新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

『感染地図』―コロナ禍の時代だからこそ、かつてのコレラ禍から学ぶべきことがある

2007年に書かれた本だが、この本はまさに今、世界中がコロナ禍で苦しんでいる今だからこそ読まれるべき本だろう。

スノーとホワイトヘッドの調査

本著の舞台は1854年のロンドン。当時のロンドンは世界最大の都市であると同時に、極めて劣悪な環境でもあった。下水道などは完備されておらず、汚物は肥溜めに捨てられていた。また、下水道がある地区でも、下水は浄化などされないままテムズ川に垂れ流しになっており、街中に汚物の臭いが充満していた。肥溜めの汚物を回収して郊外の農家に売る下肥屋や、テムズ川のヘドロの中から売れる物を拾い集める人(泥ひばりなどと呼ばれる人々)が大勢いた。そのような環境であるがゆえに、ロンドンは度々疫病に悩まされた。1854年も、ソーホー地区コレラが大流行し、600人以上が亡くなった。

人間の体内に入ったコレラ菌は、小腸に到達すると爆発的に増殖し毒素を出すようになる。その毒素によって腸の粘膜からは水分がとめどなく滲み出してきて、患者は酷い下痢に苦しめられ、脱水症状を起こして死に至る。コレラにかかった場合の一番手っ取り早い対処法は、大量の飲料水や点滴によって水分を補給して脱水症状になるのを防ぎ、便と一緒にコレラ菌が出ていくのを待つことである。しかし、当時のロンドンではヤブ医者や悪徳商人の類が、怪しげな薬やインチキ療法を新聞で宣伝して回っており、ほとんどの患者が適切な処置を受けられずに亡くなったのである*1

そんな災厄の最中、一人の医師が被害の実態を調査していた。彼の名をジョン・スノーという。スノーは過去のコレラ禍の調査などを通じて、汚染された飲料水が病気の原因であると当たりを付けていた。そして、実際に街で聞き込みをしてみると、被害者がブロード・ストリートにある井戸に近い家屋に集中していることが分かった。一方、その井戸のすぐ近くにある救貧院ではほとんど死者は出ていなかったし、その近くの醸造所の従業員もほとんどが無事であった。よくよく調べてみると、救貧院は独自の井戸を持っていたし、醸造所の従業員はみんな現物支給のビールで喉の渇きを癒していた。また、ブロード・ストリートから遠く離れた場所に住んでる人でも、その井戸水を飲んだ人はみんなコレラに罹っていた。この時点でスノーは、今回のコレラ禍の原因はブロード・ストリートの井戸水にあると確信していた。

スノーは地元の教区役員にこの調査結果を伝え、すぐに対策を打つよう訴えた。教区役員の多くは半信半疑だったが、他に対策の施しようがなかったため、仕方なしにポンプの柄を取り外し、付近の住民がこれ以上その井戸水を飲まないようにした。この瞬間こそが、人類の公衆衛生の歴史、ひいては人類の生き方を変える決定的な瞬間だったと著者は述べている。

ポンプの柄を外すという行動は、地元民の救済以上の意味をもっていた。人間とコレラ菌との戦いを決定的に変える瞬間だった。このとき、公的機関はコレラという疫病にたいしてはじめて科学的理論に基づく介入をおこなった。ポンプの柄を取り外すという決断は、天気図でも社会的偏見でも中世の「体液説療法」でもなく、観察し、推論し、確認するという系統だった調査と研究に基づいてなされた。都市という願ってもない環境を得て繁栄を誇っていたコレラ菌はこのときはじめて、迷信ではなく理性で武装した人類に行く手を阻まれることになったのだ。
(『感染地図』、213ページより引用。)

同じ頃、ソーホー地区にある教会で副牧師をしていたヘンリー・ホワイトヘッドは、スノーからの報告を聞いて最初は有り得ないと思った。しかし、よくよく調べ直してみると、死者は皆ブロード・ストリートの井戸水と関係していることが分かった*2。さらに、市の記録を調べると、コレラ禍が始まる数日前に、例の井戸のすぐ近くに住んでいた赤ちゃんがコレラと思われる症状で亡くなっていた。その子の母親は、赤ちゃんの下痢で汚れたオムツを洗い、その水を井戸のすぐ近くにある汚水溜めに捨てたという。その汚水溜めと井戸とを隔てる壁はボロボロで、汚水は井戸の方へ染み出していた。全ての点と点は繋がった。最初の感染者である赤ちゃんの便に含まれていた何らかの病原体が、汚水溜めから井戸水に混入し、それを飲んだ人々が次々にコレラに感染したのだ。

瘴気説

スノーとホワイトヘッドは一連の調査結果をまとめて報告した。しかし、ロンドン市の公衆衛生局は、彼らの報告に聞く耳を持たなかった。スノーらの説を実証する数多くの証拠があったにもかかわらず、公衆衛生局は昔ながらの瘴気説を捨てようとしなかった。瘴気説とは、要するに、あらゆる病気の原因は不衛生な環境から発せられる臭いであるという考え方である。ロンドンの人口が増えて街に汚物の臭いが充満するようになって、これまで見られなかったコレラのような疫病が発生し出した。だから、この悪臭を放つ悪い空気こそが、病気の原因に違いない! という固定観念が、当時の役人や政治家、学者の間で蔓延っていた*3

だが、今回発生した災厄はどう考えても瘴気説では説明ができない。ロンドンにはソーホー以上に不衛生で悪臭の立ちこめる場所が多くあるのに、何故患者はソーホー地区に集中しているのか。仮に、この街一帯にコレラの原因となる瘴気が充満しているのだとしたら、何故、同じ地区にある救貧院や醸造所は無事だったのか。そもそも、悪臭が病気の原因であるのなら、最も酷い悪臭のする場所で働いている人々、つまり下肥屋や泥ひばり達が真っ先に死ぬはずなのに、そうなっていないのは何故か。

このように、よくよく考えれば瘴気説の矛盾は明らかなのに、役人達は瘴気説の呪縛から逃れられなかった。公衆衛生局がソーホーで行った調査では、どの井戸を使っているかなどの調査項目は無く、患者が発生した場所の気象条件や高度、換気の有無、トイレや肥溜めまでの距離などしか調べられなかった。こんな事をいくら細かく調査していっても、水とコレラとの関連など分かるはずもない。また、汚染された井戸から遠く離れた場所でもその井戸水を飲んだ人はコレラに感染したというスノーらの報告については、その水が濃い瘴気によって汚染されていたからであろうと反論した。彼らは悪臭を放つ空気がコレラの原因だと主張しているのに、都合の悪い症例に関してだけは「水が汚染されていた」という驚くべき言い訳を述べるのである。

瘴気説に固執した人々の態度は、黎明期の稚拙な人類学が、様々な民族や人種に対して「白人より劣っている」というレッテルを貼って、差別を助長してきたという歴史と瓜二つである。

19世紀から20世紀にかけて、多くの学者が脳の大きさ、人相、IQなどによって人間の知能を測ることができると考え、それらの間違った仮説に基づいて知能が劣っているとされた人種や民族が差別された。そして、いったんそのようなレッテル貼りが行われると、その結論とは異なる不都合な真実が出てきても、それを都合の良いように解釈して切り捨てていまい間違いが長い時間訂正されないままになってしまう。
例えば、昔の骨相学では、高い地位にいる白人は脳が大きく、アジア人・黒人・貧しい人・犯罪者などは脳が小さいとされていた(実際には、脳の重量は体格などによって変わるし、当時の測定では頭蓋骨から正確に脳の重量を測ることなどできなかった)。ところが、墓から掘り出してきた高い地位にいる人々の頭蓋骨を調べてみると、明らかに犯罪者のそれより小さいものがあった。普通に考えれば人種や職業の違いと脳の大きさには何の関係もないという結論になるはずなのだが、当時の学者は、いや、昔の骨は保存状態も悪いし、それらは死因も違うので単純比較はできない、などと言い訳をして自説の正当性を曲げなかった。
例えば、20世紀前半のアメリカ軍で実施された知能テストでは、アングロサクソン系の白人移民が最も知能が高く、南欧系、アジア系、黒人は低い、という結論が得られていた。一方、アメリカでの生活が長い人ほど知能テストの結果も良いというデータも得られた(つまり、当時の知能テストは英語やアメリカの文化をある程度知っていなければ答えられないものであり、アメリカに来て間もない移民にとって不利なテストであった)。しかし心理学者たちは、より知能がある者はより早い時期にアメリカに移り住み、より知能の劣った者は最近になってからようやくアメリカに移住してきたのではないか、という今では考えられない仮説を述べ、知能テストの不備を認めなかった。
最近読んだ本まとめ(3)―『がん消滅の罠 完全寛解の謎』『人間の測りまちがい 差別の科学史』『真実の一〇メートル手前』 - 新・怖いくらいに青い空より引用)

著者も指摘しているように、偏見や固定観念に囚われた状態では、人は2つの意味で真実を見誤ることになる。第一に、そのような状態ではそもそも適切な調査項目を設定できずに、ただ自説を補強するためだけの調査結果しか得られない。第二に、自説と矛盾する結果が得られても、それを都合の良いように解釈して無かったことにしてしまう。

科学的思考の重要性

なぜ人々はこれほどまで頑なに瘴気説に固執したのだろう。それは第一に、コレラ菌は目で見る事が出来なかったから、というのが大きい。当時、顕微鏡は開発されたばかりで広く普及しておらず、ましてや、水の中にいる目に見えない微生物が人間に悪さをしているなど想像もつかない時代だった。しかも、コレラ蔓延の元となった井戸の水は、見た目では透き通った無色透明、むしろ他の井戸の水より綺麗なように見えた。だからこそ、そんな場所に目に見えない未知の病原体がいるという主張は、なかなか理解されなかった。

そして第二に、人間の遺伝子に刻まれた臭いに対する強烈な嫌悪感が、瘴気説を勢いづけたのである。人間をはじめとする多くの動物は、進化の過程で嗅覚を大きく進化させてきた。糞尿で汚染された食物を食べるのは危ないし、腐った食物を食べるのも命の危険がある。だからこそ、人間の嗅覚や脳は、糞尿や腐敗物が放つ臭いを嗅ぐと強い嫌悪感を覚えるように進化した。この本能に根差した嫌悪感が、臭いこそが万病の元であるに違いないという先入観を生み出したのだ。たしかに、汚物がそこら中に溢れかえっているような環境は不快だし改善されるべきだろう。だが、それらが放つ臭い自体は人間に害を及ぼさない。コレラ菌をはじめとする多くの病原菌やウイルスは無味無臭である。

そうした状況下で、何故スノーだけが瘴気説に染まることなく、真実を見抜くことが出来たのだろう。まず、彼の麻酔医としての経験が重要な役割を果たしたのだろう、と著者は述べる。エーテルクロロホルムといった麻酔薬の研究で実績を残していたスノーは、当然、気体の拡散についてよく知っていた。仮にコレラが瘴気によってもたらされるのだとしたら、その発生源を中心として同心円状に被害は広がるはずであるが、被害の分布は明らかにそれと異なっていた。また、麻酔薬は貴賤や人格とは無関係に、全ての人に対してほぼ同様の結果をもたらす。その事実を理解していたからこそ、病気というのは貧しくて不衛生な人が罹るものだといった当時の偏見から離れて、客観的に物事を見つめる事ができたのだろう。そして何より、彼自身が貧しい労働者階級の出身でソーホーのすぐ近くに住んでいたので、社会的地位の低い人々に対する偏見を持つことなく、地の利も生かして正確な情報を集める事ができたのだろう。ホワイトヘッドもまた、副司祭として地元民から慕われていたので、いち早く正確な情報を聞き出すことができた。

こうして得られた情報を分かりやすくまとめるという点においても、スノーは天才的であった。本著のタイトルにもなっているコレラ発生の分布を示した地図は、疫学の歴史上最も重要な図であると言われている。死者が発生した位置と井戸の位置とを表記し、さらに今日ボロノイ図と呼ばれる手法を用いて、ブロード・ストリートの井戸水を常用していた地区の範囲を示した。死者の分布はその範囲とピタリと一致していた。

どんなに膨大なデータも、立派な文章も、一枚の図が示す強烈なインパクトには敵わない。例えば、緑色蛍光タンパク質GFP)という光るタンパク質がある。観察したいタンパク質の遺伝子の近傍にGFP遺伝子を組み込むと、そのタンパク質とGFPの複合タンパクが作られ、鮮やかな緑色を呈した顕微鏡写真を取ることが出来る。GFPによって、これまで見えなかったものが、容易に見えるようになり、観察できるようになる。GFPはまさに私達の見る世界を変えた。スノーもまた、感染地図を駆使して、それまで見ることのできなかったコレラを、間接的に見えるようにしたのだ。

19世紀のロンドンで起こった災厄から1世紀以上が経過し、街の風景も科学技術も様変わりしたが、人類を脅かす怖ろしい病気と対峙する時に必要な方法論は、当時と今とで(そして将来も)何一つ変わりはしない。迷信や偏見を排し、物事を客観的に徹底的に観察すること。典型的なパターンとそのパターンに合わない例外とを見つけ出し分析すること。得られたデータを誰が見ても分かりやすい形で図示しまとめること。それこそが、人類が感染症に打ち勝つ唯一の方法である。

しかし、インテリジェント・デザイン論のような疑似科学が蔓延し、公衆衛生に関する予算が削られているアメリカの状況は、これと逆行しているように見える、と著者は警告している。その危惧は図らずも、トランプ政権下でのコロナ禍で現実のものとなった。

都市と感染症

さて、当初はなかなか受け入れられなかったスノーとホワイトヘッドの説だが、時間が経つにつれて瘴気説を唱える者は居なくなった。ロンドンでは大規模な下水道工事が行なわれ、コレラの集団発生は無くなった。これをモデルケースとして世界中の都市で工事が行われた。スノーらの発見は、公衆衛生の歴史を変えただけでなく、世界そのもの、人間のライフスタイルを劇的に変化させたのだ。

地球は都市の星になる。これがスノーとホワイトヘッドが方向性を決めた世界だ。私たちはもはや一千万を超える人間の住む大都市の持続可能性を疑うことはない。というより、大都市の超成長は地球上の人類の持続可能な未来を作るのに欠かせない要素となっている。
(『感染地図』、299~300ページより引用。)

そもそも人は何故都市で生活を始めたのだろう。このコロナ禍でほぼ毎日のように聞く「密」という言葉が示すように、都市で人が密集して生活するのはそれだけで感染症のリスクがある。にも関わらず、人は都市で暮らすことを選んだ。

その理由は、リスクをはるかに凌駕するメリットがあるからに他ならない。網の目のように張り巡らされた鉄道網、ビル内部の気温を一括管理する空調設備、大量の物を効率よく集配する物流システム。こうした都市の恩恵によって、人類は田舎に分散して暮らす場合よりもはるかに省エネで便利な生活を送れるようになった。それによって生み出された余剰の富は、人間社会をますます豊かにしていった。この流れを元に戻すことはほぼ不可能なことであろう*4

その流れを決定づけたのが、スノーとホワイトヘッドだったのだ。都市で発生する怖ろしい病気に打ち勝つ手段が提示されたその瞬間、人類の未来は決まったのだ。そして、我々が「withコロナ」の時代を生きるという運命も、あの19世紀のロンドンでの出来事によって定められたものなのである。

この記事の最後は、本著のエピローグに書かれた、コロナ禍の中で生きる人々を奮い立たせるような一文で終えることにしよう。

今日、私たちが直面している脅威がどれほど深刻であろうと、その脅威の下に横たわる原則に気づきさえすれば、迷信ではなく科学の声に耳を傾けるようにすれば、真実が隠されているかもしれない異なる意見に道を開くようにすれば、解決策はかならず見つかる。 (中略) 私たちはこれまでも、さまざまな危機に直面してきた。問題は、今後もそうした危機がやってきたときに大量の命を犠牲にすることなく対応できるかどうかだ。
(『感染地図』、327ページより引用。)

*1:酷い例では、昔から下剤として知られていたヒマシ油をコレラの患者に処方する医者もいたという。言うまでもなく、ただでさえ下痢と脱水症状で苦しんでる患者にそんなものを投与すれば、症状はますます悪化するだけである。

*2:当時、井戸の水を汲みに行くのは大抵子どもの仕事だった。子どもは親の与り知らぬところでブロード・ストリートの井戸水を汲んだりその場で飲んだりしていたので、それが調査を難しくしていた。最初の調査では井戸水と関係ないと思われていた患者でも、詳しく調べてみると実はその井戸水を飲んでいたということが後から分かってきた。

*3:役人や学者の中には、街にカルキなどをばら撒き消臭すれば、病気は消えて無くなると信じている者もいた。

*4:唯一それが起こり得るとすれば、それは核攻撃によるものであろう、と著者は述べている。人々が密集する都市が病原菌の格好の繁殖地であるのと同じように、大量殺戮を目論むテロリストにとっても格好の標的となる。もし、核兵器がテロリストの手に渡り、彼らが大都市の中心でそれを爆破させたら…。そのような事が繰り返し発生するのだとしたら、人は都市を離れ、分散して暮らすようになるかもしれない。