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新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

権力者の抱える孤独とルサンチマン―『いでおろーぐ!』第5巻感想

いでおろーぐ!』第5巻、素晴らしかったです。この手のラノベに有りがちな非常に無難なエンディングになるかと思いきや、まさかラストであんな大どんでん返しが待っているとは…。

「非リア充」的なものの中にある「リア充」性

このシリーズで一貫して書かれていたのは「非リア充」的なものの中にある「リア充」性だったと思います。主人公である高砂と領家は、コミュ障で友達もなかなか作れなくて、校内でイチャイチャしているカップルを遠目で見ながら「リア充爆発しろ!」と叫ぶ典型的な非リア充として描かれています。そして彼らは、反恋愛主義青年同盟部の一員として急進的な反恋愛主義とリア充撲滅を掲げて活動していきます。ところが、いざ仲間を集めて活動を展開していくと、話がどんどんおかしくなっていきます。あれ?確かに動機や目標は普通の人と大きくかけ離れているけれど、一つのことに懸命に取り組み、その中で仲間との友情を育むその姿は、もはや、彼らがあれほど忌み嫌っていた「リア充」そのものじゃね? 要するに、彼らが反恋愛主義活動に邁進すればするほど、彼らの生活は灰色からバラ色へと変わって行き、リアルは充実していく。事実、活動を続けるうちに高砂と領家は両想いの関係になり、自分の思想信条と恋愛感情との間で葛藤するようになります。ここに反恋愛主義の抱える根本的矛盾が潜んでいるのです。

しかし第4巻までは、誰もこの「根本的矛盾」に正面から向き合ってきませんでした。むしろそれは、「いやいや、反リア充活動してるお前らが一番リア充行為してんじゃねえかwww」という一種のギャグとして機能していました。本人たちも、鍛錬だとか偵察だとか色々な言い訳を頭の中で捏ね繰り回して、デートとか合宿とかを繰り返していて、「お前ら傍から見たら完全にバカップルやん!」と言いたくなることばっかりし始めます。しかも、それを指摘されたら、そのバカップル行為すら「敵である生徒会を欺くための演技」という風に自己解釈して、自分の中の感情を必死で否定して、のらりくらりと批判を受け流しながらここまで来たわけです。

ところが、第5巻ともなると、もう彼らの中にある気持ちを自他共に認めざるを得ない状況になってしまいます。作戦失敗の責任を取って議長を辞任すると言う領家に向かって高砂は、「もしお前が辞任したら俺はお前を部から追放する、その後自分も部を辞めてお前に告白する、そしたら俺達はあれほど忌み嫌っていた「リア充」に成り下がるだろう、それでもいいのか?」などと言って脅しをかけます。うわあwww完全に開き直りやがったwww そんな感じでこの第5巻で彼らは、文化祭打倒運動と称して生徒会活動の妨害や演説・ビラ配りを続けつつ、一方ではクラスのあるいは生徒会の一員として文化祭運営に勤しむという、実に典型的な「リア充」的活動を繰り返しているのです。もう倒錯しすぎて訳分かんねえよwwwっていう感じになっていますね。

こうして、最初は「友達ができない」「恋人ができない」という非リア充的なルサンチマンを原動力として活動していたはずなのに、同志と共に活動に邁進するうちに次第に私生活がリア充的なものに変わっていく、という前代未聞の倒錯的状況が出来上がってしまったのです!

リア充」的なものの中にある「非リア充」性

一方、第1巻から高砂達の敵として立ちはだかる生徒会長・宮前の方では、高砂達とは全く逆の変化が生じていたのです。つまり、「リア充」的なものの中にある「非リア充」性が、この第5巻では強烈なインパクトを持ってついに表出してきたというわけです!

これまで宮前は、恋愛至上主義を掲げて生徒たちに恋愛の尊さ、素晴らしさを説いて回り、高砂達の反恋愛主義活動に強い敵意を向けてきました。生徒会長としての人望も厚く、常に明るい輪の中心にいる彼女は、見るからにリア充然としています。ところが実際の宮前さんは、生徒会長としての多忙な日々に追われまともに恋愛もできてないし、有能すぎるが故に表裏なく話のできる友達も多くないようです。さらには、高砂と領家が一緒にバカップル行為をしているのを見て、それを羨ましがるような様子も見せています。極めつけが、今回の文化祭でした。文化祭全体の準備や反恋愛主義活動の取り締まりに追われ、自分のクラスのことには手が回らない状態になってしまい、さらに当日は過労のために倒れてしまって思うように仕事ができません。ここでまさに「リア充」と「非リア充」の不思議な逆転現象が発生しているのです。

そして第5巻のクライマックス。これまでずっと生徒会活動を手伝ってくれた(と宮前が思い込んでいた)領家が実は反恋愛主義活動団体のリーダーだったと分かると、ついに宮前の怒りが爆発。全校生徒に向かって「リア充爆発しろ!」と叫んだ後、反恋愛主義を標榜しながらリア充行為に手を染めてきた領家と高砂自己批判を要求します。さらには、こんな輩に反恋愛運動は任せられないと言って、領家を反恋愛主義青年同盟部議長の座から引きずり降ろし、自分が後任の議長になって完全に部を乗っ取ってしまったのです! こうして宮前もまた、高砂たちとは別の意味で完全に開き直り、今後は反恋愛主義活動に邁進すると誓うのです。

権力者の抱える孤独

宮前という人は結局、恋愛至上主義の信奉者でもなく、反恋愛主義や非リア充に対するヘイトスピーカーでもなかったのです。彼女はきっと、自分の心の中で沸々と湧き上がるルサンチマンの存在を認めたくなかっただけなのです。「彼氏が欲しい!友達が欲しい!リア充になりたい!」という強い欲求、さらに、その欲求が満たされないことによって次第に強まっていく僻み、妬み、嫉妬、悲しみ、怒り、その他あらゆる負の感情。でも、そういった負の感情が自分の中にあることを認めてしまったら、「自分は非リア充である」という耐え難い事実を認めてしまうことになる。であるからこそ、宮前は自分の中にある負の感情を必死に押し殺し、その感情の矛先を反恋愛主義者や非リア充へと向けてきたのです。

その姿を見て私は、映画『J・エドガー』の中で描かれる元FBI長官、ジョン・エドガー・フーヴァーのことを思い返さずにはいられません。彼もまた、同性愛者としての自分のアイデンティティを公表することができずに、偽りの自分を必死に演じながら生き続けた人でした。そして、やはり自分の中にある「弱さ」を認めることができず、FBI長官としての職権を乱用して、どうしようもない感情の矛先を他人へと向けたのです。これは、よく考えてみると実に怖ろしいことです。似たような現象は、様々な場所でいつ何時起こってもおかしくないし、万が一、自分が権力を手にした時、同じことをしないという保障はどこにもありません。

結局、宮前やフーヴァーが必死に壊そうとしたもの、それは、自分が望んでも手に入れることのできなかったものに他なりません。本当は自分も、反恋愛主義青年同盟部に入って感情の赴くままに自由に生きたい。でも、自分の立場とかプライドが邪魔をして、それができなかった。だからこそ宮前は、自分が手に入れられなかった自由を手に入れた人達を、心の底から羨み、妬み、それを必死に壊そうとしたのです。しかし、第5巻のラストでついに宮前は、自分を閉じ込めている檻から脱出し、感情を爆発させることができたのです。そして、それを可能にしたのは、宮前と領家との間の、立場や思想信条を抜きにした、正真正銘の心の交流だったのだと思います。

最初のうちは、宮前は、学校という社会の中で非リア充たちを生き辛くさせている元凶、主人公たち非リア充の敵としてしか描かれませんでした。しかし、物語が進むにつれて、非リア充側にリア充性が付与されるようになり、逆に、リア充である宮前の側の非リア充性にも焦点が当たるようになっていく。そして、文化祭での非リア充描写やその後の心の叫びを通すことで、最初は敵キャラでしかなかった宮前が、すごく魅力的で共感を呼ぶキャラクターへと変身していきました。まさに、ライトノベル5巻分を使った大どんでん返しです。今後の展開がどうなるのか、全く予想もつきません。