今更だけど『教皇選挙』見たので雑多な感想を書いておく。
これはバチカンに限らずあらゆる組織においてそうだが、本当に能力があるふさわしい人がトップに選ばれるとは限らない。名誉欲や出世欲が強くて上に立つためなら何でもする野心家がトップになりがちである。この映画は、表向きは聖人君子のように見える枢機卿たちが、裏でドロドロとした政治劇を展開しているという醜い現実を、白日の下に晒してくる。美しい聖堂の床にタバコが捨てられてる印象的なシーンが、それをよく象徴している。
私がこのブログでよく引き合いに出す『シャーマンキング』は、『教皇選挙』と似たようなテーマを扱っていたと思う。それは「神に仕える者、人の上に立つ者はどうあるべきか」というテーマ。麻倉葉も基本的に無欲な人だが、やはり、そういう人はなかなかトップ(=シャーマンキング)にはなれない。
それでも、時折「奇跡」が起こって、本当にふさわしい人物が選ばれることがある。作中であったように、偶然が重なって、不思議な風が吹くことがある。この巡り合わせ、偶然の積み重ねのことを、人は「奇跡」と呼ぶのだろう。人間は間違えてばかりだけれど、でも、意外と良い選択をしている場合もあるよね、という希望を最後に示す映画だとも思う。
だが、話はそう単純ではなくて、「本当に一点の曇りもない人間などいるのか?」「己の野心で動くことは本当に悪い事なのか?」という問題にまでこの映画は踏み込んでいるように思う。
新教皇になったベニテスもまた、己の中に野心が無いとは言い切れない。どんなに崇高な理念や意志を持っていても、力(地位)がなければ無力だという現実を、彼も理解しているんだと思う。そうでなければ教皇に選出されることを彼は受け入れなかっただろうと思う。ブリーチで「剣を握らなければお前を守れない。剣を握ったままではお前を抱き締められない」とかいうオサレポエムがあったけど、それとよく似た二律背反の現実がそこにはある。
そして最終盤になって、さらに驚くべき秘密が明らかになって、バチカンが抱える差別意識の複雑性を浮き彫りにするような展開に。保守派もリベラル派も美辞麗句を並べ立ててはいるけれども、結局はこれまでずっと女性を中枢から排除してきたっていう意味では同じ穴の狢だよね、という告発。神が男と女を作ったというのなら、何故、両性具有が存在するのか?っていう問いも、キリスト教にとってクリティカルな批判になるかもしれない。
秘密のベールに包まれたコンクラーベを描いたという点で注目を集めた映画だが、ストーリー自体はそこまで面白いものでは無かったので、アカデミー作品賞逃したのも「まあ、仕方ないかな」とは感じる。