新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

『シャーマンキング』再アニメ化によせて

SHAMAN KING(1) (マガジンエッジKC)

SHAMAN KING(1) (マガジンエッジKC)

  • 作者:武井 宏之
  • 発売日: 2020/06/17
  • メディア: コミック

シャーマンキング

決して完璧な作品というわけではない。物語の後半は、他のジャンプ系バトル漫画の多くがそうであるように、展開は遅く、グダグダ感が否めない。唐突な新キャラの登場。二転三転する設定。能力のインフレにより収拾の付かなくなる展開。それゆえに、一度は連載打ち切りにもなった。

それでも、この作品には全てが詰まっている。現代社会が抱えるありとあらゆるテーマが、シャーマンファイトという舞台装置を駆使して余すところなく描かれていた。

近代科学は、呪術や信仰を駆逐するものなのか? 科学技術が発達し、デモクラシーが普及した現代において、宗教的指導者はどのような存在であるべきなのか? 20世紀は、伝統と現代的価値観との間で揺れ動きながら、少しずつ、ただ国民の上に君臨するのではなく、国民と喜びや悲しみを共有し、平和を祈念するという現代の君主像が確立されていった時代。2つの全く異なる憲法の下で国家元首を勤めた昭和天皇と、その息子である上皇陛下。第二次大戦時をイギリス国民とともに戦ったジョージ6世と、その娘・エリザベス女王。そして、ヨハネ・パウロ2世をはじめとする20~21世紀の歴代ローマ教皇たち。彼らがその生涯を通して悩み、考え続けた壮大な問い。特に大きな野望もなく、ただ楽にユルく生きるためにシャーマンファイトに参加し、それでいて心の奥底に静かに闘志を燃やしている葉の姿は、その問いに対する一つの答えなのかもしれない。

私達人間が進化し、文明を発達させてきたことは偶然の産物なのか? それとも、人智の及ばない大きな存在に導かれて私達はここまで来たのか? この母なる地球にとって、我々人類とは一体何なのか? 人類の幸福のために環境を破壊し続けることは、どこまで許されるのか? ホロホロは、自らの生まれ故郷である北海道の自然を守るためにシャーマンキングを目指すが、人間が生きるために必要な範囲で自然を犠牲にすることは否定しない。文明の進歩・発展と、自然環境の保護は両立できるのか? 我々人と自然がともに共存することは可能なのか?

正義とは何か? 悪とは何か? 法や宗教は、人類が考える正義を体現したものなのか? ラキストはこの世に絶対的な正義など無く、勝った者が正義になるだけであると説く。一方でマルコは、愛こそが正義、愛に背くことこそが悪なのだと説く。その2つの価値観は両立可能なのか? 本当に「中庸は現実の前に無力」なのか?

人類を滅ぼそうとするハオ一派と、それを阻止しようとする葉たち。この両者を分けたものは一体何だったのか? ハオを信奉した者は皆、理不尽な世界の中で傷付き、差別され、苦しみぬいた末に、ハオに救われた者達であった。それは、終わりの見えない不況と貧困の中からナチスドイツのような危険な思想が台頭してきた歴史と通じるものがある。それでも最終的にハオは、大きな愛の力で救われることになる。これは単なる漫画の中だけの絵空事なのか、それとも、どんな悪人にも救済の道は開かれているのか?

他者を殺し、他者から奪おうとするのは、人間の本性なのか? だとしたら、この世界で戦争を無くすことはできないのか? 「やられたらやり返す、やったらやり返される」、この復讐の連鎖を断ち切ることはできるのか? どうすれば人は、他者の罪を許すことができるのか?

もはや少年漫画という枠に収まりきれない。これは漫画という娯楽作品であると同時に、一つの壮大な文学であり、芸術であり、武井宏之という作家の全てが詰まった思想書である。こうした魅力があったからこそ、打ち切りの数年後に完全版という形でストーリーが追加され、完結を迎えることができたのかもしれない。まさに唯一無二の、不思議な魅力が詰まった漫画である。

それが来年、再びアニメ化されるという。数年前には作者が再アニメ化を断ったという話もあったので、これは驚きのニュースであった。ジャンプでの連載終了から15年、完全版の発光から10年以上が経過し、世界は大きく変化したが、シャーマンキングの中で掲げられたテーマは一切色褪せることなく、むしろその重要性はますます大きくなっている。監督やスタッフ、声優陣など、まだ分からない部分は多いが、続報を楽しみに待ちたいと思う。