新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

『天元突破グレンラガン』『キルラキル』から『ダーリン・イン・ザ・フランキス』へ

ダーリン・イン・ザ・フランキス』第17話

自分たちが生きた証を未来に残すために子どもを作りたいと言ったココロに、9'αが「君…気持ち悪いよ」と吐き捨てる。

まったく下らない。生殖機能なんてものは人間が進化の過程で捨ててきたものだよ? それを否定したらみんな男と女、どちらかの性別にまた縛り付けられちゃうじゃないか。君たちだって普段考えるだろう? 男と女なんて、フランクスを動かす為だけに必要なめんどくさい仕組み…それだけのことさ。

この発言にキレたイクノが9'αを引っぱたく。9'αは続けてこう言う。

そうやって感情に支配されちゃうような性質も人間は捨ててきたんだ。生きる上でとことん要らない部分だからね。なのに君たちと来たら…

いよいよダリフラの根幹にあるテーマが見えてきました。これは本作だけでなく、同じトリガー製作のアニメ『キルラキル』、また、本作製作スタッフの多くが関わった『天元突破グレンラガン』とも共通するテーマです。

グレンラガンにおけるアンチ・スパイラル、キルラキルにおける生命戦維、ダリフラにおけるオトナ。これらの作品において敵は、生存のために無駄なものをそぎ落として洗練、合理化された存在として描かれます。それに対して、主人公サイドは、一見すると無駄とも思える様々な要素から構成され、多様性に満ちています。実はこの多様性こそが、生命の進化にとって、人類の進歩と発展にとって極めて重要なものである、と高らかに謳い上げるのがこの3作品です。

グレンラガンキルラキル

アンチ・スパイラルは、際限のない進化の先に待ち受ける破滅(スパイラル・メネシス)を防ぐために、自らの進化を止めてしまった種族として描かれます。このスパイラル・メネシスは言うまでもなく、現実社会の言葉に直すなら、迫りくる地球温暖化と資源枯渇、人口爆発とそれに起因する飢餓・戦争ということに尽きますよね。主人公・シモン達はそれでもなお、自らの進化を止める事なく、人類の可能性を信じて前に進み続けようと誓います。作中の「ドリル」「螺旋」は、DNAの二重らせん構造、さらには人類の進化と進歩のメタファーです。

そして、キルラキルに出てくる生命戦維とは、要するに利己的遺伝子のことです。リチャード・ドーキンスは著書『利己的な遺伝子』の中で、生命とは遺伝子が次世代に情報を伝達するためのヴィークル(乗り物)なのだと述べました。地球の海の中かあるいは宇宙空間かは分からないけど、最初に自らのコピーを作り出す能力を持った物質(自己複製子)が生まれた。それらの分子の中で、化学的に不安定であったり、自己複製能力が弱い分子は淘汰され、より安定で複製能力の高い分子が残っていった。さらに、様々な刺激から身を守るための有機物(脂質やタンパク質)の膜を持つ自己複製子が現れた。また、自らの生存に有利になるように他の自己複製子を攻撃するものも現れた。このような事が繰り返し起こり、よりたくさんのコピーを作り出せる自己複製子だけが生存競争に打ち勝ち、次世代に引き継がれてた。このようにして、自己複製子とその周りの有機物から成る複合体は、どんどん巨大で複雑なものになっていった。それこそが、今日「生命」と呼ばれているものです。生命とは、本質的に、利己的遺伝子に着られる服です。しかし、人間は地球上で唯一、この利己的遺伝子に反逆することができる生命です。それは、人間が進化の過程で理性を獲得し、「なんだかよく分からないもの」になったからです。

これまで生物は何億年もの間、遺伝子の生存と複製に有利になる行動を「合理的な行動」として選択してきた。それはすなわち、自らの身を守り、他の生物を殺して食べ、生殖して子どもを産むことだ。しかし、理性を獲得した人類は、以上のような合理的行動にとどまらない、ありとあらゆる「わけの分からない」行動を取れるようになった。遺伝子から着られる存在でしかなかった人間は、長い進化の末に自らの存在理由を見いだし、遺伝子を上手く着こなす存在になったのだ!
この壮大な人間賛歌の物語に隠されたメッセージがあるとすれば、我々は人間社会の持つ「わけの分からなさ」を許容する存在であるべきだということに尽きるだろう。それは「多様性」という言葉に置き換えてもいい。人間社会は多様性に満ちているからこそ美しく、また、強いのだ。
『キルラキル』と『利己的な遺伝子』(その2)―遺伝子に「着られる存在」から「着こなす存在」へ - 新・怖いくらいに青い空より引用)

ダリフラと染色体

このようにグレンラガンキルラキルにはDNAや遺伝子に関するモチーフがたくさん出てくるわけですが、ダリフラにも似たようなモチーフが出てきます。それは染色体とその相同組み換えです。

例えば、ヒロ達が着ている制服に付いているXとYの形をした模様は、言うまでもなく人間の性染色体のメタファーです。ステイメン(おしべ)やピスティル(めしべ)という作中用語に代表されるような生殖のメタファーも頻出します。そして、タイトルロゴの赤色と青色のXが混じり合っている図形。これらはすでに多くの記事で指摘されています。

 (順不同)

特に、タイトルロゴのXXは、生殖細胞減数分裂する時に起こる相同組み換えを模しているように見えます。具体的には、組み換えの過程で見られるホリデイ構造と呼ばれるDNA高次構造を表しています。

この相同組み換えによる遺伝子のシャッフルこそが、人間(に限らず有性生殖を行う全ての生命)における遺伝的多様性の源泉です。

有性生殖をする生き物の場合、母親由来の染色体に乗っている遺伝子セットと、父親由来の染色体に乗っている遺伝子セットを持っており、これが相同組み換えによってランダムにシャッフルされるため、生じる配偶子には事実上無限の組み合わせで各遺伝子が乗っていることになります。また、染色体が2セットあるという事は、どちらかの染色体上の遺伝子が生存に不利な変異を受けても、もう一方の染色体上の遺伝子がカバーすることができるので、結果的に多様な遺伝子が淘汰されずに受け継がれるということになります。

他にも様々な利点が有性生殖にはあって、例えば、生物のある特徴Xを決定づける遺伝子としてA、B、Cの3種類があり、それらを別々の個体が1個ずつ持っていると仮定しましょう。無性生殖では、それらがいっぺんに揃って特徴Xが現われることは、極めて確率が低いことです。しかし、有性生殖なら、別々の個体の染色体にA、B、Cをそれぞれプールしておくことができれば、ある一定の確率でそれら3つが揃う個体が出現してきます。つまり、突然環境が変わって特徴Xが必要になった時に、臨機応変に対応できるのは有性生殖の方なのです。

さらに、生物の置かれた環境が変わって、生存に不利な遺伝子が逆に有利な遺伝子に変わったと仮定しましょう。その時、無性生殖では、その遺伝子を持つ個体の子孫にしかその遺伝子は受け継がれません。一方、有性生殖では2体の個体が生殖に関わり、それが何世代にもわたって続くため、有利な遺伝子がその生物種全体に広がるスピードは、無性生殖よりも圧倒的に早いということが分かるでしょう。

つまり、有性生殖という手段は生物にとって、

  • 生存に不利な遺伝子の変異に強くなる
  • 集団内に多様な遺伝子をプールできる
  • 生存に有利な遺伝子をいち早く伝播させることができる

というメリットがあると言えるでしょう。

進化と多様性

ここで、そもそも進化とはどういうものなのか、説明しておいた方がいいでしょう。結局のところ、進化とは次の3つの原理から成るものです。

まず第一に、生物の持つ特徴は遺伝情報という形でコピーされ次世代に受け継がれます。この時、そのコピー精度は極めて高く、生物の情報はほぼ完璧に子へと伝播されます。ライオンが突然シカを産んだり、ニワトリの卵からカエルが生まれてきたりしないのは、遺伝情報のコピー精度が極めて高いからです。

しかしそうは言っても、ごくごくまれにミスが生じて、遺伝子情報が変化する場合があります。ミスの発生確率は極めて低いのですが、生物が持つDNAの量は膨大なので、子と親の遺伝子にはわずかですが違いが見られることになります。例えば、灰色の羽をもつ虫から、若干黒よりの灰色とか、若干白よりの灰色とか、いろんなバリエーションを持つ子どもが生まれることになります。つまり、世代が変わることで遺伝情報は「発散」し、多様性が増すことになります。これが第二の原理です。

そして第三に、この地球上では生物が生きていくために必要な資源に限りがあるため、その資源を巡って生物間で生存競争が行われる、ということが挙げられます。上の原理により遺伝情報に多様性が増しても、生存に不利な遺伝子は淘汰され、多様性は喪失します。これは遺伝情報の「収束」と言い換えることができるでしょう。

この「発散」と「収束」を繰り返しながら、より生存に適した遺伝子が生まれ、それが次世代に受け継がれるというのが進化の概要です。では、この進化において有性生殖は、どういう点で無性生殖よりも優れているでしょうか。

まず「発散」について。無性生殖の場合、この発散は完全に偶然頼みということになります。紫外線だが化学物質だか分からないけれど、とにかく何らかの原因によって遺伝子が変異するのを待たなければなりません。有性生殖の場合も、遺伝子の変異自体は偶然頼みなのですが、過去に起きた変異をプールしておくことができ、かつ、その変異を相同組み換えによってシャッフルすることができるので、効率的に「発散」を行うことが可能になります。

そして「収束」についてですが、これは環境変化があった場合を考えてみれば分かりやすいでしょう。生存に有利な遺伝子のみが生き残るという収束の作用は、突き詰めれば、最も生存に適した一種類あるいは僅か数種類の遺伝子しか生き残らないということになり、遺伝子の多様性は著しく低下します。このような状態で地球環境の劇的な変化が起こると、生物種はその環境変化に対応できずに絶滅してしまう可能性が高まります。有性生殖では、上の特徴Xの例で説明したように、多様な遺伝子を集団内にプールすることができ、さらに、後にそれらの遺伝子のどれかが必要になった時に、それを集団全体に効率よく伝播させることができるので、絶滅を回避できる可能性が上がります。

まとめ

以上をまとめると、有性生殖は、進化における「発散」の作用を促進する起爆剤となり、「収束」の作用の行き過ぎを抑制する緩衝材となるのです。そのように考えれば、9'αが行ってる事がいかにトンチンカンで的外れな事かが分かると思います。

確かに、男と女がいなければ子孫を残せないという仕組みは、「めんどくさい仕組み」に見えます。キルラキル風に言えば「なんだかよく分からないもの」に見えます。しかし、この面倒くさくてよく分からないものが、生物の進化において決定的に重要だったからこそ、我々は今もなおこの手段を使い続けているわけです。

さて、進化生物学の知見をそのまま人間や人間社会に適用するのは少々乱暴である事は承知の上で、あえて教訓めいたことを言うとすれば、それは「社会を持続可能なものにするために多様性というものが極めて重要である」ということが言えるでしょう。

自民党一強の時代が続く中で、多様性というものがどんどん蔑ろにされているように感じます。今すぐ役に立つ研究やビジネスに繋がる研究ばかりを重視する科学技術政策、伝統的な家族観や恋愛観を押し付ける管理主義教育、そういった政策は短期的には有効でも、長期的には日本という国に計り知れない悪影響をもたらすでしょう。

ダーリン・イン・ザ・フランキス』を17話までに見て、そんな危惧を感じずにはいられません。