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【独自】速見コーチの「暴力映像」 宮川選手を平手打ち(フジテレビ系(FNN)) - Yahoo!ニュース

「何も事情を知らない部外者が後出しジャンケンで発言するな」という批判は甘んじて受ける。それでも、この映像が出てきて本当に、本当に良かった。心の底から、本当に良かったと胸を撫で下ろしている。

暴力を振るった側が擁護され、たとえ暴力を振るっても当事者が納得してるなら問題ないという風潮がほんの少しでも社会に拡散する危険性が無くなって良かった。

相手を思いやってする暴力などというものは存在せず、百歩譲ってそれが存在するとしても暴力を正当化する理由にはならず、暴力を伴う指導は「異常」であり、そういった指導を求めたり容認したりすることも「異常」である、ということが多くの人に知れ渡って良かった。

映像が出てくる前は、まるで過去の暴力行為など存在せず、速見コーチと宮川選手が何かとてつもなく理不尽な圧力によって苦しめられている悲劇の主人公かのような報道がなされていた。それが映像が出てきた途端、どうだ。速見コーチ=善、塚原夫妻=悪、という図式は崩れ、一連の出来事は以前とは異なる色で上書きされてゆく…。これでようやく潮目が変わったと思う。

誤解を恐れずに言うが、私が「動画が公開されて良かった」と言うのは、宮川選手にとって良かったという意味ではない。今現在、学校や家庭で暴力被害を受けている子どもや、これから受ける可能性のある大勢の子どもにとって良かった、という意味だ。

法治国家としてベストなのは、暴力を振るった者は問答無用で逮捕して裁判にかける、ということなのだが、暴力行為が行われた場所に常に監視カメラがあるとは限らないし、全部の事件を警察が捜査することになると人も金もいくらあっても足りなくなる。なので現状では、特に悪質で危険な暴力で、かつ、被害者やその家族がマスコミや警察に被害を訴えた場合にのみ、その暴力が表沙汰になる。時津風部屋の力士が死亡した事件も、大阪の航行でバスケ部の主将が自殺した事件も、女子柔道の日本代表監督による暴力・パワハラ問題も、日馬富士による後輩力士への暴力事件も、日大の悪質タックル問題も、すべて被害者やその家族が勇気を持って声を上げたからこそ大きく報道された。だから、暴力を受けた被害者が声を上げるという事が何より大事になってくる。本来であればこれは望ましい形ではない。被害者の感情とは関係なく、暴力を振るった者は罰を受けるという形にすべきである。そうでなければ、まさに今回の問題のように、「被害者側も納得してるからOK」みたいな言い訳がまかり通ってしまう。しかし、上で挙げたように、警察の対応力やマスコミの取材能力にも限界があるので、どうしても被害者が声を上げた案件だけがクローズアップされがちになる。

だが、こうして不完全な形ではあるものの、暴力が学校や社会で問題となり、場合によっては警察の捜査が入り、加害者が社会的制裁を受ける。暴力は許されない、暴力を振るった者は罰せられる、ということが世間へ繰り返し繰り返し発信され続けることが、何よりも重要なのだ。そうすることで、今現在暴力を受けて苦しんでいる人が声を上げやすい環境が生まれ、暴力的な指導を止めさせる抑止力となる。言葉は悪いかもしれないが、これはある種の「見せしめ」だ。でも、それをすることによって、暴力=悪という図式が生まれ、それが世間に浸透し、被害者は救われ、社会は少しずつ良い方向に変わっていく。

今回の事件は、暴力を追放しようとする世間の流れと完全に逆行する流れを作り出してしまう危険があった。たとえ暴力を振るったとしても、軽く叩いた程度なら許される、被害者側が納得してるなら許される、被害者側が望んでるのであれば暴力を振るった指導者でも指導を続けられる、そういう「空気」を作り出してしまう危険性があった。そういう「空気」ができあがると、暴力の加害者は自らの行為を正当化しやすくなり、被害者はますます声を上げることが難しくなる。その「空気」は定量化できない。けれども、暴力の当事者がちょっとでもそういう「空気」に触れて、自覚の有無にかかわらず、暴力を容認する方向へ行動が変わっていくのだとしたら、これは怖ろしいことだと思う。

もちろん、塚原夫妻の行動にも問題が無かったとは言わない。速見コーチや宮川選手が言うように、パワハラのようなものがあったのかもしれないし、宮川選手を自身のクラブに引き抜こうとする魂胆があったのかもしれない。しかし、仮に塚原夫妻によるパワハラが事実だったとしても、元はと言えば速見コーチが暴力を振るったのが全ての元凶じゃないか。速見コーチが過去の暴力行為について真摯に反省しているというのなら、胸の内がどうであれ、謝罪と反省の言葉以外は何も口にするべきではない。それが大人としての責任の取り方だと思う。暴力行為は無かったと反論したいのなら、そうする権利が彼にはある。処分が重すぎるというのなら、自分がもう十分罪を償ったと思った時点で、「そろそろ許していただけませんか」とお伺いを立てればいい。けれども、まだ罪を償いもしない段階で謝罪と反省の言葉以外を口にするというのなら、それは暴力について反省してないと見なされても仕方のない行為だ。

宮川選手についても、自身の体験した事や思ってる事を世間に広く訴えていく権利がある。しかし、速見コーチを庇うために嘘をつくようなことは許されない。