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CRISPR 究極の遺伝子編集技術の発見

CRISPR (クリスパー)  究極の遺伝子編集技術の発見

CRISPR (クリスパー) 究極の遺伝子編集技術の発見

CRISPRを用いたゲノム編集技術の開発によって今や最もノーベル賞に近い学者となったジェニファー・ダウドナ氏による自叙伝。見どころは何といっても、著者がCRISPRの研究に参入し、CRISPR関連タンパク質であるCas9の機能を解明し、そしてそれがゲノム編集に応用できることを示すまでの軌跡だろう。しかし、その内容は悪く言ってしまえば面白みのない、勝つべき人が順当に勝ったというだけの物語に思えた。

ゲノム編集の研究によって世界的名声を得る前から、彼女はカリフォルニア大学バークレー校で自分の研究室を持ち、潤沢な資金と人材を駆使して研究を推し進めることができる立場にあった。そこには、ドラマチックなエピソードもなければ、一発逆転の大博打もない。豊富な人材と資金を駆使した横綱相撲によって、彼女は手に入れるべくして栄光を手に入れた。

ただ、彼女にとって幸運だったのは、共同研究者の話を聞くなどしてかなり早い段階でCRISPRの研究をスタートできたこと、そして、ゲノム編集に応用可能なII型と呼ばれるCRISPR機構の研究に偶然も重なって着手することができたことだった。それゆえに、彼女は誰よりも早く複雑なCRISPR機構の全体像を把握することができ、それがゲノム編集にも応用できるのではないかという着想につながった。まさに、圧倒的な実力と資金力に加えて、運も味方につけて掴み取った栄光と言えるだろう。

本書の後半は、CRISPRの応用面、そして倫理的な懸念についての記述になる。ゲノム編集が持つ負の側面について、その開発者自らがどう考えているのかを語ることはとても意義があることだと思うが、内容はニュースや一般向け解説書などで書かれていることと大差ない。

個人的なことを言えば、ダウドナ氏は当分、伝記や一般向け書籍は書かないでほしい。ノーベル賞学者が小学校で算数を教えているようなものだからだ。彼女はこれからもしばらくは(ノーベル賞を取った後も)科学の最前線で研究を続けるべき人だろう。そうしないのだとしたら人類にとってとてつもない損失である。

ミトコンドリア・ミステリー

ミトコンドリア・ミステリー―驚くべき細胞小器官の働き (ブルーバックス)

ミトコンドリア・ミステリー―驚くべき細胞小器官の働き (ブルーバックス)

2002年の本なので読む前は内容が古すぎるかと思ったが、そんなことはない。文字通り、まるでミステリー小説を読んでいるかのようにページをめくる手が止まらなくなる良質なブルーバックスだった。

著者の専門であるミトコンドリア研究の分野では、ミトコンドリアDNAの変異がガンを誘発する、父親のミトコンドリアも一部は子に受け継がれる、ミトコンドリアは老化現象に関与している、といったセンセーショナルな仮説が一時期もてはやされた。著者は、コツコツとデータを積み上げ、一歩一歩着実に真実を明らかにして、それらの仮説が間違いであることを示した。そのような研究は、なかなかスポットライトが当たらない地味な研究になりがちだ。だが、科学という営みにおいて、そのような地味で日の当たらない研究こそが何よりも大事なのだということを本書は教えてくれる。

世の中には、わずかばかりの実験データを都合のいいように解釈して、自説が正しいと吹聴して回り、独りよがりでセンセーショナルな仮説を立てて世間の注目を集めることばかりに熱心な研究者も多い。しかし、客観的なデータを時間をかけて積み上げ、一点の曇りもない公平な目でそのデータを分析することこそが、本来の科学者のあるべき姿だと思う。そして、このような本当に大切で価値のある研究をする土壌が、今の日本に果たしてあるだろうかと不安になってくる。

予想どおりに不合理

本著を含む一連の行動経済学の本で著者が明らかにしてきたのは、人間という生き物がいかに不合理であるかということだ。そして、その不合理さに人種や国籍による差はほとんどなく、驚くほど世界共通である。どの国においても、履歴書にはありもしない功績と美辞麗句が並び立てられ、役所のする仕事は融通が利かず、レポートの提出期限が近づくと学生の家族の葬式が増える。だが、このどうしようもない人間の性質を知っているか否かによって、社会のあらゆる問題に対する見方が変わってくる。

例えば、会社の同僚から「荷物を運ぶんで手伝ってほしい」と言われたらたいていの人が快く協力してくれるだろうが、それに加えて「運んでくれたら10円あげる」と言って来たら言われた側は良い気がしないだろう。私たち社会人は、自分の損得とは無関係に善意や正義感によって動く世界(社会規範の世界)と、労働に見合う対価をもらうことで動く世界(市場規範の世界)の両方を行き来している、と著者は言う。私が思うに、近年の日本における教職員の過重負担やブラック企業でのサービス残業の問題も、ここに問題の根源があるのではないだろうか。日本の企業や教育機関はずっと、社会規範の世界(つまり労働者個人の善意による無償労働)によって支えられてきた。本来であれば市場規範の論理で運営されるべき組織が社会規範の論理によって無理やり動いていたため、その歪みが今になって表面化してきているのだ。

また、古典的な経済学では市場における価格は需要と供給のバランスによって決まるとされているが、実際には様々な要因により消費者の価格に対する印象はガラリと変わってしまう。例えば、以前書いた記事でも紹介したアンカリング効果はその代表例だろう。価格決定の不合理性をより確かに実感したいのであれば、日本各地にある飲食チェーン店の求人広告を見ればいい。自己開発セミナーか新興宗教の勧誘かと見間違うかのような綺麗事と美辞麗句のオンパレードで、まるでここでしか体験できない貴重な経験をさせてやってるとでも言いたげな広告ばかり。そうやってここで働くことがとても価値のあることのように錯覚させ、低い時給のままで人材を確保したいという企業側の思惑が透けて見える。

本著の面白いところは、一回読んだだけで世の中の理不尽な制度や問題点が何故なくならないのかが、具体的に見えるようになるところだ。ニュートン力学を知ることで物体の運動を説明できるようになるのと同じように、行動経済学を知ることで現在進行形で起こっている社会問題の構造が見えてくる。日本人が書いた同じようなテーマの本も何冊か読んだが、こちらの方が断然面白く、あっと言う間に読み終えてしまう。著者の文才も凄いのだろうが、翻訳もまた素晴らしいのであろう。