同意としか言いようがない社説も珍しいですね。愛媛新聞、ナイスです! しかし、こうやって比較してみると、産経の方がいかに、感動(笑)、願い(笑)、一体感(笑)、信頼(笑)、日本の力(笑)といった抽象的な言葉でお茶を濁すだけで、現実を見ようとしていないかがよく分かりますね。