新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

突然性と奇跡について―『Angel Beats!』論から『魔法少女まどか☆マギカ』における救済の方法を探る

奇跡って、なにも、現実に起こらないことである必要はないと思う。実現する可能性が0%だろうと100%だろうと、そんなのは割とどうでもよくて、ただ本当に重要なのは、当人が叶えられると思っているかどうか、という点だ。
(中略)
日向はユイに、彼女の願いが決して実現不可能なものではないこと、限りなく0に近い可能性であったとしても意志の力があれば達成できること、そして日向自身が愛の力でユイの願いを実現して見せることを、彼女に悟らせた。これが、ユイにとっての正真の「奇跡」であった。
『Angel Beats! 第10話「Goodbye Days」』(妄想詩人の手記) より引用。

先程二種類に分類した死*1を『Angel Beats!』に当てはめてみると、不自然な事が起こる。分かりやすいのが岩沢とユイの死に方だ。彼女らは自ら死ぬ事を望んでいた様子は無い。しかし高い達成感・満足感を得ている事は間違いない。つまり、「本人から見て突然訪れた死」が「満足した死」となっている。
『「Angel Beats!」に存在しなかった「もう一つの世界」』(アニメルカVol.2)P61 より引用。

異なる2人の論客が、死の「突然性」という同一の観点から『Angel Beats!』を考察したことは非常に興味深い。現実世界においては、交通事故という「突然」の出来事がユイから幸福を奪ったのに対して、死後の世界では、本人が予想もしていなかった「突然」の日向の告白が、ユイを幸福な死(成仏)へと導いたのだ。「突然性」こそが、「奇跡」の前提条件であり、ユイ達を救済する鍵であった。

私は、もし『魔法少女まどか☆マギカ』の魔法少女達が救済されるのだとしたら、AB!的な「突然性」を用いた方法でしか有り得ないのではないか、という気がしている。*2 もうマミさんは生き返らない、魂を抜き取られてしまった、片思いの相手は自分のことを見てくれない、という絶望的な状況を打開するには、本人が思いもしなかった「突然」の奇跡の力が必要である。

しかしAB!のユイの場合、「突然」の奇跡がそのまま、幸福な死へとも直結していた。まどマギの場合も、魔女となってしまった魔法少女が人間に戻れるとは思えないし、そもそも一つの願いと引き換えに魔法少女となった時点で、普通の生活には後戻りできない。そうなると、さやかにとっての奇跡=幸福は、当然「死」と連動したものであると言えそうだ。

「突然」の事故によって幸福を奪われた上条恭介。「突然」現れたキュゥべえ。「突然」のマミさんの死。「突然」と魔法少女になることを決めたさやか。*3 そして、「突然」真実を知らされて絶望し、ついには魔女になってしまったさやか。この突然性の連鎖は、最後くらいはせめて、「突然」の奇跡による幸福な死によって終わってほしい。心からそう願っている。突然不幸になった少女達がもし救われるのだとしたら、それもまた「突然」の奇跡によって達成されるのではないだろうか。*4

*1:この論文の投稿者である安眠枕氏は、『AIR』『CLANNAD』といった以前の麻枝准作品では、「満足した死=本人にとって予定されていた死」「不満足な死=本人から見て突然訪れた死」という2種類の死の図式があったと述べている。

*2:偶然にも、ユイと美樹さやかの声優はどちらも喜多村英梨さんである。

*3:マミさんの忠告を無視してさやかが魔法少女になったのは、上条恭介の絶望感を「突然」突きつけられたという経験がきっかけであった。

*4:その「奇跡」の具体的な形は、8話まで見た地点では、残念ながら未だに見えてこない。