新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

『ココロコネクト』の思想2―「世界を変える」ということ、「仲間を信頼する」ということ

はじめに

前回の記事『ココロコネクト』の思想1―「悩み」を解決するためのヒントでは、『ココロコネクト』の第1巻から第3巻までの内容について考察した。今回は、それに続いて第4巻、短編集である第5巻、そして先日発売されたばかりの第6巻について考察していこう。

前回の記事以上に長くなってしまったが、ご容赦願いたい。上から第4巻、第5巻、第6巻という順に解説しているので、興味のない箇所は飛ばしてもらっても構わない。

ありのままの自分を肯定し、ありのままの自分を肯定してくれる仲間を信じよ

ココロコネクト ミチランダム (ファミ通文庫)

ココロコネクト ミチランダム (ファミ通文庫)

第4巻で文研部が直面するのが『感情伝導現象』。心の中で思っていることが他のメンバーに筒抜けになってしまう現象だ。これは一見すると第2巻の『欲望解放現象』と似ているように思えるが、私はやはり少し状況が異なると思う。前回記事でも述べたように、理性を失った状態で表出してくる行動を見て、それがその人の「本質」だというような判断を下してはならない。己の欲望に支配されることなく、理性によって能動的に行動を選択できる時、はじめて人の本質は現れる。だから、『欲望解放』状態であっても、人の内面が完全に表に出てきたとは言えない。ところが、『感情伝導現象』では、その人が理性的に判断した事柄に関しても、相手に伝わってしまう。もちろん、伝導される感情が必ずしも理性的な状態で生じたものとは限らないが、中には、その人の本質を的確に示すような感情が伝導されることもある。

作品冒頭、八重樫太一は永瀬伊織に付き合ってほしいと告白するが、伊織はそれを拒絶する(その理由については後で述べる)。稲葉は伊織に詰め寄るが、その時、「関係ないじゃん。なんでわたしにキレるの?」*1という伊織の心の声が伝導されてしまう。稲葉はそれを聞いて落ち込むが、そこでさらに伊織の「落ち込むなよ。自分でキレておいて。勝手だ」*2という心の声も伝導される。この出来事によって、伊織が明るく快活に見えるのは、実は彼女がそういう風にキャラを偽ってきたからに他ならない、ということが判明してしまう。偽ることに疲れた伊織は、他者に対して完全に心を閉ざしてしまう。

ちょっと話は変わるが、この作品をディスコミュニケーション(以下、DCと略す)という観点から論じると面白いことが分かる。一般的にDCが生じるのは、登場人物間で「想いが伝わらない」ことが原因とされ、それを解決するために自らの想いを素直に受け入れ、それを思い切って表に出すという方法がとられることが多い(参考:『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』―「想いの伝わらなさ」を克服した物語 - 新・怖いくらいに青い空)。ところが、『ココロコネクト』では一見すると、「想いが伝わる」(=伊織の内面が表出する)ことによってDCが生じている。この違いからは、次の2つの事が分かる。1点目は、本人の意図に反して感情を公表しても、それはDCの解消には何ら寄与しないということ。要するに、登場人物が感情を表に出す「選択」を下すまでのプロセスが結構重要だということだ。2点目は、実は「想いが伝わらない」ということがDCの原因ではないということだ。よく作品を見てみると本作に限らずDC一般は、「伝わらないこと」ではなく、「想いが誤解されて伝わること」や「想いの一部が変に誇張されて伝わること」によって生じる。要は、「伝わり方」の問題なのだ。そして、本作のように本人の意図に反して感情が伝導されるというのは、明らかに間違った「伝わり方」だと言えるだろう。

では、想いが間違った形で伝わったことで生じたDCを解消するためにはどうしたら良いのだろう。その間違った伝導を断ち切って、想いを伝えないようにすることだろうか。いや、違う。DCは、「正しく想いを伝えること」によってのみ解決される。間違って伝わったのは伊織の心の「断片」だけだ。そこから生じたDCを解決するには、より深く彼女のことを知らなければならない。実際、文研部のメンバーは心を閉ざしてしまった伊織に何度も声をかけ続ける。たとえ、それによって伊織を傷つけたり、逆に自分が傷ついたりしようとも、逃げずにちゃんと伊織と向き合おうとする。言うまでもなく、これは第2巻の『欲望解放現象』の時に5人が学んだことであった。相手のことを知りたいのなら、傷つけ合うことを怖れるな――この教訓を胸に、文研部のメンバーは何度も何度も伊織と話し合おうとする。そして、ついに伊織が、『感情伝導現象』でなく、自らの意志で感情を表に出す瞬間が訪れる(ここからがようやく本題)。

第4巻の231〜244ページにかけて(ページ数にして13ページ!)、伊織は自らの感情を叫び上げる。この魂の叫びによって明らかになったのは、「周囲が期待する自分」と「本当の自分」との間のズレだ。伊織は周囲から明るく快活なキャラと思われていた。けどそれは、伊織が必死に努力して、そうあろうとしたからこそ得られたキャラ付けだった。普通の生活を送る分には、それでも特に問題はなかったのだが、そこに〈ふうせんかずら〉が現れて何度も心を掻き乱された結果、伊織は「周囲が期待する自分」になることに疲れてしまった。「周囲が期待する自分」と「本当の自分」とのズレはますます大きくなり、周囲との接し方が完全に分からなくなった。

「もう無理だって……! できないって……! みんなに期待されるようなわたしなんて……! 周りの人を幸せにしてみんなから愛されるようなって、どれだけ素晴らしい人間なんだよ! わたしはそんな凄い人間になれないよっ!」*3
「もう誰かに求めて貰えるような理想の自分でいることには疲れたよっっっ!」*4
「みんなに期待される……みんなに求めて貰える自分はこんなのなんだってなって、自分でも、わたしはそんな人間なんだって思い込もうとして……。ううん、そんな人間になりたいと思って……。でもやっぱり……見失っていた本当の自分がわかるほどに自分はそんな人間じゃないって思えてきてっ! そんな凄い自分……もうやってられないってなって!」*5

確かに文研部は伊織に対して、明るく、元気が良く、いつも冗談を言って笑っているようなイメージを持っていた。だからこそ、『感情伝導』によって伊織の心の内を垣間見た時、「イメージと違いすぎる」「伊織ちゃんってこういうキャラだっけ?」*6というような感覚を抱いた。本当の伊織を分かってあげられなかったという点に関して言えば、確かに文研部の方にも落度があった。しかし、稲葉は上の伊織の叫びを「話が長い! くっそ長い! うっとうしいんだよバカ!」*7と一蹴する。ここからは完全に稲葉のターン。

「どれだけお前の理想は高いんだよ! 確かにアタシ達も無意識の内にお前に過度な期待をしてたかもなっ! でもそれに完璧に……綺麗に応えようとし過ぎて、無理をきたして、って。ただの……バカだろうがっ!」
「気持ち悪いくらいの完璧主義なんだよ! 上手くやれないから全部やめるってなんだよ! それじゃ今までのお前が全部嘘みたいじゃねえか!」*8

もうお分かりのように、これは第1巻において用いられた「思考の相対化」の反復だ。伊織はこの問題を「本当の自分」と「期待される自分」との板挟み状態だと解釈していた。しかし、稲葉に言わせれば、伊織が完璧を求め過ぎて潰れてしまっただけ、ということになる。伊織が抱く「アイデンティティの危機」という問題を、「完璧主義ゆえに生じた苦悩」でしかないと断言することで、負の思考の連鎖に陥っていた伊織に新たな視点を提示したわけだ。さらに稲葉と太一は、次のように伊織に語りかける。

「テメエの人生だろうがっ、勝手に好きなように生きとけっっっ! そしたら後は勝手に周りが……アタシが……受け止めてやるよっっっ!」*9
「永瀬の理想の部分もそうじゃない部分も全部知った上で、 (中略) 俺は、それでも永瀬伊織のことが好きだぞ」*10

太一は、「期待される自分」になりきっている伊織を見て、彼女のことが好きになった。けれども、その伊織は「本当の伊織」ではない。そのことが分かっていたから、伊織も太一を振った。しかし、「理想の部分もそうじゃない部分も全部知った」状態で、それでもなお、太一は伊織のことを「好き」だと言った(一応「人間的に好きってことな! 恋愛感情はとりあえず置いててくれ!」*11とも言っているが)。

「永瀬は俺が理想としていた姿とは大分違うのかもしれない。でも、それでも俺は永瀬と、友達でいたいんだ」
目を見張っていた永瀬の瞳が、潤む。
「……なんで……なんで? その人が思ってたのと違っても、って。じゃあなにをもって……友達を友達としてるの?」
「知らん!」
稲葉を見習って断言してみた。うん、案外気持ちいいな。
永瀬が「えっ?」と戸惑う。
「今までの永瀬と今の永瀬では、確かに俺の中で大きな差がある。イメージが変わっている。でもどちらの永瀬だって、同じくらい友達でいたい」
「だから……なんでっ」
「知らん! 俺は友達でありたいと思うし友達だと思う! 大切なことはそれだけだって納得してるからそれでいいんだっ!」*12

この台詞を読んで、『Angel Beats!』のユイと日向の会話を思い出した。

「俺が結婚してやんよ! これが、俺の本気だ」
「そんな……、先輩はホントの私を知らないもん」
「現実が、生きてた時のお前がどんなでも、俺が結婚してやんよ! もしお前が、どんなハンデを抱えてても」
「ユイ歩けないよ、立てないよ」
「どんなハンデでもっつったろ! 歩けなくても、立てなくても、もし子供が産めなくても、それでも、おれはお前と結婚してやんよ! ずっとずっと、そばに居てやんよ。ここで出会ったお前は、ユイの偽物じゃない。ユイだ。どこで出会っていたとしても、俺は好きになっていたはずだ」*13

この2つの場面に共通するのは、伊織とユイにとっては「奇跡」にも等しい瞬間だったということだ。伊織は「本当の自分を好きになってくれるわけがない」と思っていたし、ユイも「こんな自分が結婚なんて出来るわけがない」と思っていた。そこに思いもしなかった言葉をかけられたことで、彼女らの心は救済される(関連:Angel Beats! 第10話「Goodbye Days」 妄想詩人の手記/ウェブリブログ)。ユイと伊織がここで経験したのは、「ありのままの自分=本当の自分」を肯定してもらえるという体験。『Angel Beats!』の場合、あの死後の学園から「卒業=成仏」することが主題となっていたわけだけど、それは死後の世界でプロレスやサッカーをして「ああ楽しかった」では達成できない。生前の「ありのままのユイ=ハンデを抱えたユイ」を彼女自身が肯定できるようになってはじめて、彼女は成仏できた。同様に伊織も、「期待されている自分」ではなくて「ありのままの自分」を肯定されることによって、ようやく苦悩から解放されることとなる。

話を元に戻そう。稲葉と太一の言葉を聞いて、ようやく伊織は自分の陥っていた間違いに気づいた。

子供ながらに新しい父親と上手くやらなくちゃと思ったから、自分はその人にとってのいい子であろうとした。
(中略)
そのいい子でいなければという感覚は、成長するにつれ、自分のいるコミュニティーに適合していく形で変化していった。つまりは周囲と比べるようになり、その論拠となる基準を求めて、『普通』にこだわり出した。
(中略)
ありのままじゃ自信が持てなくて、周りと比べて、『普通』という名の基準を見つけて、自分のあるべき理想像を考えて。
気にしていない風を装って、実は他人の目を、気にしてばかりいたのだ。*14

人は自分と周囲との「差異」を怖れ、それを正して「普通」であろうとする。何故なら、「差異」は「差別」に直結する危険性を孕んでいるからだ。しかし、本当の友情や愛の前では、普通であるか否か、期待に応えられるか否かなどは些末な問題に過ぎない。「どんなハンデを抱えて」いても結婚したいと思える日向のように、たとえ「理想としていた姿とは大分違う」としても文研部5人の絆が壊れることはない。伊織はようやくそのことに気づいた。

長くなったが、話をまとめよう。理想の自分、周囲の期待に応える自分で居続けるのには無理がある。何故なら、そういった状態はその人にとって「自然」ではないからだ。それは川の流れに逆らって泳ぐような努力を必要とする行為だ。もちろん、社会の中で生きてゆくためには時折そういう無理をすることも必要だが、伊織のように無理をし続けるといつか心が折れてしまう。だからこそ、ありのままの自分を受け入れてくれるコミュニティの存在は大切だ。期待とか損得勘定を抜きにして、ありのままの自分を肯定してくれる仲間。その仲間を信じ、ありのままの自分を自分自身で肯定する勇気。そして何より、「ありのままの自分」で居られる「場」がある、という事実の素晴らしさ。今日の日本で、そのような場を持っている人はどれくらいいるのだろう。そういう意味で言えば、太一達は幸運な存在なのだろう。

人事(意志を伝える)を尽くして、天命(相手の選択)を待て

ココロコネクト クリップタイム (ファミ通文庫)

ココロコネクト クリップタイム (ファミ通文庫)

第5巻は短編集となっており、〈ふうせんかずら〉はほとんど登場しない。ゆえに文研部が不思議な現象に巻き込まれることはなかったが、本作のテーマに関わる重要な記述があったので、あえてここで考察する。季節は4月になり本来なら新入生を勧誘する時期となる。しかし文研部の5人は、〈ふうせんかずら〉の問題に新入生を巻き込みたくないという思いから、積極的な勧誘はしないという方針を採る。自ら進んで入部してくる者は歓迎するが、こちらから入部してくれと頼むようなことはしないと決める。その結果、体験入部にやってきたのは、円城寺紫乃と宇和千尋という2人の一年生だけだった。彼らは何度も部室に足を運び、明らかに入部したそうな感じだが、なかなか入部するとは言ってくれない。5人はその理由を考え、そしてハッと気づく。もしかしたら、自分達が「入部してほしい」という意志をはっきり伝えていないことが原因なのではないか。

考えてもみればだ。
なにをやっているのかよくわからない部活だ。そこに入る可能性のある同級生は二人だけだ。同学年の友達が増えないけどいいのか。二年生五人と上手くやれるのか――。
キリがないくらいに不安な点だらけだろう。にもかかわらずこの文研部に来る、たぶんそれだけで勇気が必要だと思う。
そして勇気を出して文研部に歩み寄ろうとしているのに、文研部の人間は煮え切らない態度だ。*15

まだ行ったことのないレストランに入ってみる時のことを考えてみるといい。どんなメニューがあるのか、どのくらいの値段か、店の雰囲気はどうか、それらが分からない状態で店に入る客はいないだろう。新入生に入ってきてもらうためには、まずは部のことを知ってもらわなければならない。それに加えて、こちらから「入部してほしい」という意志をはっきり伝えなければならない。

「オレ薄々思ってたんだけどさ、みんなさ、文研部に新しい誰かが加わるのに、ちょっと尻込みしてね?」
青木が、薄々皆が気づき始めたことを明確に言葉にする。
(中略)
何も見えない世界。それでも感じられる五人の絆。
そう、そこまで完成された五人だけのコミュニティが山星高校文化研究部なのだ。
包み隠さず認めよう。
それを壊されてしまうのがちょっとだけ、恐かった。*16

後でまた述べるけど、文研部は良くも悪くも閉鎖的なコミュニティだ。5人の結束が強固であるがゆえに、無意識のうちに新しい風が入って来ることに抵抗を感じてしまっていた。そんな状態では、ただでさえ新入生が入りづらい状況なのに、ますます入ることが難しくなる。本当に新入生に入ってきてほしいのなら、たとえ〈ふうせんかずら〉のことがあったとしても、その気持ちをはっきりと表明しなければならない。5人はようやくそのことに気づいた。

「なあ、みんな。色んなこと全部踏まえた上でもう一度確認するけど、新しい部員欲しいよな?」
皆、頷く。 (中略)
「なら今更かもしれないけど、それを伝えよう。そして―― (中略) 〈ふうせんかずら〉の危険に二人を近づけてしまうかもしれない。その罪も、正々堂々真正面から受け止めて、背負おう」*17

文研部の5人は、それぞれの言葉で紫乃と千尋に「入部してほしい」という意志を伝える。その言葉を受けて、2人はようやく入部する決心をかためる。

ここで話は変わるが、文研部の校内での立ち位置について考察していこう。第1巻の時点で、文研部の5人は基本的に「アウトロー」だということが明記されている(そもそも、部活モノのライトノベルに描かれるキャラクターは基本的にアウトローだと言えるのではないだろうか。『涼宮ハルヒの憂鬱』のSOS団、『僕は友達が少ない』の隣人部、そして『学校の階段』の階段部などがその典型だろう)。山星高校では、生徒全員が何らかの部活に所属しなければならないという規則がある。様々な理由によって既存の部活に入れなかった者が集められて出来たのが文研部だ。例えば太一の場合、プロレス研究会に入部したいと考えていたが、人数が揃わずに断念した。稲葉の場合、初めはパソコン部に入ろうとしていたが、体験入部中にそこの部長と対立し、結局入ることをやめてしまう。他のメンバーも様々な理由によって、既存の部活に入ろうとしなかった。普通なら、そういう生徒は形だけどこかの部に所属しているという事にして幽霊部員になるのだろうけど、この5人は変に頑固なところがあったので、他の部活に入ろうとはしない。そこで、教師達がこの5人を集めて新しい部活を作らせたわけだ。

もし「生徒は何らかの部活に所属しなければならない」という規則がなければ、文研部の5人は帰宅部員になっていただろう。部活に所属しない生徒など、数十人、場合によっては数百人単位で存在するのだから、文研部のメンバーが特異な立場に置かれることも無かったはずだ。しかし、社会や集団の中の「制度」によって「多数派-少数派」という区別は変化する。部活に所属しないという事が認められない制度のもとでは、彼らは圧倒的なマイノリティであり、他の部活に所属出来なかった「アウトロー」という位置付けにされてしまう。おまけに〈ふうせんかずら〉の事がある。彼らが経験することはあまりにも非日常的なので、文研部メンバーはその事を決して外部に漏らそうとはしない(仮に漏らしたとしても信じてもらえないかもしれない)。その結果、文研部の閉鎖的で秘密主義的な傾向はますます強くなり、外から見れば「他の部活に入れなかった溢れ者達がテキトーに何かやってる部活」という印象にならざるを得ない。まとめると、

  • 彼らは元々「アウトロー」だった。
  • 閉鎖的で外部からは何をやっているのかよく分からない。
  • 様々な体験を通じて部員間の絆は極めて強くなっている。

といった要因によって、外部の人間がなかなか入りづらい雰囲気が形成されているわけだ。そのような状況下で幸運にも体験入部に来てくれた新入生に対して、「来る者拒まず、去る者追わず」といった消極的な姿勢を貫くことが、果たして賢明な判断なのだろうか。これが、こちらが何もしなくても向こうから勝手に入って来てくれるような、人気のある部活だったら話は別だ。でも文研部の場合は、まず初めに部の事をよく知ってもらい、それから入部してほしいという意志を示さなければならない。

もちろん、最後に決断を下すのは、入部する本人だ。他人が決断を強要することはできない。でも、選択をするのに必要な材料を与えることや、自分の意志を伝えることは出来る。ただ入部してくれるのを待つのではなく、「人事(意志を伝える)を尽くして、天命(相手の選択)を待つ」という姿勢が大事なのだ。全てを相手の選択に任せるのは「楽」ではある。けれど、それでは自分の望む結果は得られない。まずはこちら側の意志をはっきりと伝え、その上で相手の選択を待つべきなのだ。

「自分を変える」ということ、「世界を変える」ということ

ココロコネクト ニセランダム (ファミ通文庫)

ココロコネクト ニセランダム (ファミ通文庫)

第6巻(短編集を除けば第5巻)は、色々な意味でこれまでとは趣きの違う内容になっていたと思う。以前の巻と大きく変わった点をまとめると、次の3点に集約される。

  1. 初めて明確な敵意を持った敵と文研部が対峙した。
  2. 文研部の5人を外部の視点から描いた。
  3. 「自分を変える」ことではなく「世界を変える」ことに主眼が置かれた。

新しく文研部に入った宇和千尋は、〈ふうせんかずら〉から与えられた力を使って文研部5人の絆を壊そうとする(何故そんな事をしたのかについては後で述べる)。その能力は『幻想投影』というもので、文研部メンバーの任意の1名に、千尋の姿を誤認させる事ができる。要するに、「稲葉の姿になって太一の前に現れる」とか「唯の姿になって青木の前に現れる」といった事が可能になる。これはかなり強力な能力であるように見えるが、千尋と二人きりの時でないと使えないなど、色々と制約も多い。しかし、これまでの現象と決定的に異なるのは、その「ランダム性」だろう。5巻までの現象は全て、発生する時間・場所・対象者がランダムだった。もちろん〈ふうせんかずら〉が意のままに現象を起こしていたと言うこともできるが、彼は「敵」というよりも「観察者」とでも言うべき存在だ。彼の引き起こした現象は、文研部に災厄をもたらす事もあったが、逆に彼らを助ける事もあった。ところが今回の現象は、千尋によって任意に引き起こされている。文研部のメンバーは、初めて明確な敵意を持った「敵」と対峙することとなったわけだ。

はじめは『幻想投影』に振り回されて人間関係がギクシャクしてしまう文研部であったが、次第に自分達の偽物の存在に気付く。5人で最近の出来事を話し合って矛盾点を整理し、協力して敵に対処するようになる。いくら千尋が5人の仲を引き裂こうとしても、その試みはことごとく失敗に終わる。このような事が出来たのも、第1巻から第5巻までに積み上げてきた5人の絆のおかげで在る事は言うまでもない。一人で悩んでいた問題も仲間と相談すれば簡単に解決することがあるということは、すでに第1巻の時点で5人が学んだ事だった。そして何より、5人の間には強固な信頼関係がある。だからこそ、自分達の偽物の存在を簡単に見破ってしまうことが出来る。この第6巻ではそういった5人の姿が、千尋という「外部」の目線を通して書かれている(もちろん千尋も文研部の一員だけど、本当の意味で文研部と打ち解けているわけではない)。外部(千尋や紫乃)から見れば、文研部5人の絆は異常なほどに強い、と感じる。けれども、そういった絆は自然に発生したわけではなく、その背後にはそれ相応の「努力」がある。そのことを千尋は知らないが、我々読者は知っている。

例えば『けいおん!』について考えてみよう。軽音楽部のメンバーそれぞれが陰でひた向きに努力しているからこそ、放課後のあの和やかな空間を維持することができているのだ、といったことは昔からよく言われている(関連:「中野あずにゃんの憂鬱」と、ゆるさを維持する努力。 - たまごまごごはん)。そこには、徹底してユルい空間を描くことで、逆説的にその背後にある努力の存在を想起させる、という効果がある。『けいおん!』とは対照的に、空間を維持するための努力を真正面から描いてきたのが、第5巻までの『ココロコネクト』であった。にもかかわらず、第6巻では物語を千尋の視点から描くことで、その努力を見えなくした。千尋視点から文研部を見ると、彼らは容易く敵の攻撃を受け流しているように見える。けれどもそれは、幾度も困難を共に乗り越えてきたという経験、あるいは、絆を維持しようとする絶え間ない努力があるからこそ可能なことだ。これまで「内部」の視点から文研部を見てきた我々読者ならすぐにその「背後の努力」に気付くわけだけど、今回はじめて「外部」の視点から彼らを見ることでまた違った印象を覚えたというか、「なるほど、外からは文研部はこんな風に見えているのか」という感想を持った(それくらい文研部メンバーに感情移入しながら作品を読んでいたということなんだろう)。

さて、話を千尋の問題の方に移そう。彼の人格形成を語る上で桐山唯の存在は欠かせない。唯と千尋は同じ空手道場で先輩・後輩の関係にある。唯は空手に関しては天賦の才能があり、千尋からすれば別次元の存在に見える。千尋は世界に対して次のような冷めた見方をするようになる。

上にいける奴というのは、生まれた時から決まっている。それは才能であれ地位であれ金であれ――初めから持ってる人間だ。
持てる者と持たざる者がこの世には存在し、その差異は決定的である。それは純然たる事実だ。*18

そのように考えていたところに〈ふうせんかずら〉がやってきて、『幻想投影』という能力を与えられる。その結果、千尋は自分が「選ばれた人間」なのだという優越感に浸る。

〈ふうせんかずら〉は、もし千尋が上手く五人を面白くすること(筆者注:文研部5人の感情が大きく動く事)ができたのなら、『幻想投影』五人以外の人間にも行使できるようにしてやると約束した。
『幻想投影』を全人類に使用できれば、自分はいったいいかほどのことを成せるのか。
欲望が囁く。邪念が切望する。飲まれているのではない。自分で全てを飲み込んでいるのだ、間違いない。だって自分は、平凡な人種とは違うのだ。*19

このようにして千尋は〈ふうせんかずら〉にまんまと乗せられたわけだ。しかし、作中には明記されてないけれど、彼が文研部を攻撃したのは、自分に劣等感を抱かせた唯への復讐という側面もあったのかもしれない。いずれにせよ、そうやって文研部の仲を引き裂こうとした千尋だったが、それが失敗に終わったのは上で述べたとおりだ。千尋は逆に追い詰められ、さらには自分のミスで太一と唯が記憶喪失になってしまう(詳しい説明は省くけど、文研部メンバーが2人以上居る場で『幻想投影』を発動させると、そういうことになる)。良心の呵責と、〈ふうせんかずら〉との約束を破った代償として自分も記憶を消されるんじゃないかという恐怖によって、千尋は苦しむ。そこに紫乃がやってきて「一緒に先輩達に謝ろう」と諭され、千尋は稲葉らに謝罪する。稲葉らは千尋を特に怒るようなこともなく笑って許す。さらに、最近千尋の様子がおかしいと感じていたクラスメイトからも、暖かい声をかけられる。それを受けて、千尋の世界観は変わってゆく。

あれだけのことをした最低な自分を、世界は責めないばかりか守ろうとする。
自分の認識と違う。世界はそうじゃないはずだ。もっと慈悲がなくて、生まれながらに祝福された奴しか報われないところの、はず、だ。
(中略)
自分は世界の見方が間違っている?
自分は世界に見放されていると思っていたけれど。
でも本当は。
そうじゃなく、自分は世界に愛されているんじゃないのか?*20

世界を肯定的に捉えることが出来るようになったのは良いんだけど、上の千尋の考え方はどこまで行っても「受け身」でしかない。世界が自分に対して何をしてくるのかを気にしてビクビクしているだけ。自分が世界に対してどういうアクションを取って行くべきなのか、という能動的な考え方が出来ていない。具体的に言うと、記憶喪失になった太一と唯を元に戻すためには何をすれば良いのか、という問題を千尋は完全に「他人任せ」にしてしまった。そういう姿勢が手に取るように分かるからこそ、文研部のメンバーも千尋に対して冷たく接せざるを得ない。文研部は罪を犯した千尋を見放すことはしなかったが、いつも優しく接するわけではない。

見かねた紫乃が「千尋君っていつも周りのせいにしてるよね。 (中略) 逃げてばっかだよね。戦おうとしないよね。傷つくことから、逃げてるよね」*21と叱咤する。その言葉を受けて千尋はようやく目が覚める。

世界は自分のことを見放して、厳しく当たりなんかしない。
かといって優しくて、自分に楽で簡単な人生を歩ませてくれる訳でもない。
世界はあるがままに、いつだって誰にだって平等に存在する。*22

まさにその通りだ。世界はあるがままに存在している。世界の方から何かアクションを起こしてくることはない。世界を変えたいのなら、まず自分が動かなければならない。他人任せでは何も変わらない。文研部の仲を引き裂くことに失敗した時、千尋は「世界は自分のことを見放して」いると思った。逆に、〈ふうせんかずら〉の能力を手に入れた時や、自分の罪を許してもらえた時には、「自分は世界に愛されている」と思った。しかし、そのように世界を解釈すること自体が間違いだということに、千尋はようやく気付いた。世界は自分の行動次第で変えることができる。逆に言えば、自分が行動を起こさなかったら、何も変わらない。その思いを胸に、千尋は実際に自分で世界を変えてゆく経験をする(具体的には、勇気を出して〈ふうせんかずら〉と交渉して太一と唯の記憶を元に戻したことと、やる気のなかったクラスメイトをまとめ上げて体育祭で優勝を勝ち取ったこと)。

これは第3巻の内容とも通じる点がある。自分が変われないのは、過去の出来事に原因があるのではない。現在の自分が変わろうとしていないからだ。過去を言い訳にするのをやめて、勇気を出して一歩前に踏み出し自分を変えろ――これが第3巻で述べられたメッセージであった。第6巻では、それを拡張して、世界を変えることに主眼が置かれた、ということが言えるのではなかろうか。自分を変えることが出来るかどうかは、結局自分の勇気と覚悟次第だ。同様に、世界を変えることができるかどうかも、自分自身の行動次第なのだ。

これを現実の社会でよく言われる言葉で置きかえるなら、「自分で考え、自分で行動しろ」ということに尽きる。「こうありたい、この事について知りたい、ここを変えたい」と思ったのなら、他人任せにせず、その願望をかなえるために自分からアクションを起こせ、ということ。私は地方大学の理系学部に所属しているけれど、確かに、研究やアルバイトをやっていると、「自分で考え、自分で行動」すべき場面が山ほどある。そういった意味で、この第6巻は身につまされるような内容だったと思う。

まとめ

以上が、第1巻から第6巻までの考察である。その中で出てきた格言をまとめると次のようになるだろう。

  1. 悩みを一人で抱えるのではなく、仲間に相談することで自らの思考を相対化せよ。
  2. 相手のことを知りたいのなら、傷つけ合うことを怖れるな。
  3. 悩みの原因を過去に求めるのではなく、現在の自分に求めよ。
  4. ありのままの自分を肯定し、ありのままの自分を肯定してくれる仲間を信じよ。
  5. 自分の意志をはっきりと伝えた上で、相手の選択を待て。
  6. 世界を変えたいと思ったのなら、まずは自分からアクションを起こせ。

さて、上の考察から全巻に共通する『ココロコネクト』の思想を探すとしたら、それは「仲間」の存在に他ならないだろう。これまでに文研部のメンバーに振りかかってきた困難や苦悩は、どれも信頼できる仲間の存在無しには解決できないものばかりだった。例えば第1巻では、悩みを仲間に打ち明けて思考を相対化することで、唯・稲葉・伊織は悩みから解放される。第2巻でも、文研部のメンバーは仲間を信頼しているからこそ、傷つけ合うことを怖れずに仲間のことを知ろうと思うことができた。第3巻や第4巻でも、唯や伊織の過ちを明らかにし、彼女らに勇気を与えたのは、文研部の「仲間」に他ならない。

第5巻の考察でも述べたように、文研部は基本的に「アウトロー」だ。だから、仮に〈ふうせんかずら〉と遭遇していなかったとしても、高校生活を送るなかで苦しい立場に立たされたり、辛い思いをしたりということがあっただろう。それでも、問題に対処するための手段は上で見てきたことと基本的に変わらない。悩みを一人で抱え込まずに仲間に相談すること。傷つけ合うことを怖れないこと。全ての過去を肯定できるように現在の自分を変えてゆくこと。ありのままの自分を肯定すること。自分の意志をはっきりと相手に伝えること。他人任せにせずに自分から動くこと。そして何より、仲間を信頼し、仲間と助け合うこと。

考えてみれば、世界には何十億という人がいて、その中で一生のうちに心を通わせることができる人はごく僅かだ。混沌とした世界の中で拠り所となるのが、その「ごく僅か」な繋がり。それは個人レベルでも、国家・民族レベルでも変わらない。もちろん、理解し合えない者同士の間で「配慮」し合うことも大事だけど(そうしないと戦争になる)、それはまた別の問題。何度も言うように、文研部は元々「アウトロー」な者達の集まり。おまけに〈ふうせんかずら〉の事もあって、文研部の姿は外部からはなかなか見えない。けど、これは仕方のないこと。誰だって、気の合う人とそうでない人がいる。周りにいる全員と心を通わせ絆を深める、なんてことは望んでもなかなか出来ないこと。だからこそ、文研部5人の関係が燦然と輝く。その5人が出会い、困難を共に乗り越えて絆を深めることができた、ということはまさに奇跡にも等しいことなのだ。だからこそ、今自分が所属している関係性(それは家族、生まれ育った地域や国、友人関係など、何でも構わない)を大切にすべきなのだ――というメッセージを本作の中に読みとることができるだろう。

*1:第4巻、38P

*2:第4巻、39P

*3:第4巻、240P

*4:第4巻、241P

*5:第4巻、242P

*6:第4巻、39Pおよび40P

*7:第4巻、245P

*8:いずれも第4巻、247P

*9:第4巻、248P

*10:第4巻、251P

*11:第4巻、252P

*12:第4巻、252〜253P

*13:アニメ『Angel Beats!』、第10話

*14:第4巻、285〜286P

*15:第5巻、297〜298P

*16:第5巻、298P

*17:第5巻、300P

*18:第6巻、78P

*19:第6巻、89P

*20:第6巻、234〜235P

*21:第6巻、249P

*22:第6巻、254P